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逮捕とヘイト _『リファ』#06【小説】

<<前回を読む_#05偏見と鬱屈

 
 「梨華さん、仕事どんな感じなん? 余裕ある?」

 リビングで開いていたノートパソコンの右上に、通知を知らせる表示が出る。リベラル系ウェブメディアで副編集長をしている元同僚の、朴英美(パクヨンエ)からのMessengerだ。

 フリーランスライターの仕事の依頼はここ数年で、メールや電話だったところからMessengerやLINEに切り替わった。TwitterのDMで依頼が来ることも少なくない。

 「お世話になっております」といった本題へのクッションとなる儀礼的な会話をすっ飛ばせるのは気楽で効率的だが、何か大切なものを失ってしまったような気分にもなる。

 梨華さん、ヨンエさんと呼び合っている彼女とは、15年近いつき合いになる。新卒で入った出版社で同じ編集部にいた。2歳上の先輩だった。

 どちらも出身が関西だというのがとっかかりになり、すぐに打ち解けた。

 彼女は在日朝鮮人で、親の方針で中学まで朝鮮民族学校に通い、教室の壁に写真が掲げられた金日成・金正日・金正恩の三代を崇拝していたらしい。

 聡明な少女は何か考えるところがあったのだろう。高校は日本の公立校を受験し、国立の大学へ進学した。そこから報道の現場で働くことを希望して、テレビ局のディレクターか新聞記者を目指したがどちらも採用されず、受かったのは総合出版社だった。

 配属先は、カルチャー誌の編集部。週刊誌への異動願いを出し続けるも叶わわず、置かれた場所で粛々と編集記者のいろはを身につけてから、彼女は今のメディアに転職をした。

 私は長男出産を機に退社してフリーランスになった時期で、そこから外部ライターとして彼女と定期的に企画を共にしている。仕事仲間であり、良き友人でもある。

 「どんな企画なんですか?」レスをすると、特集を予定しているという企画の詳細が書かれたPDFが添付されてきた。

 「家族のかたち」という大タイトルで、ステップファミリーや、同性カップル、国際結婚を経て特別養子縁組で子どもを迎えた家族など、既存の家族像や家族観に収まらない人たちを取り上げるインタビュー企画だった。

 私への依頼は、出生時に割り当てられた性は女性ながら自認は男性で、パートナー女性との間に精子提供を受けて”父親”になったトランスジェンダー男性、二ノ宮薫への記事だった。

 第一子の誕生から二年を経て二人目が誕生したばかりらしく、全五回で短期連載のようなかたちで、インタビューを掲載する予定だという。

 二ノ宮薫は自身の半生や自分の家族をオープンに語るだけでなく、LBGTQの人たちの認知を広める社会活動家として、ど真ん中で声をあげてきた人だ。そのアクティブでまっすぐな行動力を密かに応援していた私は、「やるやる!」と二つ返事をした。

 「どこかで打ち合わせがてら、ランチしよ。取材はオフラインの予定」

 ヨンエさんからすぐレスがくる。

 これまでどれだけ、多くの人が思考を止めたままだったのかと思う。仕事と出勤することはセットだった。それがコロナによって外出が制限されたことで、リモートワークが一気に広がった。

 フリーライターの働き方も変化した。インタビュー取材を、実際に対面するオフラインで行うか、画面越しのオンラインで行うか。対面する以外にありえないのが取材の常識だったところが、一気に崩れた。

 事前の打ち合わせも、オンラインで行う。取材も打ち合わせも実際に会わずして行うことは、予想した以上に問題がなかった。

 業務に対して対価が支払われるフリーランスにとって、移動時間がゼロになったことでコスパは上がったし、オンラインでの取材画面を出ればすぐに書く作業に移れる。メリットは多かった。

 それでも、対面で行うほうが、得られる言語以外の情報は格段に多い。企画や取材内容に応じて、オンラインかオフラインか決める。選択肢が増えたのは、コロナによる恩恵の一つだ。

 「いくつかある二ノ宮さんの著書は、こっちで買って読んでええです?」

 ヨンエさんにメッセージを送ると、OKを表す、親指を立てたグッドスタンプが返ってきた。簡潔なやりとりで、仕事が決まった。

 二ノ宮薫の著作を三冊ネット書店で注文したあと、二ノ宮の記事を検索する。ある記事に、スクロールする手が止まる。

 パートナーの女性との交際を、女性の両親から何年も反対されていたことを振り返って二ノ宮はこう語っていた。

ーーお義父さんもお義母さんも、悪気はなかったんです。根底にあるのは、わが子に幸せになってほしいという想い。LGBTQ当事者がハッピーに生きている未来が見えないから、その周辺にいる親も自分の子どもの幸せな未来を描けない。でも、幸せに暮らす当事者がいると見えるようになれば社会も変わるし、社会が変われば人々の理解が変わっていく。そう思って諦めなかったことで、交際が認められました。

 あるいは、第一子が誕生して四ヵ月というタイミングで、精子提供を受けて子どもを授かったことを包み隠さず発表したことについては、葛藤を経ての選択を、正解にしていた。

ーー子どものことを世間に公表することは、最後の最後まで悩みました。彼女やKさん(精子提供者)にそれぞれの意思を確認することはできるけれど、子どもにはできないから。公表を決めたのは、この子が大きくなったときに、オープンにするかしないかを心配するような世の中でいいのかと疑問があったから。発信をすることで世の中が動けば、この子にとっても生きやすい世の中になる。隠して生活を続けるのは、僕たちにとって現実的ではない。そう考えるに至ったんですよね。振り返っても、第一子が生まれてすぐに公表してよかったと思います。

 なんて、輝かしいんだろう。

 自分自身の生きづらさを、生きづらくしている周囲の環境のほうに目を向けて整えている。二ノ宮は、自分や自分の大切な人が居心地よくいられるように、地道に動き、実際に世の中を動かして変えているのだった。

 私は尊敬の念を抱きながら、決められたルールの中だけであがく自分にふがいなさを感じる。

 二ノ宮から放たれるまっすぐな言葉を直視できなくなり、記事の横に表示されていたニュースに目をやる。

 「南美貴 逮捕」という、よく知る女優の名前が衝撃的な見出しと一緒に出ていた。

 慌ててクリックすると、大麻所持で捕まったらしかった。

 カーキ色のトレンチコートの襟を立て、サングラス姿で堂々と警察署に連行される南美貴を切り取った写真に、らしさを感じて吹き出してしまう。

 南には、雑誌編集部にいた時に三年ほどコラム連載をしてもらったことがある。絶世の美女と呼ばれる部類に入る顔とスタイルを備え、20歳にして映画やドラマの主演を担いながら、会見などで放たれる何気ない一言にも慈悲と知性があった。

 文章も書けるのではないかと、なんでもいいから徒然なるままに毎月一回誌面で連載しないかとマネージャーに持ちかけた。快く引き受けてくれた。

 グルメや美容の話題に終始するのかとの予想に反して、劇作家との問答から役への思索だったり、彼女が好んだ芥川龍之介やドストエフスキーについての独自レビューだったり、母との間にある軋轢や葛藤だったり、小説家の優れたエッセイのようなものが毎月遅れることなく届いた。

 「彼女の新しい魅力が引き出されている」と、読者からの評判も良くて人気コラムとなる。連載に書き下ろしを加えたエッセイ集として本にしたら、ベストセラーになった。

 原稿受け取りのやりとりを通して知っていった彼女は、大洪水で激流が起こる川の中でも、何にも寄りかからず、まっすぐに立ち続ける一本の樹のように凛としていた。

 一方で、自らの感情に正直すぎる彼女が、芸能界の荒波で飲み込んでいることも多いのだろう。支えてくれる誰かはいるのだろうか。そんなことを勝手に案じていたりもした。五歳以上も歳下の彼女に、私ははっきりと憧れていた。

 Twitterを開くと、「南美貴 大麻 逮捕」はすでにトレンドワードになっていた。

 スポットライトをど真ん中で浴びていたタレントの転落は、蜜の味なのだろう。

 ニュースに反応した有象無象のアカウントが、「​違法薬物をめぐる噂が以前からささやかれていた​らしい」「元カレが薬物に依存していたとか」「キメてやってたんだろうなww」などと、あることないこと連ねていた。公人には何を投げてもいいという集合知は、どうやって育まれたのか。

 名前も顔も隠した安全な場所から放たれる、無責任で軽い言葉に嫌気が差す。

 勢いにまかせて放たれる言葉の背後に、嬉々としたものを受け取れることが薄気味悪い。まるでお祭りのような盛り上がりだ。

 週刊誌やネットニュースに自分のことをあることないこと書かれても、飄々としていた南は気にしないだろうが、最近は会ってないとはいえ彼女に好感を抱く者として気分が悪い。

 そんな悪意の雑踏で目についた言葉に、息が止まる。心臓をアイスピックで突かれたような鋭い痛みが走った。

 逮捕されたことで、南美貴の本名として、韓国名であるナンミキが報道されたことによるものだった。

 「在日め」「日本人だと信じていたのにだまされた」「やっぱり、チョンだったのか」「​いくら日本で生まれ育っても、所詮は韓国人の野蛮な血」「日本で起こる犯罪はいかに韓国人によるものが多いか」「国に帰れ」ーー。

 今回の逮捕は、南個人の問題であって、彼女の出自とはなんの関係もない。

 にもかかわらず、南という人間が在日というカテゴリーに回収され、ヘイトを声高に叫ぶことが許されていた。

 ドロドロした沼に、足元が取られていく。

 「良いことをしてもそう言われないけれど、何か悪いことをしたら『在日だから』と言われる」かつて聞いた母の言葉が、現実感を持って思い出される。

 全身が深く沈んでいくような倦怠でアプリを閉じると、別の部屋で仕事をしていた太一がと牧歌的な調子で声をかけてきた。

 「チャーハン作るけど、食べる?」

 返事をせずにいると、「うまいよ。昨日煮込んでおいた自家製チャーシューで作るからね」と重ねてくる。

 内側でぐるぐるしている忌々しさを、太一に聞いてもらおうか。

 「気にしすぎ」と、はねつけられることが簡単に予想できた。私は煮えたぎるものを内部に留める。

 「ありがとう。食べる!」

 不安をごまかした。



つづく
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