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【短編小説】逆時のミライ

ビジネスで成功し、莫大な財産を手にした隆一は、その代償として多くのものを失っていた。若きころの様々な夢や可能性、そして人間関係。己を顧みずにすべてを打ち捨ててきた彼に残されたのは、年老いた肉体と使い道のない大金のみ。そこに、唯一の友人である星野博士から「タイムマシンが完成した」という連絡が来て・・・。

 隆一は目を開ける。朝日がそっとソファに彼を包みこんでいた。
 コーヒーテーブルに置かれた古い写真に目をやる。写真の中の若い隆一は、未来に手を伸ばしているかのように見えた。かつては冒険に満ちていた瞳を伏せ、心は過去へとさまよう。
「もう一度、あの日々へ……」隆一はつぶやいた。
 大学卒業後、ビジネスの世界に飛び込み成功を掴んだ隆一だったが、その代償に失ったものも多かった。かつての情熱、家族との温かな瞬間、そして自由に動き回れる若々しい体。今や、遠い夢のようだ。彼に残されたのは、使うアテのない莫大な財産だけ。
 物思いにふけっていた隆一の耳に、突然の電話のベルが響く。
 静寂を切り裂くその音に、彼の思考は現実に引き戻された。彼はゆっくりと電話に手を伸ばす。
「隆一クン、とうとう完成したぞ!」

 受話器からは、数十年来の友人である星野博士の熱心な声が聞こえてきた。

 夕暮れの光が研究室に差し込む中、隆一は興奮を隠せない星野博士の前に立っていた。
「見ろ! これが、タイムマシンだ!」
 博士は、部屋の隅にある奇妙な形の機械を指差し、目を輝かせて言った。
 隆一は機械を凝視する。心の中で、一瞬のうちにさまざまな葛藤が渦巻く。
 ――もしも、時間を超えることができたら?
 ――もしも、過去を変えるチャンスがあったら?
「……本当に動くのかい?」彼の声は震えていた。
 星野博士はニヤリと笑い、「時間は川のようなもの。巧みな船ならば、過去に舵を切ることだってできる。理論は確かだ」と力強く答える。
 隆一は、小さく喉を鳴らした。

***

 目を開けると、隆一は若き日の自分のアパートにいた。
「だ、誰だ?」
 そこにいたのは、驚きと戸惑いで彼を見つめる年若い隆一だった。
「これは君のためだ」と隆一はつぶやき、彼にあるものを渡す。"抱えきれないほどの大金"に、若き隆一は目を見開いた。
 タイムマシンが再び動き出し、彼は現実世界へと戻った。しかし、
「どういうことだ……?」
 目の前には、薄汚い6畳ほどの部屋。かつての豪華な家具は消え、あたりには借金の通知書が散乱している。窓からは都市の夜景が眺められたが、隆一の心は混乱と失望で暗く沈んでいた。

 ――財産を渡した後の若き自分の人生は、悲惨なものだった。
 分不相応な財産はあっという間に無くなっており、彼の夢も希望も灰へと変わっていた。身についた浪費癖と煌びやかな生活への憧れは、彼を借金地獄へと落としてしまったのだった。
 隆一は窓越しに暗い夜空を見上げ、星々の光が彼に届かないことを感じた。彼の心は重く沈み、絶望がその中で渦巻いていた。
「どうすれば、これを正せるのだろう?」彼は自問自答した。
 深くため息をつき、過去を変えることの大きなリスクを再認識しながら、次の行動について考え込んだ。彼の心は、次なる未来への一歩を踏み出す準備をしていた。

***

 ふたたび過去への門が開き、隆一は若き日の自分の新しいアパートに立っていた。
「あ、アンタはあの時の……」
 若き隆一は彼を不思議そうに見つめる。手渡した大金は、部屋の中央に置かれたままだ。
「金は大切に使うんだ」隆一は慎重に言葉を選んだ。節約と投資について丁寧に教え、無駄遣いは慎むよう切々と訴える。
「趣味を楽しむことも大事だ」彼はそうも付け加える。時間と金に余裕ができれば始めたいと願い、ついぞ実現したなかった数々のアクティビティ。それら「体験」への投資だけは、決して無駄にならない。そう告げる。
 若き隆一は戸惑いつつも、隆一の言葉を真剣に聞いた。
「これならば……」
 帰りのタイムマシンの中、隆一は新たな未来に胸を膨らませる。
 ――しかし、現代に戻った彼を待ち受けていたのは、またもや変わり果てた現実だった。

 若き隆一は趣味に没頭しすぎるあまり、家族や友人との関係を疎遠にしてしまっていた。隆一のアパートは、かつての賑わいのすべてを失い、孤独と寂寥感に満ちていた。
「……なんということだ」
 隆一は窓からの夜景に目を向ける。星々が彼に何かを語りかけているようだったが、彼にはその意味が分からない。
 彼は深くため息をつき、心の中で自問した。「どうすれば、うまくいくのだろう?」
 彼の心は、次の一手を探し求める。

***

 三たび、タイムマシンに乗った隆一は、ちょうど実家に戻っていた若き自分を見つめた。
「人間関係は、決して切り捨ててはいけない」戸惑う彼に、隆一は念を入れて何度も語りかける。「家族や友人を大事にしなさい」
 若干幼さの残る自身の混乱した表情が、ゆっくりと、しかし大きくうなずくのを確認した隆一は、安心してタイムマシンに乗り込んだ。
 ――しかし、
 現代に戻った隆一は、三たび変貌した現実を目の当たりにした。

 ――人間関係を維持するために、得た大金をすべて家族や友人への過剰な施しに費やした若き己の人生は、すっかり荒廃していた。
 金で繋ぎ止めた関係が長続きするわけもなく、隆一の心の中はかつてない孤独感と焦燥感に支配されていた。もちろん財産がわずかでも残っているはずもなく、周囲には借用書の山が築かれていた。
 他人にばかりに心血を注ぎ、自身をカケラも省みなかった反動か、彼の肉体もまた精神と同様にボロボロであった。

「こんなことなら、何もしなければよかった」

 すべてを元に戻すために、隆一は渡したお金を取り戻すことが唯一の道だと決意した。

***

「博士! タイムマシンに乗せてくれ!」
 電話に出た星野は、「一体、何の話だ?」と戸惑いの声を返す。噛み合わない会話を何度か繰り返した後、隆一はとある決定的な事実に気づいた。
「この世界には、タイムマシンが存在しない……?」
 若き隆一が配った大金の数々は、渡された相手の人生をも大きく歪めてしまっていた。星野博士も例外ではなく、とうの昔に研究の道への興味をなくしてしまっていた彼は、すでに「博士」でもなんでもなかった。
「頼む! もう一度タイムマシンを作ってほしい! 博士なら必ずできるんだ!」
 必死で懇願する隆一に、電話の向こうの星野が「お伽話も大概にしてくれ」とすげなく返し、電話を切ってしまう。
「そ、そんな……」
 隆一は完全な絶望に打ちひしがれた。自分の行動が引き起こした変化が取り返しのつかないものであったことを悟った彼の身体が、ゆっくりとソファに沈む。
「もう、終わりだ」
 夜明けが近づく中、彼の意識は遠のいていった。過去を変える試みは、彼にとってあまりにも重い結果を残したのだった。

***

 ――朝の光が部屋を温かく包む中、隆一はソファでゆっくりと瞳を開ける。
 彼は少しの間、静かに天井を見つめ、覚醒していないモヤモヤした感覚に身を任せた。
 ゆっくりと身を起こし、窓のそばへ歩いていく。
 外は新しい一日の始まり、街は徐々に活気づいていた。彼は窓越しに外の世界を静かに眺め、心の中で夢の出来事を反芻する。過去への旅、現実の変容、そして最後に抱いた絶望。
 しばらく記憶が混乱する中、現実と幻想の整理がついた彼の頭は、こう結論づけた。
「夢、だったのか」
 深いため息と共に、隆一は重たい感情を吐き出す。彼の視線は遠く、思いは遥か彼方に飛んでいた。彼は自らコーヒーを淹れ始め、部屋は目の覚めるような香りで満たされた。
 コーヒーカップを手に、再び窓の外を見つめる。
「……よかった」
 彼の心には静謐な思索だけが残る。夢からの目覚めが彼に何をもたらしたのか、その答えを彼は見つけ出そうとしていた。
 ――そのとき、突然の電話のベルが静けさを破った。
 隆一は戸惑いながらも、ゆっくりと受話器を手に取る。

「隆一クン、とうとう完成したぞ!」

 少しの間、隆一は言葉を失うと、ニヤリと笑みを浮かべたのだった。

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