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《有料、冒頭試読》【ロッテ球団73年考察/(49)「野球殿堂」に入ったロッテ球団関係者】

(49)「野球殿堂」入りした在籍ОB

 野球殿堂している千葉ロッテに1シーズン以上在籍していたОBをまとめました。殿堂入りした年度順にリスト化しました。
 なお。殿堂入りは今年度の表彰者を含め245人。表彰は選手、監督として現場で功績を挙げた「競技者表彰」と、審判や球団関係者、アマチュア野球関係者、外部関係者など野球の発展に功績を挙げた「特別表彰」があります。
 千葉ロッテ関係の殿堂表彰者は20人。永田雅一元オーナーが唯一特別表彰されています。

※【氏名 殿堂入り年/表彰区分】プロ野球界での位置実績
 (生年月日・出身地~没年月日)
 【ロッテ球団在籍年 在籍時の位置】

【若林 忠志 1964(昭和39)年/競技者】

=== 初代日本一貢献、引退後第3代監督、ロッテ関係初の殿堂入り ===
 選手・指導者
(1908年3月1日・ハワイ~1965年3月5日)
【在籍・1950年(昭和25)年~1953年(昭和28)年 投手兼任監督、二軍監督、監督】
・戦前戦後と大阪(阪神)で活躍。1942年(昭和17)年~44年(昭和S19)年と47年(昭和S22)年~49年(S24)年には選手兼任監督を歴任。
 1950年(昭和25)年、毎日球団創設とともに移籍して在籍。2年間投手兼監督(総監督がいた為主将的立場)を務め若林貞夫総監督を支え、初年度の日本一に貢献した。51(S26)年限りで現役引退し52(S27)年には二軍監督に就任。53(S28)年には3代目の監督に就任したが1年限りで退任した。
 ロッテ球団関係者として初の野球殿堂入り。

【杉下 茂 1985(昭和60)年/競技者】

=== 「フォークの神様」中日で211勝、永田に請われて現役復帰 ===
 選手・指導者
(1925年9月17日・東京府東京市~)
【在籍・1961(昭和36)年~1962(昭和37)年 投手、コーチ】
・フォークボールを武器に中日のエースとして活躍して211勝を記録する。1958(昭和33)年限りで現役を引退。
 1961(昭和36)年に投手コーチとして大毎入り。永田雅一オーナーの一言で現役復帰し32試合に登板した。翌62(S37)年は投手コーチに専念した。

【荒巻 淳 1985(昭和60)年/競技者】

=== 「火の玉投手」新人2冠、故障克服「七色の変化球」技巧派変身 ===
 選手
(1926年11月16日・大分県~1971年5月12日)
【在籍・1950年(昭和25)年~1953年(昭和28)年/投手 ルーキーながら初の日本一に貢献】
・大分経専時代、左腕からの快速球の威力は「日本の火の玉投手」と呼ばれ、1949(昭和24)年夏の都市対抗では星野組のエースで優勝。橋戸賞を獲得した。
 翌年新設された毎日オリオンズに入団。たちまち26勝で最多勝、防御率1位の投手2冠と新人王を獲得。創設シーズンのリーグ優勝、2リーグ制初の日本シリーズ制覇に貢献した。その後ケガに悩まされたシーズンもあったが変化球投手として復活し、オリオンズ創成期の投手陣を支えた。
◆在籍時のタイトル
 最優秀防御率1回('50)/最多勝利1回('50)
◆在籍時の表彰
 新人王('50)/ベストナイン1回(投手 '50)

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