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《有料》(5)ジプシー・ロッテ「準本拠地・宮城球場」

第5章 カネやん登場、球界革命に挑む 1974(昭和48)年

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(5)ジプシー・ロッテ「準本拠地・宮城球場」

 準本拠地として1973(昭和48)年は25試合を開催することになった宮城球場だが、実はオリオンズとの縁は古い。宮城球場は1952(昭和27)年に開催が予定されていた第7回国民体育大会(宮城県、山形県、福島県の3県共催)のメイン会場として、隣接する陸上競技場とともに1950(昭和25年)に竣工した球場だった。この年は2リーグ制がスタートした年。こけら落としでゲームを行ったのは、毎日オリオンズ対南海ホークス、毎日オリオンズ対大映スターズの変則ダブルヘッダーだった。
 この時、人が殺到して事故が起きている。前夜から人が詰めかけ、夜中には数千人が球場前で徹夜したほどだった。ところが、入場時に将棋倒しが発生し、また、入れない人がフェンスを乗り越えようとしたところ、そのフェンスが倒壊するという事故が重なって発生、死者3名、負傷者30名が出た。
 それでも何とか試合は開催。第1試合の毎日オリオンズ対大映スターズは3-1で、第2試合の毎日対南海ホークス戦は2-1とオリオンズが連勝した。主催者発表の観客数は50,000人だった。こけら落としの試合が毎日と大映だったことに、オリオンズファンにとっては縁を感じる球場だ。

 宮城球場でのカネやんロッテの初試合は5月22日からの近鉄3連戦(23日はダブルヘッダー)だった。チームが仙台駅に到着したのは前日21日の午後3時。仙台駅から自衛隊音楽隊とバトンガールを先頭にパレードを行い、宮城県庁前の野外音楽堂で前夜祭が行われた。宮城球場の25試合を対象にシーズン席を販売したが、4,000席は売り切れ。オリオンズに対する仙台市民の期待の高さが伺えた。
 その前夜祭でカネやんは「お客様は神様です。その神様に、このような大歓迎を受けて、野球選手冥利に尽きます。何が何でもこの仙台でいい成績を残します」と挨拶し、集まった2万人の仙台市民は大喝采。選手はサインボールを投げ入れた。

 ただ、その裏でカネやんは表情を曇らせた。球場の下見をしたのだが、グラウンドは小石が混ざり、外野の芝もガタガタだった。そしてブルペンがなかった。「グラウンドの内野に砂を入れ、石をできるだけ拾っておいてくれ」と球場側に指示を出したが、前夜祭の時に見せていた笑顔はなかった。

1974(昭和49)年当時の宮城球場概要図
『ロッテオリオンズガイドブック 1973年版』

 翌22日の初戦はナイターだった。33,000人の大入りだ。試合は序盤から打線が爆発。野村収が近鉄打線を完封し13-0で勝利を収めた。

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