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短編小説『ペットボトルで部屋を涼しくする方法』

「乱暴狼藉を働こうなんて、考えないことね」
 とあるワンルームマンションに集められた男たちの前で、部屋の主である女はそう宣言した。七夕の一週間前のことだった。
「このマンションはセキュリティがしっかりしているの。呼べばすぐに警備員が駆けつけてくれる」
 エントランスで睨みを利かせていた大男を思い浮かべる彼ら。困ったように苦笑いを浮かべるもの、小さく舌打ちするもの、なんの表情の変化も見れられないもの。その反応は様々だった。
「それで? なぜ僕たちをここに?」
 中央に座る男が微笑みながら尋ねる。明るく染められた前髪をさりげなく払う様は、やる人によっては嫌らしく見えるものだが、彼の所作は役者のそれとも違い、堂に入っていた。声色に若干媚びるような音が含まれているのも、女性によっては自尊心を刺激されて高評価を与えることであろう。
 男たちの前に座る女性は、そんな仕草をまったく気にすることなく無表情のまま告げた。
「いいかげん、うんざりなのよ」
 彼女たちの通う大学で、ついこの間行われた学園祭。女は見事、ミスキャンパスの栄光に輝いた。それからというもの、昼夜問わず続く男たちのアプローチ。彼女は辟易していた。
「だから、あなたたちの中から私の相手を決めようと思うの」
 男たちの顔にまたもや様々な色が表れる。素直に喜色を浮かべるもの、わけがわからないと戸惑うもの、まったく表情を変えないもの。本当に様々であった。
「あなたたちの誰かなら、異論を挟む人もいないでしょう」
 常に女性との噂が絶えないモテ男や、論文が学長賞をとったばかりの研究者、学生ベンチャーを立ち上げた経営者、大学ラグビーのスター選手など、居並ぶ男たちは学内でも屈指の有名人がほとんどであった。
「どうやって? くじ引きでもするつもりかい?」
 優男が尋ねた。
「これよ」
 彼女はあるものを男たちの前に並べた。それは何の変哲も無い、空の350mlペットボトルだった。
 男たちが一様に首をかしげる中、彼女は真面目な顔つきで告げる。
「これを使って、部屋を涼しくする方法を考えてほしいの」
 彼らの表情が一層困惑に歪むが、一人の男が「なーるほど」と声を上げる。
「お姫サマは賢い男をご所望というワケだ」
 意識高そうな男が「地頭力ってやつね」と続けると、優男が納得したように「ふぅん」とうなずく。
「知恵比べというわけかい?」
「そう捉えてもらって構わないわ」
 体躯の良い男が不満げにつぶやく。
「それじゃあ、オレが不利じゃないか」
 意識高そうな男が、そんな彼を馬鹿にするように笑う。
「脳筋バカじゃミスキャンパスとは釣り合わないってコト。わかんないかなー。まあ、そのオツムじゃ無理か」
「なんだと」
 顔をこわばらせ立ち上がろうとする男を、優男がまあまあとなだめる。
「ほ、本当に、一番部屋を涼しくする方法を考え出した人と、お付き合いしてくれるんですか?」
 彼女が表情を変えずにうなずくと、気弱そうな男は表情を緩ませる。
「くだらない」
 そのとき、ずっと無言・無表情で端に座っていた男が口を開いた。
「そもそも、なんで俺がこの場所に呼ばれているのか理解できないんだが」
 男だけ、他の男たちのような目立った肩書きが一切ない。彼女と付き合いたいという態度を示したことすら、一度たりとてなかったのだが、
「先週の木曜」
 女が小さくつぶやくと、男はわずかに顔をしかめる。出席必須の講義の存在をすっかり忘れていた彼を、女が代返して助けた一件のことを言っているのがわかったからだ。
 男が諦めたようにため息を吐くと、女は笑みを浮かべながら告げた。
「期限はちょうど一週間。勝者には、その晩、この部屋に泊まる権利を差し上げるわ」
 気密性が高い部屋は、男たちの熱気も相まって、より一層暑さが増す。
 女の額に浮かぶわずかな雫に視線が集まる。ごくりと、男たちが唾を飲み込む音が、やけにはっきりと部屋に響いた。

 一週間後。七夕の夕に、男たちは再び部屋に集められた。
「まずは僕からいいかな」
 優男はバッグの中からペットボトルを取り出した。
「おすすめのハーブティを淹れてきたんだ。ミント系の香りは清涼感が増すというし、ね」
 同じくバッグから高級そうなティーカップとソーサーを取り出し女の前に置くと、中身を注ぎ込む。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 気の弱そうな男が、おずおずと手を挙げる。
「そ、それだと、部屋を涼しくしたことにはならないのではないでしょうか」
 他の男たちも、そうだそうだと不平を漏らす。
「それなら、君たちも相伴すればいいじゃないか」
 バッグから紙コップを取り出し、皆の前に置いた優男は、笑みを浮かべながらハーブティを注ぐ。女のカップになみなみと注がれているそれと比べて、その量は舐める程度のほんのわずかなものだったが。
「皆が涼を感じられれば、部屋を涼しくしたのと変わらないだろう?」
 優男の言葉に、意識高そうな男が小さく舌打ちする。気の弱そうな男も口をつぐんでしまった。
「そうね」
 女も納得したようにうなずく、が、
「でも、残念ながらこれは失格ね」
 優男の表情が固まる。「な、なぜだい?」と問う彼に、申し訳なさそうに彼女は告げる。
「私、ハーブティが飲めないの」

「つ、次はぼくがいかせてもらいます」
 気弱そうな男は、持参したクーラーボックスの蓋を開けた。
「こ、これを」
 取り出したのは、冷気を放つペットボトルだった。
「それは、水を入れて凍らせたのかしら?」
 女の言葉に、男はうなずく。
「なるほど。僕とアイデアが被ってしまったね」
 優男がそう言って苦笑するが、気の弱そうな男は首を横に振る。
「こ、これは、飲んでもらうためのものじゃありません」
 男は部屋の中央にペットボトルを置いた。
「この冷気で涼を取るということ?」
 女がストーブで暖をとるように手のひらを向ける。
「そ、それだけじゃありません」
 男はペットボトルを指差す。
「ほ、ほら、ボトルの表面に水滴が付いてきたでしょう。こ、これは空気中にあった水分なんです」
 つまり、除湿効果が働いているのだと男は説明するが、
「その割には、ちーっとも涼しく感じないんだけど?」
 からかうように笑う意識高そうな男に、他の男たちも同意のうなずきを返す。
「で、でも」
 額に汗を浮かべながら、気の弱そうな男は必死になって告げる。
「こ、この水滴の量からすると、確実に0.1℃は下がっているはずなんです」
「それって、誤差みたいなもんじゃん?」
 意識高そうな男の返しに、一同は苦笑するしかなかった。

 微妙な空気が漂う中、突然、インターホンの音が部屋に響いた。
「あ、コレ、俺っちの客だわ」
 意識が高そうな男がそう言って、来客を玄関まで上げてかまわないか女に尋ねる。
「ちょっち待っててねー」
 女の許可を得て、男は玄関へ向かう。しばらくして、急に怒鳴り声が聞こえてきた。
「遅ぇよ。なにチンタラ仕事してるワケ?」
「す、すみません」
「チッ、指示通りにできてんだろうな」
「は、はい。でもあの仕様の通りだと……」
「あァ? なに俺サマに意見してくれちゃってるワケ?」
「い、いえ、なんでもありません」
 そんなやりとりの後、玄関扉が閉まる音がする。
「いやー、待たせてゴメンね。使えない部下を持つと、ホント迷惑だわー」
 ガラリと変わる態度に、男たちがなんとも言えない表情を浮かべるが、
「その箱は?」
 女は気にした様子もなく、視線を男が持つ箱に向ける。
「じゃーん」
 おどけた仕草で男は蓋を開けた。箱の中に皆の視線が集まる。
「……風鈴?」
 そこには美しく装飾されたペットボトルがあった。中には金属球のようなものが紐で吊り下げられている。
「やっぱ、日本の夏といったら風鈴っしょ。まあ、コイツはあんな古くせえガラクタとはひと味もふた味も違うけど」
 男は得意げに自分のスマホを取り出す。
「このぶら下がってるヤツ、実はスピーカーになってるんだよね」
 蓋の部分に取り付けられた小型基盤と繋がっており、無線を介してスマホの音を流すことができるという。
「風鈴の音のサンプルも入れてあるけど、他にも癒し系の環境音や、BGMなんかも流すことができるんだぜ」
「……ぷっ」
 気の弱そうな男が、思わずといった様子で吹き出す。
「あン? 何だよ」
 睨みつける男に怯みながら、彼はおずおずとつぶやく。
「な、なんでもありません」
「なんでもないってことはないだろ。なんで笑ったのか聞いてんだよ」
 そう言って凄む男に、気の弱そうな男は身を縮こませながら掠れた声を出す。
「じ、実際に、音を再生してみればわかるかと……」
 顔をしかめたまま、意識が高そうな男はスマホを操作する、が、
「何も聞こえない、ね」
 優男が首をかしげる。
「い、いや、少しは流れてるじゃん?」
 意識が高そうな男が、焦った様子でペットボトルを皆の前に突き出す。
「確かに、わずかだけど聞こえるね」
 男たちが耳を近づけると、微かに音楽が流れていることがかろうじてわかる。
「そ、そのスピーカーは、携帯電話に使われているものと同じですから」
 要するに、耳元に近づけて聴く用途に特化したスピーカーであると、気の弱そうな男は語る。さらに蓋を閉じたペットボトルのせいで音がこもり、余計聞こえにくくなっている、とも。
「クソッ、マジで使えねぇ!」
 ペットボトルを床に叩きつけ、製作者に対する苛立ちを吐き捨てる男だったが、
「い、いえ、そもそもペットボトルの形や大きさからして、風鈴にする発想自体に無理があったのでは……」
「あァッ?」
「ひぃっ」
 二人の間に立つ優男が、まあまあと宥めながらペットボトルを取り出す。
「ほら、こうすれば風鈴っぽくなるんじゃないか?」
 そう言ってペットボトルを左右に振ると、スピーカーらしき金属球が勢いよく揺れる。
 ぼぅん、ぼぅんと、およそ涼しげとは程遠い音が、静まり返った部屋に鈍く響く。
「失格、ね」
 女は苦笑しながら、意識高そうな男に告げた。
「先ほどの玄関での貴方のほうが、よっぽど肝が冷えたわ」

「ねえ、君。すごい汗だけど、大丈夫かい?」
 じっと黙って俯いたままだった体躯のいい男に、優男が尋ねる。
「……じ、実は」
 男は何も思いつかなかったのだと正直に告げる。皆がそれぞれのアイデアを発表している間も、必死になってどうにかできないか考えていたのだという。
「じゃあ君は、棄権ってことでいいのかい?」
 優男の言葉に、男は焦ったように叫ぶ。
「か、怪談をやる」
 あっけにとられる一同。男は苦し紛れといった様子で空のペットボトルを握りしめ、それをマイクに見立てて怪談話を始めた。
 しかし、男はおしゃべりがそれほど得意ではなかった。
「む、昔むかし、あるところに……」
 出だしから何かが間違っている。その後もしどろもどろになりながら、夏合宿で後輩から聞いたという話を男は続けたが、うろ覚えの物語は話の辻褄があっていなく、途中途中の演技もそこらのスーパーで売っている着飾った大根の方がマシだというレベル。挙句は肝心のオチを途中で言ってしまうという始末。まさに失敗のオンパレードといった有様であった。
「ダサすぎで見てらんねぇ。話より、アンタ自体がお寒いぜ」
 意識高そうな男の言葉に、他の男たちも同意せざるを得なかった。

「もう帰っていいか?」
 ずっと座ったままだった無表情な男が、気だるそうにつぶやく。
「君は、何も考えてこなかったのかい?」
 優男の言葉に、男は無表情のまま告げる。
「俺は無理やりここに連れてこられただけだ。どうしてこんな茶番に親切に付き合ってやる必要がある?」
「茶番だと?」
 意識が高そうな男が眉を吊り上げるが、
「これを茶番と言わずに何と言う? わがままお姫様が男たちにくだらない難題をけしかける。この平成の時代に、かぐや姫かっての」
 いつになっても女の高慢さと男のみっともなさは変わらない。そんなふうに吐き捨て、部屋を出ようとする男に、女の鋭い視線が向く。
「逃げるの?」
 頭を掻きながら男は振り返る。
「そもそも土俵に立ってすらいないのに、逃げるも何もないだろ」
「私が他の男のものになってもいいの?」
 彼女の言葉に、他の男たちが目を見開く。
「俺が決めることじゃない」
 女はわずかに眉をしかめる。
「貴方はいつもそう。勝手に諦めて、逃げてばかり」
「別に逃げているつもりはないがな。そもそも逃げは立派な戦略の一つだ」
「妙に頭は回るくせに、そんなことばかりに悪知恵を働かせて。昔から、やればなんでもできるくせに」
「やればできるってのは、ダメ人間の言い訳だ」
「ええ、貴方はダメ人間よ。だから私が指摘してあげているの」
「大きなお世話だ」
「お世話して何が悪いのよ。言っておくけれど、私は貴方のお母様からダメな息子の世話を任されているのだけれど」
「ガキの頃の話だろ。そもそも俺はそんなこと頼んでいない」
「言わずとも察せるのが、正しい大人の嗜みよ」
「それじゃあ、お前はまだ大人になれていないんだな」
「ええ。貴方がなかなか大人にしてくれないから」
 男が小さくため息を吐く。
「別に俺じゃなくても、お前に相応しいやつならいくらでもいるだろ。現にこうして錚々たる面々が集まってくれているじゃないか」
「私に相応しいかどうかは私が決めるわ。そういうものでしょう?」
「そうか? お似合いの二人、なんてのは本人たちじゃなくて周囲の人間が評価するものだと思うがな」
「そうやって他人の視線ばかり気にして、恥ずかしくないの?」
「お前が言うな。ミスキャンパスなんて言われてちやほやされて、挙句に男たちを集めてかぐや姫気取りときたもんだ。俺には到底恥ずかしくてできないぞ」
「……なによ、人の気もしらないで」
 女が体を小さく震わせる。
「貴方が大学で私を避けるのが悪いんじゃない。またいつもの悪い癖で、自分は一緒にいるのに相応しくないとか、勝手に決めつけているのでしょうけれど」
「勝手な決めつけでなく、大多数が同意する意見だと思うがな」
「だから、貴方が気にするその『大多数』が納得してくれるような方法を考えたのよ」
 学内でも有名な男たちを、知恵比べでもなんでもいいから正面から負かしてくれさえすれば、堂々と自分の隣に立てる名目ができる。そう彼女は考えたのだった。
「なんで俺がお前のことを好きな前提で話してるわけ?」
「嫌いなの?」
 口をつぐむ男に、女は拗ねた様子で続ける。
「そもそもミスキャンパスのことだって、友達が学祭で勝手にエントリーしちゃっただけよ」
「そういえば、あの時のお前、風邪ひいて寝込んでいたものな」
「週明けに話を聞いてびっくりしたわよ。貴方は以前にも増して私に近よらなくなってしまうし、逆に大勢の男たちが集まってくるようになってしまったし」
「まあ、吹けば飛ぶようなハリボテでも、男避けが無くなったらそうなるわな」
「なに人ごとみたいに言ってるのよ」
「正真正銘、人ごとだからな。別に、悪い気はしなかっただろ?」
「……本当の私なんて何一つ知らない男たちに見た目だけでアプローチされても、戸惑うだけよ」
 本当の私、という女の言葉に、男は「ああ」とうなずく。
「ハーブティどころかコーヒーすら飲めないお子様舌だとか、怖い話が大の苦手で、さっきの拙いにもほどがある怪談話すら、実は意外と怖がっていたこととか、か」
「黙りなさい」
「この際だから言っておくが、空のペットボトルが山のように溜まるほどのコーラ好きは控えたほうがいいぞ」
「ちゃんとカロリーゼロのものを選んでいるわ」
「あれは砂糖の代わりに人工甘味料を使っているだけで、体に悪いことに変わりない。暑がりなのは知ってるが、炭酸で清涼感を得たければ無糖の強炭酸水にしておけ」
「相変わらずの健康オタクね」
「お前が気にしなさすぎなんだよ。今はまだ若いからいいが、年取ってから後悔するぞ」
「貴方が傍にいてくれれば、そんな事態も避けられるわよ?」
「……ったく、どっちが世話してんだか」
 突然始まった、痴話喧嘩にすらなっていないやり取り。男たちは呆気にとられていた。
「ふ、二人は付き合っているのかい?」
 ぎこちない笑みを貼り付かせたまま、優男が尋ねるが、
「いいえ」
 首を横に振る動作まできっちりハモった二人の言を、信じる者はいなかった。
「……アホらし、帰るわ」
 意識高そうな男が興が冷めたとばかりに立ち上がる。体躯のいい男も肩を落としてそれに続き、気の弱そうな男は戸惑いを残したまま「お、お幸せに……?」なんて言って首を傾げている。
 
「ちょっと待ってくれ」

 優男はそんな彼らに待ったをかけた。ずっと顔に貼り付いたままだった笑みも、今は消えている。
「君はなんのアイデアも出さなかった。茶番だったとはいえ、勝負は勝負。僕はこんな結果認められない」
 女の気持ちが自分たちに向くことはないと分かっている。これ以上、無駄なアプローチを続けるつもりもない。しかし、こんな何もしない男に負けるのだけは我慢できない。優男の言葉に他の皆も思い直すように振り返る。これは面子の問題だった。
「結局、君が彼女の隣に立つのにふさわしくないという評価は変わらないじゃないか」
 優男だけでなく、他の男たちも鋭い視線を向ける。
「……わかった、わかった」
 男たちに睨みつけられ、観念したように男は両手を挙げる。
「あのな」
 床に置いたままだった自分のペットボトルを取り上げた男は、女をあごで指す。
「コイツはペットボトルを使えと言っただけで、他のものを使うなとは言ってなかっただろ。現にお前らだって、ハーブティやら小型スピーカーやらを使っていたわけだし」
 それがどうしたとばかりに視線を強める男たちに、男は大きく息を吐く。
「だから、こうすればいいんだよ」
 無表情な男は、その口元に初めて笑みを浮かべ——テーブルの上にあったエアコンのリモコンボタンをペットボトルで押した。
 その晩、涼しくなった部屋で男と女が熱い夜を過ごしたかどうかは、本人たちしか知らない。

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