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『RANGE』ースペシャリストになれない悩みと向き合うー

僕は、今後人生の指針になるだろうなと思うこの本について、ここで僕なりの言葉で表現していきたいと思う。

そもそも大前提、僕は、「”ど”ジェネラリスト」だ。決して「スペシャリスト的」にはなれなかった。両親がどちらもスペシャリスト(父が照明技師(システムエンジニア)で母が建築士)であったこともあるのだろが、本当にスペシャリスト的な生き方が羨ましかった。

「何かに尖ってないと将来絶対成功しないし食っていけない」「その生き方は全部が中途半端に終わる」。こんな言葉たちがずっと僕に付き纏っていた。「俺はこのままだとまじで全部中途半端で終わる」「本当に器用貧乏で終わってしまうぞ俺は…」。周りから言われた言葉が、いつしか自分の心の声として確かな存在感を示すようになった。

僕は人生の中でずっとずっと「1つ」に絞れないでいた。常にブレブレだった。好奇心が強すぎて、あらゆることを好奇心のままにつまみ食いしてしまう。パワーが分散する。一つのことに掛けれる時間が少なくなり、習熟にも時間が掛かる。習熟したと言っても、他人と比べて抜きん出るものではない。そんな感じで生きてきた。なんなら今もそう生きている。読みたい本の分野も幅が広すぎて、積読が永遠と積み上がっていく。時間がなくなっていく。学問分野も興味分野が広すぎて全く絞れない(結果、ジェネラリスト的学問である経営学専攻に落ち着いている、がその領域の中でさえも全く一つに絞れない)。たくさんの人に出会い過ぎて、一人の人に費やす密度が薄くなっていく(おのずと失敗も増える)。そして、女の子との関係も常にブレブレである(笑えない)。

スペシャリスト的になれない。分かっているのにいつも「遠回り」をしてしまう。人生を懸けて費やすもの。パワーを1つに集約できるものが全然見つかっていないこの現状に、僕はとても焦りを感じていた。本当に思い悩んでいた。

そんな時にこの本と出会った。

この本「Range: Why Generalists Triumph in a Specialized World」は、ジャーナリストであるデイビット・エプスタインが、従来から多くの人に信奉されてきた「ヘッドスタート信仰」に真っ向から挑戦した大ベストセラーである。

ヘッドスタート

「ヘッドスタート信仰」とは、幼少期のうちにできるだけ早く専門特化し、スペシャリストとして身を立てることが成功の大原則である、というモノだ。よく言われる「一万時間の法則(あるスキルをマスターするためには、おおよそ一万時間の練習や経験が必要だという理論)」にも裏付けられるものである(ただこの一万時間の法則の論拠は非常に脆弱なものであるとも言われている)。

この「ヘッドスタート信仰」にアンチテーゼを投げかけ、知識や経験の幅(レンジ)、そしてとどのつまり「ジェネラリスト」が今後の世界の中で非常に重要な位置を占める、ということを、様々な学術的知見や文献をもとに力説している。「ヘッドスタート」とは真逆の志向の「遠回り」を推奨しているほどである!全編を通して「スペシャリスト⇔ジェネラリスト」の二項対立を軸に論が展開されている。

本の中の数多くの主張をざっくり要約すると以下のようになる。

まず大前提「ヘッドスタート信仰」や「一万時間の法則」で根拠として持ち出されるのは、音楽家、スポーツ選手、チェスプレーヤーなどを対象とした観察結果である。しかしこれは、ルールや思考形態がある程度決まっており、フィードバックも得やすい「優しい世界」での現象である。一方で、我々が生きている世界はルールが不明瞭かつ変動的で非常に複雑性に満ちた「意地悪な世界」である。

こういった不確実性の高い「意地悪な世界」では、アナロジー思考を用いた統合的能力や、関係性や全体観の把握する能力、柔軟性に富むオープンマインドな姿勢、実験思考(まずは行動し、そのフィードバックを元に絶えずPDCAを回していく思考)が重要になる。一つの領域にとらわれず、分野横断的な姿勢が求められていく。まさに「ジェネラリスト」が生き残っていく。さらに言えば、スペシャリスト的な生き方は、現在のAIテクノロジーの進展も相まって、大きな弊害を生む可能性をも孕んでいる。ざっくりとこんな感じだ。

お分かりいただけただろうか。「今後の僕の人生の指針になるだろう」という意味を。そして、あらゆるジェネラリスト的な生き方しか出来ない人たちの道標になるだろうということも。こんなにも「遠回り」を全面肯定してくれるような本に、僕は出会えてよかったと心から思う。

遠回りの人生

僕はこの本と出会ったのがほんのつい此の間だ。もちろんそれまでには、僕の中での「スペシャリストになれない論争」にはある程度決着がついていた。この本が、その結論を後押しする最後のきっかけになった、というような具合である。

「究極のジェネラリストになる」。己を知り、ほとんど諦めの念とともに、僕がそう決めたのは、1年くらい前だった気がする。もう仕方がなかった。どうやっても好奇心が止められないし、ワクワクする方に行ってしまう。目移りしてしまう(悪い意味でもだ!)。でもそれはそうだろう。僕の人生の指針が大きく2つあり、その一つに「この広い世界を全力で経験する」というものがある(ちなみにもう一つは「人に良い影響を与える」)。そういった指針を持ち、その生き方が心から楽しいが故に、もうどうしようもないのだ。

なら突き詰めてやろう。「ジェネラリスト界のスペシャリストになる」。そんなこじつけで納得させて前に進んでいた。そしてこの本が「よし、この生き方でいこう」と最終的に決心させてくれた。あながち間違っていなかったのかもしれないなと思った。(もちろん、人生において正解なんかないということも分かっている)

そして、「究極のジェネラリスト」として、僕の人生の「指針」や「目的」を実現する手段として、「経営者になること」を選ぶのは必然だったのかもしれない。そんな想いを持ち始めたのも同じ時期だっただろうか。

「具体的にどういった分野の経営をしたいの?」

おいおい、そんなことを聞かれても困っちゃうな。今いろいろ行動して試して探しているところなんだから、待ってくれよ。具体的な答えをどうか期待しないでほしいな。

そんな感じで、笑って大きく構えられるような心になるのはいつなんだろうか。きっとこの先の人生で、過去を振り返った時に初めて辿り着ける境地なのかもしれない。自分の人生で成し遂げたい「何か」を見つけて「成果」を残し「目標」を達成するその日まできっと、「こうやって遠回りしているのは結果から逃げているだけではないか」「一生何者にもなれないまま人生が終わるのではないか」という恐怖にも似た気持ちと向き合いながら、日々を生きていくんだと思う。

焦る自分がいる。そんな中でも「大丈夫、一歩一歩いこう」「本質を大切にする勇気を持とう」「目の前のものごとに一つひとつ真剣向き合っていこう」と、いつも言い聞かせる自分がいる。それしか今の自分にできることはないじゃないか。

ビックになるんだ。絶対に世界中の人々に良い影響を与えることのできる人間になるんだ。その器になるんだ。そのために全力で勉強して、そしてこの世界を全力で経験するんだ。

俺は「究極のジェネラリスト」になってやるんだ。

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「自分の言葉できちんと表現する」
僕はこれから、今まで出会ったモノや読んだ本、考えてきたテーマ、自分の専門分野など様々なものごとを、自分の言葉で表現する習慣を作ろうと思う。真剣に向き合い、自分の言葉で表現し、そして自分自身を見つめていく。そういったことをコツコツと積み重ねていきたいと思う。それを通じて、自分自身の「イズム」的なものを確立することができれば嬉しいなと思う。そして、このアウトプットを通じて、多くの人とインタラクションを交わせたら幸せだなとも思う。

こういった目的で書いています。わざわざ貴重なお時間を割いて読んでいただき心から大感謝です。
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