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「風の便り」と普通に出会いたかった。

  カッコいい言葉や美しい言葉を使いこなしたいと思うが実際に使うと口元がおぼつかない。そんな言葉の一つに「風の便り」がある。

 「風の便り」という言葉にビビッと来たのは、ある本を読んでいた時。「風の噂」は誤用で、正しくは「風の便り」である、ということを知った。

「風の便り」は、風が伝え手となって何かを知らせてくれる、あるいは風そのものが使者であるというのが本来の意味。それはやがて、どこから伝わってきたともわからなうわさ、だれが伝えたとも言えないような話という意味になる。いかがであろう。どこかでつかってみたくなることばではないだろうか。(「悩ましい国語辞典」著:神永暁)

  著者の神永さんの問いかけに思わず首を縦に振ってしまった。手紙が風になびいて、出会ったことのない誰かへと渡される様子を想像し、「風の便り」というこの美しい言葉が失われるのは惜しい気がして、自分も使ってみたくなったのだ。

 念のためことわっておくが、別に「言葉の乱れ」についてとやかく言うつもりでこの文章を書いているわけではない。私は「言葉の乱れ」に対してうるさくないどころか、自分が正しい日本語を使えているという自負すらない。言葉の変化に抗えるほどの知識や信念もない。だから突然どこからともなく現れた「エモい」も、躊躇なく使ってしまう。(もちろんTPOは選ぶけど)

 ただ、美しいものは守りたいし、身に着けたい、と思う気持ちをそれなりに持っていて、今回美しいと思った対象が景色や宝石ではなく「ある特定の言葉」であった、という話だ。

 とは言えなかなか口語だと「風の便り」を使う機会がない。書き言葉で使う機会があれば、すかさず差し込むことはできるが、あまりに使い慣れず、ただ風に任せて存在しているだけの風見鶏を力づくで方向転換させているような気分になった。それに「風の便り」の文面が「ゴシップ」的な内容だと、それは何だか似つかわしくない気がした。その場合は誤用だとわかっていても「風の噂」を使ったほうがいいような気がしてしまった。

 その度に「風の噂」よりも先に「風の便り」という言葉を何の先入観もなく知りたかった、と思う。「風の便り」という言葉のきれいさを相対的にではなく、絶対的にきれいな言葉として出会いたかった。自然によくある慣用句として平然と使い、ある日よく考えてみるときれいな表現だな、とふと思うくらいでよかったのに。

 そんなことを思っていると、先日読んだ本の中に「風の便り」という言葉を発見した。森鴎外ではなく川端康成のほうの「舞姫」では、(本当は森鴎外の方を読みたかった)ある親子が「廃人」になった方の話を「風の便りで・・・」という話始めで語っている。私だったらどうだろうな、落ちぶれた人のことを「風の便り」なんていえるかな。

 まぁ、川端康成は文豪だし、昔の人なので「風の便り」くらい普通に使うだろう。

 なんとなく、川端康成以外にも現代でも「風の便り」という言葉を自然に使っている人の存在が気になり、ツイッターで検索してみた。

 すると、もちろん何件かのツイートがヒットした。私が見つけたその「風の便り」の文面は様々であった。

 それはまだ読んでいない漫画や小説の展開がどうなるか、だったり、あるグループに所属しているがいつもグループ内に回っている情報は噂で聞くんだよね、という愚痴だったり、遠くに住んでいる何年前にあったわからない知人の近況だったりした。その中にはやはり、男女のいざこざや少し言いにくいことなどもあったりした。「風の便り」ネイティブにとっては、内容がどうであろうと、それが「どこからともなく耳に入った噂話」であれば「風の便り」と表現できるのだ。

 いかなる事象においても、力むことなく凪のように送る「風の便り」ネイティブを見ると嫉妬と安心が混ざった不思議な気持ちになる。それと同時に、手紙の文面に書かれている、実際には見たこともない事実を「きれい」とか「きれいじゃない」とか勝手に決めつけるもんでもないな、と少し反省もした。

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