『ますをらぶり?』第三回──女子高生、実朝を読む。

前回分は上記でお読み頂けます。

 驛前に長くタワーマンションの影を作つてゐた太陽は線路の彼方へ没し、三人の女子高生はそれぞれの帰路に就た。
 机上の燈だけをつけてアオイは小林秀雄の「実朝」と云ふ小文を読んでゐた。もちろん読書会の準備のためである。
 燈は「右大臣実朝」所収の新潮文庫を橙色に照す。装劃の暮れなずむ空の紫色が怪く輝いてゐる。
 机上には文庫本のほか新潮日本古典集成の『金槐和歌集』の巻や「コレクション日本歌人選」の源実朝巻などアオイが図書室で借りた金槐集関連の本が積れ、いつでも手をつけられるやうになつてゐた。
 暮方のファーストフード店で告白したやうにアオイが興味を持つてゐるのは和歌を詠み、「金槐集」を編んだ実朝であるから、その作品を鑑賞するのが興味の端緒に最も近づく方法のやうに思はれるけれど、アオイの手はなかなか実朝の仕事の方に伸びなかつた。
 それは和歌と云ふ現代人に余り馴染みのない読物に怖気づいてゐると云ふ部分もある。
 実朝と云ふ人物を吾妻鏡など歴史書を典拠にして描いたり、論じたりする文章は割合読むことが出来た。しかし和歌を引きながら実朝を論じる本に出合ふと途端に分らない感じがする。
 アオイの興味の発端は彼女にとつて恥しい記憶と地続きだから、個人的な関心として一人で金槐集を読み、小林秀雄なり山崎正和なりを参照すれば恥しさを回避出来るはずだつた。
 しかし加藤周一と云ふ人の実朝を扱た文章を読んだ時、引用されてゐる和歌の意味が全く分らなかつたことで、和歌と云ふものに苦手意識を持つてしまつたのだつた。
 アオイには一人で源実朝と云ふ人の実像に相対する勇気がなかつた。だから実朝を書いた歴史書を引いた太宰や小林ばかり読んでゐたのだ。
 ユズコとユイに『右大臣実朝』の話をしたのは、実朝と真向から向き合ふためだつた。オカルト話の告白は、その退路を断つためでもあつたらう。
 ユズコとユイと本の話をすると楽しい。そのことがアオイを勇気づける。
 日を間もなく跨ぐ頃、アオイは『モオツァルト・無常といふ事』と題された文庫本を閉じ、古典集成のハードカバーを開いた。
──ユズちやんとユイちやんに恥しくないやうにバツチリ準備しなくちや。
 アオイの目にまづ飛び込で来たのは春の歌だつた。

けさ見れば 山もかすみて ひさかたの 天の原より 春は来にけり
続きは上リンクよりお読み頂けます。

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