アサーション 入門 自分も相手も大切にする自己表現法

 正直、現代の問題--p.124だけでも一冊分の価値がある。

平木典子=著 講談社現代新書=出版

日ごろの考え方を確かめてみよう

5つの考え方について

まったく合っていない 0

あまり合っていない 1

どちらとも言えない 2

かなり合っている 3

非常に合っている 4

 の点数をそれぞれつける。

A 危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなる

B 過ちや失敗をしたら、責められるのは当然だ

C 物事が思い通りにならない時、苛立つのは当然だ

D 誰からも好かれ、愛されなければならない

E 人を傷つけてはいけない

 そして、「自分のこと」、「他人、周りの人のこと」、「社会、世間の一般常識、ルール」として、3つに分けてみる。


 自分に合わなくなって考え方は、作り直し、変えることもできる。一貫性を保ち続けることに固執し、みすみすチャンスを逃すともったいない。

5つの考え方の影響を変えるためのヒント

A 危険や恐怖に出会った時

「心配の種+アイデア」という考え方をする

  if-then plannningと同じ。心配事を前にして、たちすくみ、視野が狭くなり、適切な行動を取れなくなるのであれば、先に予想し、用意しておく。

①自分の心配は、具体的にどんなことからきているのか?

②心配なことが起きたら、どうすれば対応できるか?

 心配事に対して、もし1人で対応できそうもない時は誰かに相談することが大切。誤解されやすいが、人に相談することが必要と認め、決心するのは「逃げ」や「非主張的自己表現」ではなくアサーション。

 検討して「やめる、やらない」決心をする事は、非主張的になったのではなく、「自分が辞めると決め、そのことに責任を取る」と言う意味で、アサーティブな行動。

「どうしようもない」と考えない

 心配を抱え込んだまま、物事を実行に移すことをやめていくと、心配を次から次えと生じて、やがて心配の山となる。

 心配するだけでなく、その心配をきっかけに「危険を避けるために、何か方法があるのではないか」と実現・実行の可能性を探ることが大切。


いざとなったら「明らめる」あきらめる

 最大限の努力をしても無理な時は無理。前向きな検討を尽くした結果の「あきらめ」はアサーティブな決心。

B「過ちや失敗をしたら、責められるのは当然だ」ろうか?

 Aの心配性の延長。自分を発揮するチャンスを失ってしまう。内心臆病になり、完全主義に囚われ、うまくできそうもないことには挑戦しないようになってしまう。

 過ちや失敗をしないように留意することが大切。とりわけ安易なミスや不注意から起きた間違い、ルール違反などを見逃さず、きちんと直面して回復させる必要がある。

 そして同時に、その失敗は、人間として不完全さから外したものかどうか、その可能性について経過と結果を振り返って見極めることも大切だ。その場合も、否認したり逃げたりせずに自分のしたことが認め、自分が出来る限りの償いをすることができる。

 「人間だから失敗しても当然だ」という自分を許す力も大事。


C「物事が思い通りにならない時、苛立つのは当然だ」ろうか?

 相手の気持ちを考える。「人はそれぞれ異なる考え方をしているので、自分の思い通りに動く事は無い」ことを認め、自分で異なる相手の考え方を理解しようとすることが大切。

 「感情は自分が起こすものだ」と考える。感情は何かに触発されて怒っているが、その感情は自分のものだと受け止め、相手のせいで起こっているわけではない。

D「誰からも好かれ愛されなければならない」ろうか?

 アサーションとは、誰からも好かれるための方法ではなく、自分を知り、かつ自分を最大限に発揮するための方法。自分をまず自分が褒め、好きになり、その自分を好きになってくれる人に出会うことが大切だと考えることが、アサーティブな考え方の基本。

E「人を傷つけてはいけない」ろうか?--大きな落とし穴

「絶対に人を傷つけない」ことは不可能。

メンテナンスのためのアサーション

 ここのメンテナンスの定義は「回復」。現在で言うレジリエンスに近い。

6種類の言葉かけ

「慰め」「励まし」「いたわり」「称賛」「感謝」「あいさつ」

を、日常生活で、相手にも自分にも。

自己実現のアサーション

「承認の欲求」と「自己実現の欲求」

「承認の欲求」を満たそうとしているときは、他者と比較したり、できないことに必死になったり、自己評価を低くしたりするが、ある程度自分をありのままに理解すると、他者との違いを優劣で評価したり、差別したりするのではなく、自分の様々な特徴を自分の中で比べて、より自分らしい特徴を生かそうとするようになる。(他人のものさしではなく、自分の基準を確立する、自己確立)

 つまり、自己実現の欲求とは「自分がやりたいようにやる」という欲求ではなく、「自分の持てるものを最大限に生かす欲求」という意味で使命の達成でもある。

現代における問題

「現代の人々はタスクにエネルギーを使いすぎ、メンテナンスを軽視している」

 安全の欲求がある程度満たされて国々では、社会(親教師、上司など)が人々により高度な課題を与え、その課題に向かう姿勢や行動、そして成果に善し悪しの判断をして承認のサインを送っている。つまり人々は「何かを成し遂げなければ受け入れてもらえない」と言うメッセージを常に受け取っている。

 その人の存在そのものが受け止められ、大切にされる「所属と愛の欲求」を満たす前に、課題の実行や成果、正しい行動を示すことを要求され、それを成し遂げない人は排除されるようなやりとりが起こっている。

 つまり、ライフとワークのバランスが、ワークに偏っている。「所属と愛の欲求」を満たされないまま「承認の欲求」で対応している。例えば、幼い頃からの習い事と、厳しい管理→成績が悪いと「うちの子ではない」という扱いと評価。

 所属していることの安心感→他者との違いを理解しながら自分を確かめ、自分らしくあることの意味を理解している。

 逆に、課題の実行が至上命令で、成績と成果で存在意義が決まるような体験をし続けると、成果を示せない事は自分の存在の否定を意味すると受け止めがちになる。

 そうした人々にとっては、他者からの与えられた基準や「〜べき」「〜べからず」と規定されたことが自分の存在の評価になる。また、自分に合わない手本や物差しを使っていることで自分を見失いがちになる。

 人はサブジェクトではなく、プロジェクトに生きていると確かハーバードビジネスレビューでみた。主体的隷従のやつ。再確認する。世界で同じトレンドの可能性


 しかし「べき」にも活かせる部分がある。

「〜さんはもっと〇〇べきだ」など、そう思う

→自分はもっとできるからなぜそこで「〇〇」しないのかと腹が立ったりしてしまう。

→というのも、その部分に関して他の人よりも得意だったり、こだわりがあったりする部分だから、そう思うのである。であれば、そこは伸ばしていってもいい分野なのかもしれない。

 オリジナリティはオリジン、つまり自分の起源の中からオリジナルが生まれている。まずは自分を知ることから始める。


アサーションの3つのポイント

1 自分の思いを確かめる(自分は、どうしたいのか)

 自分の気持ちが自分でも分かりにくい時は、最もしっくりくる表現を、正直に時間をかけて探ってみる。

2 事実や状況を共有する(相手と、分かち合う必要がある事実はないか)

 日頃のコミュニケーションの蓄積も関係している。両者が自分の思い込みと相手への暗黙の期待で動くのではなく、日ごろから事実や状況を共有しておくコミニケーションをすることが大切。

 「以心伝心」には頼らない。「言わなくてもわかってほしい、わかるべき」なんてことはない。

 例えば、列に並んでいて人が割り込んできたと感じた時、いきなり「並んでください」と自分の要求を言うよりも、「ここ並んでいるんですよ」と客観的状況を伝えると話し合いがしやすくなる。情報や状況を共有する事は互いにとって交渉や話し合いをしやすくなる共通基盤となり同じ土俵に乗って話し始めることができる。


3 提案は具体的に述べる(とりあえず、ひとつ提案をしてみる)

 複雑で、ある種の交渉を必要とする場面でのアサーションは、状況の説明や気持ちを伝えるだけでは問題解決ができない場合がある。自分の提案を具体的に提示してみることが大切。例えば、「今回は断りたい」「一部は引き受けられる」「期限を延ばしてくれるなら」など。

 正直者は嫌われる? という誤解

 「本当の自分」に正直になりたい、「自分らしくありたい」からと、思ったことをすぐ口にする先輩がいた。本人はそれで満足している様子だったが、先輩の同級生の表情や空気を見ると、その方法で良好な関係を築けているとはとても言い難かった。

 確かに、自分の気持ちに素直になって認識するまではいいが、その気持ち自体も育ってきた環境、経験からきているもので、完全に本当の自分とは言えない。つまり、自分に正直になったつもりでいるかもしれないが、実際にはある程度のバイアスなどに縛られているということだ。そうしたバイアスが、現在進行形で起きていることに「反応」して、私たちは思考し、行動している。

 それに、仮にそのバイアスを通した言動が「自分らしさ」であったとして、攻撃的自己表現で、他人の「らしさ」の権利までを奪っていいことにはならない。

 どういう経緯で先輩がそう思ったかにせよ、まず、正直になるとはどういうことかを再考する必要がある。本当に正直になりたいのなら、そうして自分を縛るようになったり、社会に通用しなくなった考え方やものの見方は、また学習し直して、作り変えたほうが良い。よりふさわしい「反応」の仕方を習得する。そうすることで気持ちに余裕ができて自信がつき、アサーティブな自己表現をしやすくなる。

 その結果、今までは自分本位でしかなかった攻撃的自己表現から、半分は相手のことを思いやったアサーティブな表現を学んでいく。そうしてようやく、自分に正直になっても軋轢を生むような自己表現はしなくなるだろう。

 まとめると、

①まず自分のものの見方を確かめて、それがどのようにして形成されたのかを振り返る。

②すると自分らしさが分かり自分を受け入れることができる。

③受け入れることで自分が楽になったら、そのままでも良いし、考え方を変えることがより自分らしいと思ったら変えても良いわけだ。

 相手も同様に、その人らしい考え方生き方をしたいと思っている可能性があり、相手が変えようと思えば変えることができることも覚えておくこと。

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