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汝を知れ _『リファ』#33【小説】

 インタビューは佳境に入った。

 「二ノ宮さんの家族形態に批判的な人たちの存在を、どのように受け止めていますか?」と私は聞いた。二ノ宮は、落ち着きを纏ったままで答えた

 「夫婦別姓の法案ですら、認められない人がいる。直接的には批判しないにしても、こういった新しい家族形態を受け入れ難い方もいらっしゃいます。正義の反対って正義なんですよ。そういう方には、僕たちが楽しく暮らしている日常の風景を見ていただくのが一番だと思うんです」

 「日常、ですか」

 「『血のつながりなんて、関係ない!』と何度叫ぶよりも、保育園にお迎えに行った僕に走って抱きつきに来る子どもの姿や、親族で楽しくごはんを囲んでいる姿とか、日常の中で当たり前の景色になっていくことが大事。リアリティをもった存在として受け取ってもらうことで、時を経て、雪解けしていくんじゃないですかね。周囲から家族として認められなかったとしても、僕たちは家族だとの揺るがなさもありますしね」

 二ノ宮は、明るく言った。「でも」と続ける。

 「だからこそ、かつての自分は、自分の家族をつくることを”諦めさせられていた”という意識に気づきました。子どもがほしい、子どもを育ててみたいとの願望がありながらLGBTQだから諦めるとか、血のつながりがないから諦めるとか、そんな理由でこんなにも素晴らしい人生の機会を選べない、社会から諦めさせられている現状は絶対に変えたほうがいい」

 二ノ宮は、再びコップの麦茶を飲み干した。語気が強まる。

 「法的な関係性がなくても子育てはできるし、血のつながりはなくても愛情を持って家族になれる。だからこそ、自分たちの家族が法制度から漏れていることへの漠然とした不安があるんです」

 二ノ宮は一気に話してから、言葉に詰まった。沈黙している。

 「漠然とした不安、もう少し聞かせてもらえますか?」

 私はまだ、ニノ宮の言葉で聞きたかった。言葉にならない間にも、想いがある。二ノ宮は、ゆっくりと続けた。

 「家族が病気やケガをした、仕事を失ったというときに、社会から理解されずに引き離されるのではないか。子どもやパートナーたちを守れるのか。不安に襲われます。制度に守られていることは、有事のときこそ重要なんですよ」

 二ノ宮のあらゆる記憶と、思いが流れた。私は静かに待つ。二ノ宮は、机の上で重ね合わせていた手のひらを組み替えて、握りしめた。

 「法や制度は、人がよりよく生きるためにあるもの。変えていきたい」と言った。

 静かながら強い意思が、波動のように伝わってくる。既存の社会ルールに自分たちを当てはめるのではなくて、制度のほうを修正する。それによって、自分や大切な人たちの生きやすさを得ようとしている。

 二ノ宮の実人生と、セクシャルマイノリティの人たちを取り巻く社会課題が、歯車のようにカチッとはまる音がした。

 私は、無言で首を縦に動かす。やはり私には、輝かしい人だった。

 「そろそろ時間になりましたので。ヨンエさんのほうから追加質問をお願いします」と事前に約束した通り、私はヨンエさんにバトンを渡した。隣にいて沈黙を守っていたヨンエさんは、深く息を吸い込んでから尋ねた。

 「トランスジェンダーであることが、二ノ宮さんの人生を二ノ宮さんたらしめてきたともいえますよね。いまはもう、このセクシャリティに生まれてよかったと思えていますか?」

 ヨンエさんの一連の様子から、彼女はここに来る前から、たった一つの質問をもってきていたのだとわかった。私もからだが自然と前のめりになる。二ノ宮は、ヨンエさんの質問を聞くやいなや、返した。

 「まったくない。目覚めたらちんちんが生えてたらいいのにって思いますよ、いまも。男性のからだになれるのであれば、それに越したことはない。ずっと心とからだが合ってない、間違えいる感覚なので」

 これまで行儀が良すぎるぐらいだった二ノ宮から、本音の扉が少し開いたように感じた。いま幸せだからというのと、それを乗り越えたかどうかはまた別の話なのだろうと思った。

 それを当たり前に持っている人の多くは、彼らのマイノリティ性を個性と思いたがる。障がい者である当事者以外が「障がいは個性だ!」と言うのは、世の中の側にあって是正すべき障害を見えなくさせるのに。

 二ノ宮は勢いで吐き出したような言葉を整えるように、続けた。

 「でも、男性のからだになりたいとどれだけ願おうが、現実的に生まれ変わることはない。いまある自分の素材をすべて生かしたうえで、自分の人生を楽しむ。それしかできないと思ってます」

 道がないなら道を作ってきた人の言葉が、説得力をもって染み入ってきた。ヨンエさんの顔を見る。表情から感情を読み取りづらい彼女の何かを刺激したようで、二ノ宮からの返事を、彼女はしばらく考えているようだった。

 インタビューを終えて、二ノ宮の事務所を出る。七月の四時半はまだまだ陽が高い。夏が本番を迎えている。

 一階まで、マネージャーの桜井が見送ってくれる。一緒にビルのエレベーターに乗ると、桜井の上背の高さに圧倒された。190センチに近そうだ

「前回も今日も、二ノ宮からこれまでに聞いたことのない話もあって。僕も感慨深いものがありました」と、桜井は感想をくれた。大きな体躯から放たれる声は、おっとりとして滑らかだった。桜井は目を細めて、続けた。

 「私の母が生まれたのは、南アフリカなんです。アフリカには、『私たちがどこから来たのか知らない限り、どこへ向かうのか知ることはない』ということわざがあります。オープンにしながら自分自身や家族と向き合ってきた二ノ宮さんのそばにいると、そのことわざを思い出すんですよね」

 私は、胸を突かれたような気持ちになった。

 二ノ宮も桜井も、なぜこうも私に接続点のあることを語りかけてくるんだろう。アフリカのことわざについてしばらく考えていた私に替わって、「歴史を背負っているような、どこか悲しみを伴ったことわざですね」とヨンエさんは言った。

 取材のお礼を言い、桜井と別れた。

 ヨンエさんと並んで歩く。新宿三丁目の交差点で横断歩道を待つ間、「ちょっとお茶しません?」と私はヨンエさんを誘った。「いいね」と彼女は賛同し、「今日は暑さがマシだから、少し歩かない? 三密も避けられる」と続けた。

 交差点を渡った先にあるスターバックスに、二人で入った。



つづく

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