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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜(44)/「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜】

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(写真 左から、25代・2年目を迎える助っ投メルセデス、上)5代・大型内野手として期待された園田喜則、下)9代・外野のバックアップとして活躍した春日昭之介、15代・マリーンズ初の3割30本100打点のフェルナンデス、16代・日本一胴上げ投手陣の柱となったセラフィニ、18代・開幕戦でダルビッシュから同点満塁弾のズレータ)


(44)「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜

 オリオンズの時代は主軸とはならなかったものの、裏で支える職人肌的な選手に引き継がれた背番号だった。川崎時代の晩年にヘンゲルが初めて背負った外国人選手だった。それが、マリーンズになると強力助っ人の背番号となった。投手ではヒルマン、セラフィニ、打者ではフェルナンデス、ズレータ。一時、1年単位で交代する忙しい助っ人の背番号となったが、現在のメルセデスは2年目、好投の系統として引き継がれている。

----- 現在の背番号「42」 -----

 ★《25代》2023(R5)年~2024(R6)年・2年目 クリストファー クリソストモ メルセデス 投手(在籍2年目)

  1994年3月8日生(入団時歳)左投両打
  (出身・ドミニカ)ヌエバ・エスペランサ高‐米。マイナー(12~15)‐ドミニカ・カープアカデミー(16)‐巨人(17~22)‐千葉ロッテ(23~)

 【メルセデス 背番号変遷】42(2)
 2023(R5)年、巨人に6シーズン在籍していたメルセデスが移籍入団し、背番号42を引き継いだ。
 移籍1年目は開幕からローテーション入り。開幕5戦目に初登板初先発。6回無失点も打線の援護なく勝敗がつかないデビューとなった。以降、4試合先発マウンドに上がり好投を見せるも、打線の援護が無い試合が続き、防御率は2.31ながら白星なしの3連敗スタートとなった。5月14日の日本ハム8回戦(エスコンF)で6回2失点(自責は0)でようやく初勝利を挙げた。調整のためにリリーフで2試合登板したものの、シーズン最後までローテーションを守り、最終的に20試合に先発し、4勝8敗1S、防御率3.33と安定した内容だった。

 (23年シーズン終了時)
 ◆投手成績<22試合、4勝8敗、防3.33、1S、0H、20先発、0完封、54奪三振>
 ◇ロッテ初登板、初先発<2023(R5)4月5日・日本ハム2回戦/H(ZOZOマリン)/先発/6回0失勝敗なし>
 ◇初勝利<2023(R5)5月14日・日本ハム8回戦/R(エスコンF)/先発/6回2失(0自)>
 ◇初セーブ<2023(R5)年5月24日・西武9回戦/H(ZOZOマリン)/2番手完了/3回0失>

----- オリオンズ&マリーンズ「42」の系譜 -----

 ★《初代》1952(S27)年~1953(S28)年・2年 小笹 恒夫(おざさ つねお) 捕手(在籍2年)

  生年月日不明、右投右打
  山陽クラウンズ(50~51)‐毎日(52~53)

 【小笹 恒夫 背番号変遷】42(2)
 関西で二軍チームとして1950(S25)年に創設した山陽クラウンズでマスクを被っていた小笹恒夫が入団。初代背番号42を背負った。
 二軍ではマスクを被ったものの、2年間一軍未出場に終わり、53(S28)年限りで引退した。

 <一軍未出場>


※1954(S28)年~1961(S36)年 空番


 ★《2代》1962(S37)年・1年 門岡 良典(かどおか よしのり) 内野手(在籍2年)

  1941(S16)年6月1日生(入団時19歳)、右投右打
  大分・高田高‐大毎(61~62) 

 【門岡 良典 背番号変遷】56(1) ⇒ 42(1)
 2年目を迎えた門岡良典が、1962(S37)年に背番号を56から42に変更して引き継いだ。
 1年目の前年は1試合だけ代走で一軍出場を果たし、2年目の62(S37)年は一軍定着が期待されたが、一軍未出場に終わり、このシーズン限りで引退した。

 ◆打撃成績<1試合、打率.000、0打数0安打、0本塁打、0打点、0盗塁>
 ◇初出場<1961(S36)年7月2日・西鉄10回戦/R(平和台)/代走>


※1963(S38)年 空番


 ★《3代》1964(S39)年~1965(S40)年・2年 林 孝彦(はやし たかひこ) 内野手(在籍2年)

  1944(S19)年2月16日生(入団時20歳)、右投右打
  京都・大谷高- 京都大丸‐大毎(64~65)

 【林 孝彦 背番号変遷】42(2)
 1964(S39)年に社会人・京都大丸(資料により大谷高から入団したものもあり)から入団した林孝彦が、背番号42を引き継いだ。
 俊足、巧打の内野手として期待されたが、2年間所属したが一軍未出場に終わり、65(S40)年限りで引退した。

 <一軍未出場>


 ★《4代》1966(S41)年・1年 斎藤 幸夫(さいとう ゆきお) 内野手(在籍4年)

  1941(S16)年9月7日生(入団時21歳)、右投右打
  東京・桐朋高‐早稲田大学‐大毎(63~66)

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