姿煮
自分が好きな記事たち。頼むから伸びろ。承認欲求。
under25の2回戦。出番までの待ち時間に、前出番のとある学生芸人が「そうだった。この賞レース待ち時間めっちゃ長いんじゃん。次はSwitchとか持ってこよって去年言ってたのにね。」といいながら、外に消えていった。なんだか、心が折れる音が聞こえた。 別に彼らが悪いわけじゃない。彼らは彼らなりのお笑いの楽しみ方、やり方をしているだけなのだ。ただ、自分の要領が悪すぎただけで、心のどっかで、苦しくないと面白くなれないとか、限界まで詰めて限界まで考えてそうしてやっと人並みに面白くな
先日、病名がついた。 診断されたときは少し安心したような気もしたけど、やはり時間を追うごとにしんどさだったり不安だったりが押し寄せてきた。仕方ないけど。 もちろん、楽しいことだってたまにあるし、好きだなぁって思う人たちもいるけど、それらを取り巻く自分がすっごく嫌いになることがある。僕が好きなこの人たちは、僕と関わらなかったら、もっと幸せに生きることができたのではないかとか、僕と関わることで何かを失ってるのではないかとか。考えなくても本来はいいらしいけど、やはりどうしても考え
人生において、全力で誰かとハイタッチした記憶はあればあるほど幸せだと感じている。 僕が最後にハイタッチした記憶があるのは、小学5年生の頃である。 随分とつまらない人生を送ってきたようだ。 その頃、よく遊んでいた友達がおり、帰る方向も同じだったため、時間が合う日は決まって一緒に下校していた。 彼はサッカーを習っていたが、小学5年生になったタイミングで退部していたため、余計に一緒に帰る日が増えた。 僕は、両親共働きで基本的に日中は家を空けており、おばあちゃんの家で過ごして
遺書を定期的に書こうと思います。 最近はというと、ただたくさんのメールが各採用サイトから送られてきて病むだけの就活や、免税しまくって嫌になるバイト、会ったこともない学生芸人の悪口などに明け暮れています。 ちゃんと鬱になってるわけですが、創作が特にもうからきし駄目でありまして、under25負けてからもうそれはそれは灰のような日々。審査員メール届かなかったぞ。上位敗退者でもないんかいバカが。人に劣等感や執着心をとんでもなく感じる人間でありますので、自分が全く上手くいってない
また負けた。20歳になってからの自分は何一つうまくやれてなくて、肯定することができないまま誕生日を迎えそうになっていたので、本当に最後の機会だったのに普通に全然だめだった。少しの心残りや反省点を抱えた去年と違い、全力を出して、自分の今持てる力を全部出したと思った上で届かなかったのでもう全然死んでしまいたいし、もうやらないと思う。 昼頃に発表を見て、一通り落ち込む中で、ありがたい言葉をかけてくれる人や、慰めてくれる人がいた。一人で過ごしているので一人の感じがしない様相はかなり
先日、マツコさんと中村うさぎさんの交換日記チックなエッセイを読んだ。すごく面白かった。 しかし、読んだことで私は交換日記に激しいコンプレックスを抱いているということに気がついた。というか思い出した。 小学校高学年の頃、驚異的なプロフ帳ブームが起こった。それと同時多発的に、一部では交換日記ブームも起こっていた。プロフ帳は比較的浅瀬で、多くの人間とコミュニケーションを取るものなのに対して、交換日記は、自分の一番仲いいレベルの友達と行うものであった。 もちろん私は、ど
早朝の格安航空で羽ばたき、助けを乞う。私にとって東京はそんな街である。 九州の田舎に生まれ育ったが、その町は空は広くも窮屈であった。好きな文化を一人で楽しむことさえ厳しく、また学校では、奇怪扱いされることも少なくなかった。私はいち早く東京に出たかった。好きなことを好きだと言える街。私よりも変な人が楽しく生きていい街。僕の好きなものを僕より好きな人がたくさんいる街。それが東京であった。結果として、いち早く東京に行くことは叶わなかった。大学進学と共に、東京の住所を持つために
バイトを上がって21時過ぎ。連勤の疲れと自炊のしんどさを抱えていると、終わらせないといけない作業を思い出し、気づくとパソコンを持ってマクドナルドにいた。近頃、夜ご飯をここで終わらせることが増えてしまった気がする。近づく若ハゲ。怖いね~とか思っていると、僕より少し年上くらいの若いサラリーマンが、スマホを見ながら惰性でシャカシャカポテトを作っていた。いつか僕もああいう大人になってしまうのかなと思うとなんだか切なくなった。 ぼくは、シャカシャカポテトが嫌いである。 本来完成さ
どう考えても人より記憶力が変だ。そう感じることが昔からあった。みんなはとっくに忘れたよと言っている時代の記憶が鮮明にあったり、10年前に見たテレビのワンシーンをまるで昨日みたかのように呼び起こせたり。そのような出来事が、幼少期からかなりあった。 一番古い記憶は、2歳ぐらいから持続的にある。家族といとこの姉ちゃんで回転寿司屋に行ったとき、いとこの姉ちゃんが三皿目でいきなりゼリーをとって軽く怒られていたこと。 幼稚園で途中入園した子が初日にお漏らしして先生に怒られてい
このネタがどうこうとか話すのが好きなんですが 素人が話すのきもすぎるしくるまさんが話してもやいやい言ってくるひといるのでこそっとSECONDの話します。全部話さないと眠れないので ハンジロウ一本目 めちゃくちゃコントスタイルの漫才だからトップ大丈夫かなってめちゃくちゃ心配だったけど杞憂すぎた。にちようチャップリンを見てお笑いにハマった人間なのでしゃもじさんなんてめちゃくちゃ見てたんだけど、特に名作コントの元嫁カフェ。これ漫才にしてもこんな違和感ないんだって予選でも驚い
連続更新記録がとだえる!!!! なんか書かないと!!!!
中3の頃、自分の部屋に行った素振りだけ残し、親に隠れてテレビを見ていた。そこに映るのは、私の知らないタモリの姿だった。 私たちの世代、大体2003、4年生まれ辺りの人間がギリいいともを知っている世代だと思っている。といっても、自分が小4、5辺りでいいともが終わっているので、我々世代の中では、Mステのタモリさんしか知らない人も珍しくないと思う。私はというと、いいとも増刊号は見ていたが、いうてそれくらいで、何で売れた人なのかとか、どんなジャンルの人なのかという疑問を持ってい
ミニ単独をやってから1年が経った。 学生芸人として結構順調だったとは思う。毎月出して貰えるライブがあって、自分よりたくさんのライブ出てる人達とかプロの方々と一緒に平場出来る機会も貰えたり、賞レースで一応勝ちの記録が出来たりコーナーを作る機会もあって、主催のライブもあって。結構頑張ってたし、結構上手くいってた方だとは思う。 noteも、高校生の頃からやっていて、高校生の肩書きを活かして、結構色んな人に読んでもらってた高校生の頃よりも伸びる記事がたまにあったり、結構褒めて貰えた
嫌いな人やものが多すぎる。ふと最近そう思った。ネクライトーキー及び石風呂の「きらいな人」という曲に『今まで生きてきて、嫌いなものを数えてみよう。両手両足じゃ足りないな。これからも増えていくんだろな』という歌詞がある。これを日々ヘビロテしていた高校生の頃には既にアシュラマンでもとっくに指足りなくなってた。 そんな私が最近になって嫌いなものを数えてみた。すると万物が嫌いなのではないかと思ってきた。楽しくない飲み会、つまらない人、新五百円玉、バズらないnote、コントとか抜かす知
どうしても眠れない夜がある。自分の力のなさ、あの人はいいな、この人はすごいな、彼らみたいになれたらなを考えすぎて、落ちれるとこまで気分が落ち込む日である。 私は、会ったことない天才、画面の中の鬼才を勝手に羨み傷つき吐きそうになるという習性がある。とても厄介な習性である。野生にいたらとっくに絶滅してる。 偉業を成し遂げる人、歳がほぼ変わらないのに自分の憧れと一緒のライブに出る学生芸人の彼、僕より歳下なのに早くに結果を出し当たり前のように多くのライブに出る彼女。みんなみんな、
カバンの中身がぐちゃぐちゃだった。というか今もぐちゃぐちゃである。でも、変にこだわりがあって、大切にしたいものとかは、ランドセルとか制カバンに入れずに手に持って大切に持って帰ってた。そういう変なこだわりがあった。 小学生の頃まで遡るが、あの頃、図工とか休み時間に工作したりすることがすごく好きだった。スポーツが苦手だったり、外で遊ぶのが嫌だから室内で読書をしたり工作をしたりするのがすごい好きだった。今思えばなんてことないものだが、あの頃には宝物のようなもので、できる限りの資源