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しわのあるエンドウ豆 _『リファ』#07【小説】

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 家の中の世界は、小さな私に友好的で親しみ深かった。

 在日二世である両親は、「生活は日本にある。ルーツは韓国にある」それ以上でも以下でもない事実として受け止めていた。私と兄にも伝えていた。

 両親ともに大学まで進学し、その後も歴史書や学術書を好んで読んでいた。日本のことも韓国のことも中立に見ようとしていた。

 母はただ、事実として存在する違いを、その時々で話してくれた。

 何気ない会話の中で、在日韓国人が使う日本名には、ある種の共通点があるらしいと知る。

 金(キン)さんは、金本さん、金山さん、金田さんだったり、安(アン)さんが安田さんや安本さんだったり。

 クラスの名簿を一読した母は、その苗字から「この子は在日やねぇ」と顔全体に柔らかいしわを刻んだ。単なる違いや、個性の範疇だった。

 だから、自分の血が今も被差別側であると知り、反朝鮮人的感情と親日的意識という自己否定を伴った歪んだ差別が内部に育まれていったのは、親の影響ではない。

 外に出れば、あらゆるところに別のものがあった。私の外側にある情報が、自分が差別される対象であることをいろんな方面から小出しに、クソ丁寧に、教えてくれた。外部の視線から始まったそんな差別意識は、自分自信を見つめる内部の視線にもなっていった。

 両親が支えてくれる世界のさらに深いところで、生の基盤がゆらぎ続けることになる。

 自分の属性が蔑まれる類のものであると悟ったのは、中学一年生のときの部活帰りだった。

 中学校の校舎と校庭の周囲には、よく言えば水路、正確に言えばどぶ川が流れていた。

 流れるというよりは、絡まった水草や泥、生活の中から吐き出されるぬめりの集合体で停滞し、いつ見ても黒く澱んでいた。周辺住人ですら、その川に名前があったことすら知らないような陰気なものだった。

 その川沿いの通学路を歩きながら、同じバスケ部で仲良くなった玉山さんに、「昨日のドラマ観た?」とほとんど似た軽い気持ちで投げかけた。仲良くなった友だちとの共通点を知って、心弾むような感覚だった。

 「たまちゃんも、在日韓国人なんやろ?」

 ひょろりと背が高くていつも朗らかに微笑んでいるたまちゃんの顔が、みるみる青黒く染まり、目も変形した。

 たまちゃんはわかりやすいほどに慌て、

 「その話、もう絶対にしんといて」

 声を押し殺すよう言った。私を跳ね飛ばすような勢いで走って帰ってしまった。

 急変したたまちゃんの反応から、大ぴらに話すたぐいのことではないらしいと、多くのことを直感的に理解する。

 彼女と自分とを隔てる、事実に対する認識の差も学ぶことになった。この話題を、たまちゃんとの間に持ち出さないことを守った。たまちゃんとは高校で進路が分かれた。

 クラスのリーダー格だった羽川さんと、何かで言い合いになったときにも味わった。何を理由に衝突したのかは忘れてしまったけれど、気が強いほうだった羽川さんも私も、主張を譲らなかったのだと思う。

 衝突がヒートアップしてくると、相手を攻撃するための材料を探してそこを突くような言葉を選んで放つことがある。

 羽川さんにとって、それが相手に痛手を与える武器になると判断したのだろう。

 「梨華ちゃん、日本人じゃないんやろ?」

 自分は何を言われたのか。前後の文脈から、弱みを攻撃されたのはすぐにわかる。

 そして、その弱みとして相手が選んだのは生まれに関することだった。

 頭の中が真っ白になった。自分はどうやら、出自を理由に攻められるらしい。

 父と母はこうも言っていた。

 「何か良くないことをしたら、やっぱり朝鮮人だから。日本の人は言う。日本人以上に、自分を律していなさい」

 煮えたぎるような反発が、私の内部で起こった。

 韓国とか日本とか、朝鮮人とか日本人とか、国とか国家とか、知らない。

 自分の預かり知らない過去に誰かが勝手に地球の土地に線引きして、侵略して、引き裂かれて、自分ではどうしようもできない大きな流れの中で、私はたまたま、この瞬間、日本という土地の一部に暮らしている。

 そんなもの関係ない。

 なぜ、そんなもの背負わねばならないのか。わからなかった。

 「良いことをしても、やっぱり朝鮮人だからとは言われないのが不思議やねんなぁ」母はおっとりとした口調で加えた。

 わからないなりにも、世界史の授業で学んだ日韓併合で謎が解けた。

 韓国が日本の植民地だった時代の、支配者と被支配者の関係が、そののちの世界を生きる人たちにも受け継がれていた。

 悪意の気配をまとわずに放たれる差別的な意識は、かつて西洋人が有色人種に対して持っていた見方に似ていた。当時の西洋人は、近代化や経済の発展から「進んだ」「優れた」自分たちとは対照的に、有色人種を「遅れた」「劣った」存在とみなした。西洋人の有色人種への意識を、日本人は朝鮮半島に対して自分たちに都合よく変形させ、レッテルを貼った。

 近代史の時間に「この中に、在日朝鮮人の子孫がいます」と先生が言い出したらどうやって誤魔化そうか。授業内容そっちのけで、頭をフル回転させる。

 高校で日韓の歴史をより多く学んだときには、もう自分のルーツを隠しておきたい意識をはっきりと持っていた。

 韓国、朝鮮、在日への自己否定と差別が、外側から内面化されていった。

 仲間に入れてもらいたいから揉み手をするように、歪んだ親日感情も育っていった。

 ほとんどの人は、差別なんてしない公平な人間だと思っている。他人が内面に抱える差別や偏見はいつも、ふいに顔を出した。それも、横断歩道で信号待ちをしていたら、突然背中を強く押されて車道に飛び出するような暴力的なかたちで。 

 大学で仲良くなった友だちと、恋人との楽しいエピソードで盛り上がっていた時も急に訪れた。

 「でも、結婚はできないの」と彼女は神妙に言う。「彼、あっちの人なんだよね」と続いた。その娘の彼氏は、在日韓国人三世であるらしかった。「私は結婚”できる”んやけど、親が大陸の人は野蛮やからあかんって」と、取り繕うことなく放った彼女の顔は醜かった。

 韓国名を名のっていた知人が「三世だったら、もう日本人みたいなものでしょ」と励ましてもらっていた。言った当人は、聞き手に侮辱的に響くかもしれないことを一ミリも想像できていない様子だった。私はただ、そのやりとりを日本人の顔をしてぼうっと眺め、やり過ごした。

 何か犯罪が起きたとき、「やっぱり犯人は朝鮮人か」「朝鮮人は何をするかわからないから恐ろしい」などと、ネットの心ない中傷に出くわす。

 息が止まった。

 嫌韓本、反韓本ブームが数年前に起きたときは、ただただ身を縮めた。存在に対する揺れは大きくなり、危険にさらされていた。

 私は、自分を構成するその一点を、奥へ奥へ押し込む。

 隠した。

 在日韓国人は、その子孫を含めて全国に五十万人近くいるという。帰化をした在日を含めると、もっとだろう。

 とはいえ、日本人全体からすると一〇〇人に一人、二人程度だ。どうして自分は、望みもしない生まれの確率を引き当ててしまったのか。

 生物の授業で習ったメンデルの法則だと、しわのないエンドウ豆としわのあるエンドウ豆は三:一なのに。しわのあるエンドウ豆になる確率よりも低いのに、自分はしわに当たってしまった。

 両親は、何にも、誰にも恥じることは一切ないという姿勢を貫いていた。
 
 反日感情を見せることも、民族を背負って卑屈になったり、尊大になることもなかった。

 決してフェアではなかったであろう世の中で、両親はギリギリ中流家庭を築いていた。五人きょうだいの中で、一人だけ大学に進学したことを親戚から恩着せがましく言われていた父が、「就職差別を受けるから国家資格を取った。けど自分よりも勉強できなかったヤツが次々に大手に就職を決めていった」と顔を歪めていた。何事も人のせいにしない父だから、よく憶えてる。

 両親が自分に注ぐ愛情を疑ったことは、ただの一度もない。

 私の存在そのものを手放しで承認してくれている人たちに、ほんとうは自分の足場がグラグラと揺れている不安は話せなかった。

 母は私に繰り返した。

 「自分の世界を、生きるんや」

 そうだ、私は私の世界を生きればいい。

 ルーツにまつわる情報から離れた。

 考えることをやめた。自ら語らなければ、この世界をつくる多くの日本人たちと同じでいられる。

 在日以外の自分を築くことに注力した。出自を超えるアイデンティティをつくりたかった。



つづく
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