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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(41)「39」投手・野手から捕手の系譜】

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(41)「39」投手・野手から捕手の系譜へ

 球団創設時から背番号39は、主軸ではないもののチームを支えた投手、野手が継いでいた。7代のハワイ出身の日系人神谷雅巳は初めて捕手として39を継いだ。以降、オリオンズ時代は里見進、長松純明とブルペンで投手陣を支えた捕手が継ぐ。マリーンズになると福沢洋一、田中雅美、吉田 裕太と控え捕手の系譜として受け継がれた。そして、大下誠一郎には岡大海に次ぐ出世番号として新しい歴史を作って欲しい。

----- 現在の背番号「39」 -----

 ★《19代》2023(R5)年~2024(R6)年・2年目 大下 誠一郎(おおした せいいちろう) 内野手(在籍2年目)

  1997(H9)年11月3日生(移籍時25歳)、右投右打
  (出身福岡)栃木・白鷗大足利高‐白鷗大学‐オリックス(20~22)‐千葉ロッテ(23~)

 【大下 誠一郎 背番号変遷】39(2)

 オリックスで育成から支配下登録され3年在籍した大下誠一郎が、2022(R4)年オフに実施された現役ドラフトでロッテから指名され移籍し、背番号39を引き継いだ。
 移籍1年目の23(R5)年は、自身初となる開幕一軍入り。4月6日の日本ハム3回戦(ZOZOマリン)で守備固めとして一塁に入り初出場を果たす。その後は代打、守備固めで試合に出場し、5月17日の古巣オリックス7回戦(ZOZOマリン)で初スタメンで出場し初安打を記録する。その後、7月に登録を抹消、8月に再登録されるも23試合の出場、打率.227で移籍1年目を終えた。

 (23年シーズン終了時)
 ◆在籍時打撃成績<23試合、打率.227、22打数5安打、1本塁打、2打点、0盗塁>
 ◇ロッテ初出場<2023(R5)年4月6日・日本ハム3回戦/H(ZOZOマリン)/途中一塁>
 ◇ロッテ初打席<2023(R5)年4月9日・楽天2回戦/H(ZOZOマリン)/代打/1四>
 ◇ロッテ初スタメン、初安打<2023(R5)年5月17日・オリックス7回戦/H(ZOZOマリン)/7番DH/2打1安)
 ◇ロッテ初本塁打、初打点<2023(R5)年6月3日・阪神1回戦/R(甲子園)/代打/大竹耕太郎から>
 ◇オールスター出場/なし

----- オリオンズ&マリーンズ「39」の系譜 -----

※1950(S25)年~1951(S26)年 空番


 ★《初代》1952(S27)年~1953(S28)年・2年 和田 功(わだ いさお) 投手(在籍7年)

  1933年6月19日生、左投左打
  京都・桂高‐毎日(52~58)‐大阪(59)

 【和田 功 背番号変遷】39(2) ⇒ 17(5)
 京都府立桂高校から球団創設3年目の1952(S27)年に入団した和田功が、背番号39を初めて背負った。
 入団1年目は一軍登板はなかったものの、2年目の53(S28)年に初めて一軍マウンドに上がる。5月24日の大映10回戦(西京極)に先発で初登板。勝敗はつかず7回5失点で降板する。2度目の先発となった28日の阪急9回戦(後楽園)で5回1失点と好投して初勝利をマークする。以降、ローテーションに加わり、2年目のシーズンは20試合(14先発)に登板し、5勝4敗、防御率3.40と飛躍のシーズンとなった。オフには背番号を17に変更した。
 → 和田功 背番号17 へ(有料エリア)

 ◆在籍時投手成績<220試合、59勝40敗、防2.63、105先発、4完封、554奪三振>
 ◆在籍時打撃成績<225試合、打率.194、253打数49安打、0本塁打、13打点、0盗塁>
 ◇初登板、初先発<1953(S28)年5月24日・大映10回戦/H(西京極)先発/7回5失/勝敗なし>
 ◇初勝利<1953(S28)年5月28日・阪急9回戦/H(後楽園)先発/5回1失>
 ◇初完投<1953(S28)年6月2日・東急8回戦/H(後楽園)先発/10回2失〇>
 ◇初完封<1954(S29)年5月15日・東映2回戦/H(市川国府台)先発/9回0失〇>


 ★《2代》1954(S29)年・1年 有町 昌昭(ありまち まさあき) 内野手(在籍2年)

  1935(S10)年11月13日生(入団時19歳)、右投右打
  福岡・小倉高‐毎日オリオンズ(54~55)

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