涙の遠ざけ方
前へ前へ、と進んでいた窓枠の景色が急に止まる。
急ブレーキで体が前傾したため、ハンドルを握る手で体を支えた。
私は一瞬状況が呑み込めなかった。
「赤信号ですね」
助手席に乗った検定員は斜め上方を指さしてそう告げた。
検定終了の合図だった。
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先日自動車学校の卒業検定だったのだが、赤信号をスルーしようとして検定員にブレーキを踏まれた。
車通りの少ない道路で速度標識に気を取られ、全く信号を見ていなかったのだ。茫然自失。かなり強いショックを受けた。
卒業検定自体は昨年受けれるはずだったのだが、雪の影響で見極めと試験が中止になり受けれず、そのせいで卒業検定自体も前倒し。急遽1月に受けることになったのだが、仕事の関係で受けれるのがこの日しかなかった。
つまり卒業は早くとも2月までお預けである。転職に向けての準備も今月合格する前提で進めていたのでこれでまたスケジュールが狂った。
なんでそんな大事な時にそんなアホなミスするんだよ。
しかも理由が理由なのでなんか運転する自信も普通に無くした。
だって信号だよ、信号。人が歩いたらどうするんだよ。
「緊張してたんだよね。次落ち着いてやれば大丈夫だからね」
オンライン授業でいつも見ていた教官が優しく言うので余計惨めな気持ちになった。別に緊張もそこまでしていなかったのに。ただ運転が下手な奴なだけだったのである。いろいろと考えていたら涙が出てきた。
一回でたら止まらないのに。やだなぁ。
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泣くと疲れるから、できるだけ泣きたくない。
泣くのは我慢した方が楽だ。
なぜか涙が出てくると
「悲しい」「悔しい」は頬を伝うごとく広がっていく。
自分のことが上手く騙せなくなる。悲しいことから目をそらせなくなる。
自分の脳が「涙」を悲しみの烙印とみなすから、私も悲しみから逃げられなくなる。さらに涙が出てくる。そんなループが繰り返されると、悲しみもいつの間にか大きくなる。
だからできれば泣かない方が楽なのである。
泣いている最中は自分の感情から逃げることができない。
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にも拘わらず、悲しいことがあったら
一旦涙を流さないと私の身体は気が済まないらしい。
大げさに悲観しないと、切り替えが付かないらしい。
睡眠15時間、食費2000円。これが切り替えまでのアベレージである。
布団の中で悲しみに暮れ切ったあとに冷静に考えるととてもくだらない時間を過ごしたと思ってしまう。タイパもコスパも悪すぎる。
でもこのくだらなさこそ、正気に戻った時に真価を発揮すると個人的には思う。気持ちがだんだんと上に向いてくると「うわ、なんだかたくさんのものを無駄にした。さっさと切り替えよう」という気持ちになることができる。落ち込んだ時に無駄にすればするだけ、「ちゃんとしなきゃ」と思うことができる。どうせ食べて寝る事しかできない精神状態なのだし。今のところこれが私の立ち直り方の最適解である。
惰眠を貪ったあとは2、3日前に書いたメモが私を助けてくれる。私は歯磨きひとつとってもTODOリストに書かないと遂行できない人間なのだがそれも落ち込んだあとの立ち直りには大変役に立つ。行動したり手を動かしたりすることで余計なことを考えなくていいという側面はありますよね。
幼いころから一旦落ち込むと涙は止まらないし、思考はネガティブな方向へ振り切れる。しかしそれは宿命だと受け入れるしかない。
そこまで落ち込まないと立ち直れない星のもとに生まれてしまったので、底に落ち込まない方法ではなく、いかに早く戻ってこれるか、である。そのスピードは年を取るにつれて早くなっている気はするのだ。
いつも大丈夫だった。大げさに悲しみという名の洞窟をわざわざこしらえてそこで幾分休憩しなくてはいけなくても、きちんとでてくることができる。やがて走り出して、幹線道路を走る普段の自分と合流できる。だから今日も大丈夫。さてここから通常運転。
アイコンを変えたい、、絵が得意な人にイラストを書いてもらいたいなぁと考えています。サポートいただければアイコン作成の費用にかかるお金に割り当てたいと思ってます。