シャカシャカポテト

  バイトを上がって21時過ぎ。連勤の疲れと自炊のしんどさを抱えていると、終わらせないといけない作業を思い出し、気づくとパソコンを持ってマクドナルドにいた。近頃、夜ご飯をここで終わらせることが増えてしまった気がする。近づく若ハゲ。怖いね~とか思っていると、僕より少し年上くらいの若いサラリーマンが、スマホを見ながら惰性でシャカシャカポテトを作っていた。いつか僕もああいう大人になってしまうのかなと思うとなんだか切なくなった。

ぼくは、シャカシャカポテトが嫌いである。
本来完成されたポテトにどう見ても美味しいスパイスを振りかけ、満遍なく味が染み込むように袋に詰め込みシャカシャカする。そんなにも、楽しくてエンタメ性に溢れた食べ物はないと思う。
どうせ、シャカシャカポテトを頼んだんだったら、そのエンタメ性を存分に味わうべく、少年の日のような心持ちでシャカシャカしたいし、何ならそのリズムで踊っちゃいたい。

とはいえ、僕のように自意識がカンストした人間は、ポテトをシャカシャカしているときの公然の目がとにかく気になってしまう。仮に、バイト終わりのこの時間、一人でマックを訪れシャカシャカポテト頼んだとして、あいつは、夜に一人でマックに来て、全力でポテトシャカシャカしてるのかよ。友達とかいないのか?とか思われそうな周りの目が気になり、手首のスナップのみでポテトをシャカシャカしてしまうだろう。そんなの、人生の敗北である。人から与えられたエンタメを最大限楽しむことができず、惰性で味わい死んでいく。そんな人生はゴメンだ。
かといって、お持ち帰りでシャカシャカポテトを作っても、冷めたポテトはポテトじゃないので、全力を味わってあげられない。そんなのポテトに合わせる顔がない。

そんなことを考えていると、閉店時間間際になっていた。何も進まなかった作業、レタスがこぼれたビッグマックの箱を見てるとまたやるせない気持ちが溢れてきた。
結局、ぼくは自意識のせいでまともに食べたいものも注文できないということは、やりたいことも自意識に囲まれてできてないんじゃないかとか。結局ケチャップつけてたべたほうがおいしいでしょって自分で自分を言い訳してる嫌な自分とかをシャカシャカポテトのせいで見つめてしまった。こうなってしまってはもう夜中に眠れず病むだけの日になってしまう。シャカシャカポテトがトリガーとなってしまい病んでしまうなら終わりだよとか考えながら、頼みすぎて少し冷えたポテトを片手にバス停に向かった。

神様、僕の人生なんとかなんないもんですかね。とか考えながらバス停で食べる固くなったポテトは少し塩気が強かった。釈迦釈迦ポテトってことですかね。は?つまんな?早く逝けよお前。帰れ。二度と生きるな。呼吸をするな。

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