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「楽しい?」と聞かれた時に考えること

「それ、楽しい?」は「はい」か「いいえ」で答えることができる疑問文である。それなのに、私は最近この質問をあらゆるシチュエーションで投げかけられるたびに、あれこれ御託を並べてしまいたくなる。すべて好きでやっていることなのに、「はい」と答えるだけでは、心と言葉が一致しないような違和感をぬぐえない。

最近、大学でやっていたスポーツをある先輩から声をかけて頂き再び始めることになった。一人ではできないスポーツなので突然訪れた機会に感謝しつつ、嬉々として参加している。やはり体を動かすと清々しい気分になる。しかし、とはいえ、コロナ禍でますます怠惰に慣れた身体にダッシュはきつい。ちょっとしたジャンプすら腰にくる。極めつけには土の上で、人前で、転ぶなんてことを久しぶりにやってしまった。そんな恥ずかしさすらも吹っ飛ばすほど体を動かすのは気持ちがいいのだが、やはり自由自在に体を動かせていた当時のことを思うと、もう少しトレーニングを積んだ方がもっとやりがいがあるのではないかとも感じる。

さて、ということで私は早速運動を始めた。ランニング、腹筋、背筋等々。
歯を食いしばりながら腹筋をしていると人は聞く。

「楽しい?」

楽しい?果たして私は楽しいから筋トレをしているのだろうか?
毎回聞かれるたびに「ウン、楽しいヨ!」と答えているのだが、前述の通り、心と言葉が一致しない感覚になる。
もちろん会話に意味なんてなくても、重ねることに意味がある。ただの世間話の一種だということは分かっているのだが・・・。

楽しい、とは少し違う気がする。もちろんスポーツも好きだし、上達するためのトレーニングも嫌いではない。ただ「楽しい」と表現すると少し違う感じがする。もっと考えてみると「文章を書くのが楽しい」「テニスをするのが楽しい」というのも間違ってはいないのだが100%言い当てているわけではないような気がしている。

なぜなら、楽しいからやっている、というよりは、吸い寄せられている感じがするからである。飽き性な出不精、何をやるにも腰が重たい人間であるから、頻繁に繰り返しているわけではないが、自分だけの空間、もしくは誰かと共有する空間に閉じ込められ、その空間を味わっているような感覚になるのである。その過程で辛いこともあるのだが、なぜかその空間にいることがたまらなく好きなのである。「没頭」とか「夢中」という表現が一番しっくりくるのかもしれない。


考えてみると、私の中の「楽しい」は「リラックス・娯楽」というイメージなのかもしれない。私が思い切り「楽しい」といえる時は、何かを見て、あるいは聞いて大笑いしている時だとか、散歩しながら喫茶店をめぐっている時等である。たいていリラックスしているし、たいてい苦痛は伴わない。

しかし、「楽しい」という言葉はもしかするともっと広い言葉なのかもしれないと思ったのは、goo辞書で「楽しい」という言葉を調べてみた時である。

「楽しい」とは「満ち足りていて、愉快な気持ちである。」という意味らしい。満ち足りている気持ち、であれば前述のような、何かに夢中になって、必死になっている様も「楽しい」に入るような気がする。

「気持ちが満たされている」ことが楽しいことならば、それは思い切って「はい」と言えばいいだけの話なのか。
ただ、やはり「達成」「没頭」「夢中」、もっとしっくりする言葉があるのかもなぁ、なんて思ってしまうから、「楽しい?」と聞かれるとちょっとした反発が生まれてしまうのかもしれない。







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