交換日記コンプレックス

  先日、マツコさんと中村うさぎさんの交換日記チックなエッセイを読んだ。すごく面白かった。

しかし、読んだことで私は交換日記に激しいコンプレックスを抱いているということに気がついた。というか思い出した。

  小学校高学年の頃、驚異的なプロフ帳ブームが起こった。それと同時多発的に、一部では交換日記ブームも起こっていた。プロフ帳は比較的浅瀬で、多くの人間とコミュニケーションを取るものなのに対して、交換日記は、自分の一番仲いいレベルの友達と行うものであった。
もちろん私は、どちらに筆記した覚えが無い。
理由は明確で、休み時間ずっと本を読んでいたからである。小学校高学年ともなると、徐々に今の捻くれた自分が作られ始めており、外で遊ぶことが大嫌いで、家ではずっとゲームをして学校ではずっと本を読み、徐々に人との関わりが減っていっていた頃である。未だにこの思春期の頃ような生活と性格をしていることがとても恥ずかしい。
一緒にゲームをする友達などはいたが、かと言ってめちゃくちゃいつも一緒にいるとか、毎週のように遊ぶという、小学生特有の友達はいなかったように思える。そのため、交換日記やプロフ帳というものとは程遠い暮らしをしていた。ずっと本を読んでいた人間が、文章を書く手段にありつけなかったのはなんとも皮肉な話である。

  時は流れ高校生になると、noteを始めるようになる。未だに続けているのは普通にすごいとは自分でも思う。そんなnoteでも交換日記をやってる人間がいた。私にとって文章は自分の思想をどうにかこうにか伝えようとする場所で、誰かとコミュニケーションを取るなんて考えたこともなかったし、それを楽しそうにしかもいい文章で行ってる彼らに対して劣等感しか抱かなかったし、今も抱いている。人の交換日記を読めるような時代になってしまったからこそ、如何に自分の書く文章が独りよがりで人に伝える気がなく、そういうことができないからこそ友達はがいないのだと気づくことが増えてしまい、本当にウゥってなる。

   人に対して、自分はこう思ってるだとか、この人はこんなことを思ってそうだからこう話したほうがいいなとかを考えながら話すことは得意であるが、ただこういう話をこの人としたいからするだとか、こんなことあったんだーみたいなことを簡単に話すことが苦手であり、しかもそんなことを話す人間がいないからこそ、交換日記という文化に対して劣等感やコンプレックス、そして自分には無縁で向いていないという感情を今後も抱き続けるのだろうと考えただけで普通にキモい。

そもそも、人に面白いと思われたいという感情一つで生きているので、交換日記なんてやるのリスキーだとしか思えない。人に対して、この人に如何につまらない人間だと思われないかと考えながら生きているので、交換日記なんてその人の面白さ考え雰囲気などが全て伝わってしまうことを、少なくとも交換日記をやるような自分の中でもかなりランクの高い仲の良さを持っている人とやる勇気はかなり僕にはない。自分のクソつまらなさがこの文章で伝わってしまうのではないか、こんな稚拙な文章を書く人間だと思っていなかったので関わるのをやめようだとか思われないだろうか。そんなことを考えてしまうので、仮に僕が交換日記を始めても、一生緊張しながら執筆してしまいそうなため、楽しめる日はいつになっても来ないのではないだろうか。

なのでまず、私が交換日記をやるためにはまず友達を作らないといけないし、交換日記をやるにあたって人に何でもないことを自ずと面白いように伝えるスキルを持たないといけないし、そんなことを考えながらも緊張感が無く、仮に面白くないと思われても今後も仲良くしてくれるような楽しくできるような相手としか、交換日記を始めることができない。そんなの無理ゲーじゃんか。

なので私のためにみんないっせーので
交換日記辞めてください。

ほらまた独りよがり。

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