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コロナと東京五輪 _『リファ』#08【小説】
桜の時期が終わると、草や木々の葉の緑がその色に力を持ち始め、彼らの命が競い合うようにみずみずしくひらく。
緑の濃度が上がり、もうすぐ夏が来る、そう予感させる新緑の時期が好きだ。
葉と銀を寝かせたあと、太一と二人で静かになったリビングの窓を開け放ち、私は夏の訪れを歓迎する。
ただ、例年の五月とは大きく違う。
新型コロナウィルスと共に生きる世界での、マスク着用と手洗いの徹底、人の集まりを避ける生活は続いていた。
二度の緊急事態宣言が発令されて感染者数を減らし、解除して感染者数を増やすコロナとのいたちごっこが続くなか、ワクチン接種が医療従事者や高齢者から優先的に始まろうとしていた。
感染リスクが低いとされる三十代の私や太一がワクチンを打てるのは、報道によるとまだ先になる。
最初にインドで確認された変異ウィルスが、国内でも徐々に広がってもいる。まだまだ猛威を振るう従来のウィルスより感染力が強い恐れもあり、国内の緊張感はまた高まってきた。
変異株は重症化しやすく子どももかかりやすいとの分析もあり、さらに変異株の中でも懸念される英国型、ブラジル型、南アフリカ型は、現行のワクチンを接種しても効果がないとの見解もある。
世界の新型コロナウィルス感染者数は一億三千万人、死者は三百万人を超えた。国内は、死者数が1万人以下と先進国の中ではコロナを抑えられているほうではある。とはいえ、変異株の感染者数は都市を中心に増え続けていて、最も状況が深刻な大阪が週末から三度目の緊急事態宣言を発令する。
そんなパンデミック下で、四年に一度の祝祭の開催地として引き当てた東京は、呪われているとしかいえない。
一年延期されたものの、世界や国内の感染状況は一年前より悪い。笑えない冗談のようだ。
五輪の存在が、癌に侵された体内が命の息吹きを停滞させるように、本来訪れる夏の煌めきを陰鬱にしている。
東京五輪・パラリンピックはこのまま開催するのか。中止か、延期か。
コロナワクチンの普及も見通せないなか、政治家は具体性はない「安心安全な五輪」を繰り返し、何を話し合っているのか詳しい説明はしない。国民は国民で、徹底して議論することもない。
開催とも中止とも延期とも明言されず、時間切れとばかりに突き進み、真相を知らない間にいつの間にか何かが決まって実行されていく。とてつもなく気持ち悪い。
いち都民としては、東京での五輪開催はどちらでもよかった。
積極的に賛成はしないが、日本に暮らす人の多くが開催を望んでいるならそれでいいだろう、というぐらいの。
ところが、コロナで世界は一変した。
もはや、今年に五輪を開催する納得できる理由はどこにもない。反対の声が出ていても、まともな議論すらされない。説明もされず決まっていく。
現総理大臣の、国民とのコミュニケーションが下手すぎる問題は大いにあれど、前首相のときから続く「説明しないで忖度させて黙らせる政治」の行き着いた先として、暗澹たる気持ちになる。
私は、テレビのリモコンに意識を向ける。ネット配信サービスを選び、作品名で検索して選んだ。
冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出して空けながら、ソファに腰かけて観始めた。
娘の仇を取ってくれ、と知人が頼みにやって来る。「いくら払えばいい?」と問われたドンは、「君が友人として頼むなら」と受け入れる。今度何かあったとき頼むよ、とあえて貸しを残しておく。
ドンという男の正義感をわかりやすく描いているし、シチリア島からの移民一族が、裏稼業であろうがアメリカで生き抜くにはこういう同胞間の貸し借りによって、縁を強固なものにしてきたのだろう。
「また観てんの? ゴッドファーザー」
太一が、太ももの上に座ってきた。
「ゴッドファーザーは、故国で居場所を失った移民やその子孫が、海を渡り、いかに生き抜くかって話なの」
「マフィア一家に投影しているわけ」
太一は可笑しそうに笑う。私は画面を観ながら粛々と話す。
「当時のアメリカ社会で、イタリアからの移民は貧しい。英語も話せない厄介者だった。今の日本での、アジア圏や南米からの労働者への日本人視線と似たところはあるよ」
「マフィアの抗争映画を、社会派として観るわけね」
「人間を描いてる映画は、すべて社会派だよ。そこに生きる人たちを切り取ったら、社会を鮮やかに切り取ることになる」
「家族の絆も、ゴッドファーザーは濃い。濃すぎるよなぁ」
太一が、のほほんと映画の感想を言う。家族の話は、普遍性があるのだ。
「堅気だったマイケルが、父親のために報復を誓う。会談を取りつけたレストランの席で二人を銃殺するところ。ここ何回を観てもゾクゾクする。アル・パチーノの目が最高にかっこいいのもあるけど、ここでマイケルは心身ともにファミリーになる。二代目として開眼する。人が、親とか先祖から何かを受け継ぐっていう状況がたまらないんだよね」
「でもさ、マイケルは家族を守りたいと継いで、組織的に上を目指す。それが上に行くほど汚れていた。最終的にはファミリーを守るために、最愛の家族を失うんだよ」
太一が痛いところをついてくる。
そうなのだ。パート3のラストは、あまりにも過酷だ。真っ暗闇に一人放り出されたような絶望的な気持ちになる。
態勢を変えた太一は、正面になって私にまたがり、「胸を触っていいでしょうか。ドン・コルレオーネ」とふざける。
「だめだ。我慢しろ」
「ドン・コルレオーネ、手が動いてしまいます」
太一は遠慮なくTシャツの下から手を忍ばせ、風呂上がりでブラジャーもつけていないむき出しの胸をつかんでくる。
「いいか? 常に、相手の立場に立って考えるんだ」
私は、一代でニューヨーク最大のマフィア組織を築いたドン・コルレオーネこと、マーロン・ブランドのもったいぶった言い回しを真似して言う。ふざけ合いながら、唇を絡ませ合った。
リビングの明かりを消そうと立ち上がったとき、ソファーの上に転がしてあったスマホが光った。
画面上にLINEの表示が映る。送り主は、母だった。
こまめに連絡を取り合う、母娘の関係ではない。用事があるときしか連絡がないため、私は画面に吸い寄せられる。
「私の、ファミリーからだわ」
太一から、からだをすっと離した。
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