見出し画像

《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(20)「18」植村義信で生まれたエースの称号】

割引あり

(写真 左から、13代・現在の18を継ぐ二木康太、初代・2年目留守軍開幕投手星野武男、3代・元祖エースナンバー植村義信、9代・歴史を戻した伊良部秀輝、10代・エースを継いだ清水直行)


(20)「18」植村義信で生まれたエースの称号

 野球の世界で背番号18はエースナンバーと言われているが、その元祖は4代・植村義信だと言われている。植村は芦屋高校時代にエースとして甲子園で優勝したが、その年から背番号表示が開始され「1」を着けて活躍する姿が印象を強く残した。その植村が「18」を背負い、プロでも活躍する姿から、甲子園優勝投手がプロ入りして18を背負って活躍する「エースナンバー」になったと言われている。
 しかし、以降のオリオンズ背番号18の系譜を辿ると歴史は違ってくる。過去の絶対的エースは荒巻淳の11であり、小野正一の19であり、小山正明の47であり、成田文男の46であり、村田兆治の29だった。成田や新人王の三井雅晴が18を継いだ時期があったが、全盛期ではなかった。
 それがマリーンズとなると系譜は時を戻した。それは伊良部秀輝だった。高卒投手として18を背負いエースに成長した。そしてエースナンバーは清水直行が継いでいった。二木康太には準エースに留まらず、真のエースとして投手陣をけん引する立場に立って欲しいと願っている。

----- 現在の背番号「18」 -----

 ★《13代》2020(R2)年~2024(R6)年・5年目 二木 康太(ふたき こうた) 投手(在籍10年目)

 【二木 康太 背番号変遷】64(6) ⇒ 18(5)
 6シーズン、背番号64だった二木康太が2020(R2)年から背番号18を引き継いだ。3年目から一軍のローテーションに加わり、前年は22試合に先発したが7勝10敗と負け越していた。
 7年目の20(R2)年は新型コロナの影響で開幕が延期されたが、開幕からローテーション入り。シーズン中盤に二軍で再調整する時期もあったが、再合流後は好投を見せ、15試合に先発して自己最多となる9勝(3敗)をマーク。防御率3.40とまずまずの数字を残した。21(R3)は念願だった開幕投手に指名される。しかし、6回途中5失点と悔しいスタートとなった。その後もローテーションを守るも、一発被弾がここ一番で出る。最終的に21試合に先発し5勝7敗、防御率は4.38と苦しんだ。被本塁打はリーグトップの24被本塁打だった。
 22(R4)も開幕からローテ―ションに加わるも、間隔が空いての登板となった。その後、ぎっくり腰やコロナ感染などもあり、22年は9試合の登板に留まり、2勝4敗、防御率4.18で終えた。翌23(R6)年は、キャンプのケガで出遅れ。その後も故障を繰り返し、自身の1年目以来一軍未登板に終わった。
 (23年シーズン終了時)
 <130試合、41勝49敗、防4.13、126先発、2完封、615奪三振>

----- オリオンズ&マリーンズ「18」の系譜 -----

 ★《初代》1950(S25)年~1951(S26)52年・2年 星野 武男(ほしの たけお) 投手(在籍3年)

 【星野 武男 背番号変遷】18(2) ⇒ 52(1)
 球団創設時に社会人・東洋紡富田から入団した星野武男が初代背番号18を背負った。
 1950(S25)年はリリーフとしてマウンドに上がり、4月17日の阪急戦(後楽園)に初先発。しかし、完投したものの9失点して再びリリーフへ。その後二軍でマウンドに上がった後、シーズン終盤に再登録。10月28日に再び先発し2失点完投で初勝利をマークした。しかし、1年目は10試合の登板で終えた。
 51(S26)年は一軍メンバーのハワイ遠征からの帰国が開幕後となったため、留守組だった星野が開幕投手を務める。しかし、8回5失点完投で黒星発進となった。このシーズンは9試合に先発したものの2勝4敗、防御率も5.17に終わり、オフには背番号を18から52に変更した。
 投手<24試合、1勝1敗、防5.77、3先発、0完封、20奪三振>
 打撃<25試合、打率.207、29打数6安打、0本塁打、2打点、1盗塁>

 ★《2代》1952(S27)年・1年 守田 正人(もりた まさと) 投手(在籍1年)

 【守田 正人 背番号変遷】18(1)
 ハワイ・ヒロ高校出身の日系二世。1951(S26)年に毎日球団中心のパ・リーグ選抜チームはハワイでキャンプを実施し、地元球団と試合を行ったが地元球団のハワイ朝日にいた北村正司と守田政人を誘い、大学卒業を待った北村より一足早く守田は開幕から帯同した。
 4月13日の阪急戦(川崎)でプロ初先発、5月7日の阪急戦(後楽園)でプロ初勝利を挙げた。最終的に10試合(5先発)に登板し、2勝1敗ながら防御率3.69とまずまずだった。しかし、38回を投げて33与四球と制球に難があり、年齢も30歳だったことから1年限りで退団した。ただ、打撃力もあり9打数3安打1本塁打を記録した。
 投手<10試合、2勝1敗、防3.69、5先発、0完封、9奪三振>
 打撃<10試合、打率.333、9打数3安打、1本塁打、2打点、0盗塁>

 ★《3代》1953(S28)年~1961(S36)年・9年 植村 義信(うえむら よしのぶ) 投手(在籍9年)

ここから先は

12,611字
この記事のみ ¥ 200〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?