東京

 早朝の格安航空で羽ばたき、助けを乞う。私にとって東京はそんな街である。

 九州の田舎に生まれ育ったが、その町は空は広くも窮屈であった。好きな文化を一人で楽しむことさえ厳しく、また学校では、奇怪扱いされることも少なくなかった。私はいち早く東京に出たかった。好きなことを好きだと言える街。私よりも変な人が楽しく生きていい街。僕の好きなものを僕より好きな人がたくさんいる街。それが東京であった。結果として、いち早く東京に行くことは叶わなかった。大学進学と共に、東京の住所を持つためには、両親と縁を切るレベルまで追い込まれ、さすがにハードモードすぎるのであきらめるほかなかった。

 福岡に移り住むも、現状はあまり変わらず、大学では服装は派手だと皆の顔はへの字に。好きなものを好きと言える環境ではなかった。友達もいなかった。18歳の私は、友達が欲しくてお笑いを始めた。20歳になって少しして、本格的にお笑いを嫌になって辞めた。

 大学二年になると、一番親しくしている先輩が東京へと移り住んだ。一部の人に心を開くとかなり依存をするキモイ人間なのでかなりダメージがあった。私は決意した。一縷の望みにかけて東京へと赴いた。当時、私は肺に穴が空いて、それが治ったばかりでドクターストップがかかっていたため、夜行バスで福岡から助けを求める旅が始まった。21時出発11時到着のため半分くらい朝だった。

 小学5年生以来に東京に降り立った。初めての新宿は快晴だった。椎名林檎の嘘つき。溢れ出る高揚感、迷路のような路線図に感じる恐怖感、まるで勇者になったかのような感情に襲われた。どうやってこんな街に住んでいるのだと、東京に住む友人たちに少し腹が立った。

  とある駅で先輩と待ち合わせた。彼は、いつもの和やかな表情と、東京という街に少し押しつぶされそうな固い表情が織り混ざったような顔をしていた。私はあの顔を二度と忘れないと思う。東京という街が誰かに希望を与え、誰かに現実を突きつける街であることを何よりも表していた気がする。少し胸が痛んだ。肺の傷が完治していなかったのか、長旅の疲れで少し痛んだのか。いやきっとそうであると私は飲み込んだ。

  その後、ネット間で2年以上親交があった友人たちと下北沢を訪れた。彼ら彼女らは初対面であるにも関わらず、地元の同級生よりも安心感があった。人間の親しみ方は囚われるべきでないと深く感じた。下北沢については、それだけでもう一本文章が書けてしまうレベルなのだが、とにかく息がしやすかった。それが一番の感想である。私より派手な格好をしている人間が、意識せずとも見つかり、サブカルに囚われた同士たちがこじらせながら大地を踏みしめていた。これからもあの街を大切にしたい。

  挙げればきりがないほど東京は思い出が溢れる街である。何故か私のことを気にかけてくれる優しい先輩が何人もいたり、何故か笑顔で歓迎してくれる友人がいたり。油断しないように私に恐怖を与え続ける路線図の複雑さ。心をへし折る人間の存在。全てにおいて私に感情を与えてくるのが東京である。

あいも変わらず、私は息苦しい。
東京という街は苦しいことも起こるし、普通にキモいことも起こる。
ただ呼吸することを許してくれるし、ちゃんと自信を持って友達だと言える人がいる街でもある。

また行くね。

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