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被害者を引き受けられない _『リファ』#24【小説】
「実はね……」友人から打ち明け話をされると、「私もね……」と自分の秘密も語り始めたくなる。これは、内容の重さの釣り合いを取ろうと、見合ったものを差し出す無意識の行動だ。
でも、それだけではない。周りの人にはなかなか言えないことを告白することは、「理解する側と理解される側」という、あっち側とこっち側の境界を崩す。カミングアウトした相手がカウンセラーなら、何を話したところで二者の立場は変わらない。
それが友だち関係になれば、「周りの人には言えなくても、この相手ならわかってくれるだろう」と理解し合うところにいける。“側”という概念も消滅する。
人はそれぞれ、意外な事情があるものでもある。私は、鱧に合うと勧められたソーヴィニヨン・ブランを頼み、運ばれてきた鱧しゃぶ用の刺身を箸で滑り取る。鱧のあらでとったという出汁にくぐらせた。
太一のスマホを見てしまったところから、すベてを菜々実に話した。「夫に浮気されてるかもしれない妻」を自ら名乗るのは、言いようのない悔しさがつきまとった。何においても、被害者を引き受けることに抵抗がある。私の弱さだった。菜々実は、時々合いの手のような質問をしながら聞いてくれた。
「トムとジェリーのように、いつも楽しそうに一緒にいたコンビがねぇ。太一は黒に近いけれど、まだグレーゾーンよなぁ」
菜々実は腕を組んだ。太一のことを「太一」と親しみを込めて呼び捨てにするのも、友だちの中で菜々実だけだ。浮気疑惑の相談をしているのに、仲良しコンビに見えていたと聞けたことにうれしくなっている。ただ、浮気をしていることを“黒”という言葉で表現したところは、どう受け取る人がいるかということに雑だとも思った。
「菜々実やったら、今の段階で夫にどうする?」
モテの師匠に教えを乞うたら、「梨華はどうしたいの?」と質問で返された。戸惑う。
夫の不倫を知りながら、素知らぬ顔で健全な夫婦生活を続けられる妻などいるのだろうか。日々の生活で影響し合っている夫婦である以上、太一が本当に浮気をしているとして、私にまったく問題がないとは言えない。
子どももいる今、自分には離婚に踏み切れるほどの胆力もない。何よりも、太一を想う気持ちは変わっていなかった。太一のことを、知りたかった。
「兵藤沙夜子との関係を知りたいし、もしも不倫関係にあるのなら別れてほしい」
正直な気持ちだった。
「本気なんだ、オレを愛してるなら別れてほしいと言われたらどうする?」
言葉に詰まる。
「私なら、夫の浮気がわかったら私も恋人をつくる。目には目、歯には歯を。ハンムラビ法典でも、同等の報復は許されてる」
菜々実は不敵に笑った。私は吹き出す。
「菜々実は、変わってないな」
「だから、私ならと言ったやん」
「人類最古とされる法典も、ここで使われるとはね」
鱧しゃぶに繰り返し手が伸びる。すだちが効いた自家製ポン酢で食べる鱧は甘く、その甘みがミネラル豊富な白ワインと合う。
「疑惑の段階で仕返しに出たことを咎められたら、私を不安にさせた克彦が悪いって被害者として主張し通す」
被害者だと受け入れ、堂々と名乗れるのが菜々実の強さだ。宮廷にいるお妃のように"傷ついた私”を主張できる。菜々実は髪をかきあげた。ゆず茶をすする仕草すら、妙に色っぽい。
「梨華なら、まず太一と兵藤の関係を調べて事実を突き止める。そのうえで、太一に問い詰めるか、目的遂行のためにあえて直接聞かないか。考えそう」
「そんなふうに、冷静にできるほうじゃないと思うけど」
「いや、梨華はそうするよ」
「決めつけるね」
「梨華はいつも、納得できる答えを自分で見つけてたよ」
菜々実は断言した。
自分の納得解。忘れないように心で繰り返した。自分のことは、自分でもわからない。そんな自分を、自分以上に他者が知ってくれていることはある。そうやって他者から肯定された自分を自らに取り込むことで、人は自分を信じることができる。
夫婦のこと、仕事のこと、旧友たちの近況をとりとめなく話した。あっという間に時間がきた。支払いを終えて、烏丸通りに出る。
季節を問わず外国からの観光客で溢れている京都の中心街は、がらんとしていた。街全体の灯も少ない。
タクシーを停めたら、菜々実が一緒に乗ってきた。奥に行くように言われる。菜々実の自宅マンションは、京都駅とは反対方向のはずだ。
つづく
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