『ますをらぶり?』第八回──女子高生、実朝を読む。

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 ひとしきり笑つた後、ドリンクを飲んで一息ついた三人は次なる話の端緒を探すと云はうか、空気の抜けたやうに其々の文庫本を繰つてゐた。さてと飲んでゐたカップを置いてアオイが口を開いた。
「厩戸王子の話をまう少し続けたいのだけど、この本を勧めた時にこの作品は戦中に発表されたと云ふ話をしたでせう? この戦争中と云ふ時代背景が厩戸王子と云ふ存在を前景化させたつて所があるんぢやないかと思ふのね。」
「時代背景つて云ふのはだう云ふこと?」紙の入物から屑のポテトを掻き出しながらユズコが聞いた。
「時代背景と云ふのは、えーと。まづ明治維新で日本は近代化するでせう? で、憲法を作ることになる。その憲法を作る上で参考にしたのはドイツのワイマール憲法であると云ふのは二人共授業で知つてるよね?」
 ユイとユズコは黙つてアオイの目を見ながら頷いた。見つめられるアオイは少し目を泳がせながら続ける。
「えーと、憲法を作ると云ふ行為と云ふのか、憲法に依て統治される国家と云ふ近代化のビジョンつて西洋から持ち込んだ考へで、でも【憲法】と云ふもの自体は日本も昔作つてゐたと。」譯知り顔のアオイを見て、ユズコもピンと来た。
「もしかして【十七条の憲法】?」
「さうさう、厩戸王子の作つた【十七条の憲法】を日本人は古代に作つてゐたと云ふことが明治の日本にとつて強力なアイデンティティと云ふか自負になる譯だよね。」
 アオイはドリンクのカップに刺してあるストローを咥へて、中身のないことに気がつく。そのまま手持無沙汰な手をポテトの入物に差し向けると、ポテトもまた空だつた。
「だから明治政府は「厩戸王子と云ふ偉い人が古代にこんなことをしました。」つて教育を強化したんだよね。」
「なるほど戦前の日本にとつて厩戸王子は今以上に特別な存在だつたんだね。」
「さう、日本を強い国にするためのシンボルとして厩戸王子は利用されたのね。」
 ユイとアオイが厩戸王子を巡る戦前の状況に就て会話してゐるとユズコがいきなり立ち上つた。何事かと二人がその方を見ると、ユズコは鞄から財布を取り出してゐた。二人の視線が自身に注がれてゐることに気のついたユズコは、
「あ、ポテトないから一寸買つて来るね。」と云つてテーブルを離れて行つた。その背中を目掛てユイが大きな声で、
「あたしとアオイの分も買つて来て!」と叫んだ。
 ユズコは後ろ向きに前進しながらユイたちの方を見て、オーケーと同じく叫んだ。
「一寸メンドクサイ話をし過ぎたかな?」アオイが不安気にユイに聞いた。厩戸王子の話は『右大臣実朝』の読書会とは直接的な関係はないのに長々話してしまつたと感じたのだらう。
「いや、ユズコはただポテトが食べたいから席を立つただけで、話が面倒くさいからぢやないと思ふよ。」
 アオイの杞憂を晴らすやうにユイは云つて、机の上で誰にも開かれていないのに話の内容を支配してゐた『日出処の天子』を自分の手元に戻し、その表紙の上に『右大臣実朝』が収録されてゐる新潮文庫を重ね置いた。

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