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便利な社員から抜け出したい!

建築が好き、絵を描くのが好き、ものづくりが好き、デザインが好き、カメラが好き、本が好き、イベントが好き、食べるのが好き、飲むのが好き、料理が好き、遊ぶのが好き、働くのが好き。

あれもこれも楽しかったのに、いつのまにかやりがいというものを見失って、新しい刺激を求めなくなって、人とあまり関わらなくなって、ただただ与えられた仕事をこなし、ノルマのように日々を過ごし、蓄積していった不満とか疑問とか無感動とか、もうずっと心の中で体育座りをしているような、そんな自分をどうにかしたいという気持ちを両手いっぱいに抱え込んで、すっきりきっぱり抜け出せるまでを書いていく。

このnoteは、2018年の私が現状をどうにかしたくて始めました。
今回、私の所属する前田デザイン室でのプロジェクト「ぬけだ荘」のコンセプトである「〇〇から抜け出す」にぴったりはまっていたため、こちらをプロジェクト参加の決意表明とします。

無感動の日々

明確にこれだろうとは言い切れないけれど、始まりは多分「仕方ない」ことが増えたから。そうなったのはもう5年も前になる。(2018年現在)

私は小さな会社で飲食店の広告デザインをしている。当時は入社3年目くらいで、一通りの仕事がこなせるようになり、一人で1から10、余裕があれば1を足せるようになった頃、経営と経理を除いた会社の仕事をほぼ全て私がやることになった。
どうしてそんなことになっているかというと、デザイナーが足りないどころか、社員が私一人になったから。

元々インハウスで仕事量もある程度決まっているので、社長と営業事務・倉庫管理のAさん、先輩デザイナーBさんとたまに来るアルバイトさんと私という少人数の会社で、デザイン業務も二人いれば十分に回せる仕事量だった。この会社に入ったのは目標達成までの第二段階(勉強時間確保)としていて、入社時に社長とBさんにもある程度の展望を伝えて仕事量も余裕のある配分にしてもらうことが私からの条件だった。デザイナー補佐が欲しかった会社と、私からの条件が合致した形だ。

けれど、その条件はいつしかないもののように扱われるようになった。

まずAさんが産休に入ったため彼女の仕事を私が全て引き受けることになった。そしていつのまにかBさんも外注になり部分的な仕事のみを請けるという形になっていた。…Bさんの本来やりたかったことが軌道に乗ってそちらをメインにするからということだった。それ自体は本当におめでたいことなので、素直に喜べはした。

けれど残りの仕事がそのまま私にスライドされてきた。ここでまた「仕事量的にはこなせないわけではないし、仕方ない。」と思ってしまった。これがいけなかった。

なんとか回せるようになった一年後、Bさんは自らのやりたかったことをこなしながら妊娠・出産。それを受けて、すでに週6フルタイムで働いていたところにBさんが請けていた会社のメインと言っていい仕事も私に回ってくるようになって、前以上に時間も休みも関係なく打ち合わせも電話もメールも入ってくるようになった。それでも私は「落ち着いたら戻って来ると言っていたし、それまでの辛抱だ。仕方ない。」そう思ってしまっていた。

1度目の「仕方ない」から一年ちょっと。もう麻痺していたのだと思う。


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このnoteを書いた日から、約2年が経ちました。
未だにこの会社に所属していますが、なんとか今年の夏に独立できそうというところまでやってきました。独立して自分のスキルでやっていけるようになってやっと、本当の意味で「私のぬけだ荘プロジェクト」が成功したと言えると思うので、自分を見つめ直し振り返りながら、抜け出せるまでを書き続けていきたいと思います。

最後までお付き合いありがとうございます! スキ・コメントいただけたら嬉しくて画面の向こう側で小躍りしてます。