(ネタバレあり)すずめの戸締りは人の心の「戸締り」をする名作である。
この記事は「すずめの戸締り」で伝えたかったことはこれだろうという感想である。2時間でこれ以上にないくらい心象をスケッチできている作品だと思う。私が「すずめの戸締り」見て重要だと思ったのは、
1,「”すずめ”の"戸締り"」とすずめの成長
2.『「すずめ」の「戸締り」』
3.「行って帰る」物語と「戸締り」
の3つである。
作中ですずめは多くの後ろ戸の閉じまりをしていた。
後ろ戸からはミミズがでてきて、それが地上に落ちると震災が発生する。
後ろ戸は普段は人々の心の重さによって鎮められている場所であり、人々の心が軽くなったときに扉が開いてしまう。
劇中では、宮崎、愛媛、兵庫、東京、東北で後ろ戸が登場した。
ただ唯一、ミミズが顔を出さなかった場所がありその場所は東北であった。
東北で起こったあの震災はまだ人々の心にに重く残っており、決して軽くなっていないからである、という考察を見て私はとても感動した。
突然ですがリンクをはっておきます。おすすめの記事です。
また多くの考察記事でふれられている要石や後ろ戸やミミズやダイジンの正体などが考察されているがこの記事ではそれらにいっさいふれず、すずめ達の心について語っていく。
1,「”すずめ”の"戸締り"」とすずめの成長
1.「戸締り」の意味
上記で示したようにすずめは、多くの後ろ戸の戸締りをしてきた。
ただこの「戸締り」はすずめの心にも戸締りをしてこれから未来に向かってくと言うメッセージと私は感じた。
すずめは何を「戸締り」をしたのか。まずは戸締りの意味だが、
とのこと。
心に鍵をかけると聞くと心を閉ざした状態にみえるがそうではない。
もちろんその意味もあるが、心に鍵をかけるというのは自分の心に向き合ってはじめて鍵をかけることができる。
そして「戸締り」もうひとつの意味が「外出の前に戸締まりする」。
「”すずめ”の戸締り」の「戸締り」はこちらの意味がわかりやすい。
「戸締り」をして「外出」をする。自分の思い出や過去と向き合いそれらを自分の中でキリをつけて「戸締り」をし、未来へ「外出」をする。
これが私の思う「”すずめ”の”戸締り”」の意味である。
少し話がそれてしまうが、私の好きなアーティストのヨルシカの最新曲「チノカテ」の歌詞がマッチしており、特に二番の歌詞がマッチしているので引用する。
「チノカテ」の歌詞の内容は、
「大切な何かを失ったがそれでも前に進んで生きていく」曲である。
大切ななにかとは、なんとしてでも叶えたかった夢なのか、最愛の人なのかは人それぞれなのでわからない。ただそれらはいつか諦めなければならない。その本心に鍵をかけなければならない。死んだ人間は蘇らない。時間を巻き戻して過去からまた夢を再スタートすることはできない。大切ななにかを失うと人は諦めて受け入れ前に進むしかないのである。
すずめも母を失い、引き取られた叔母の環さんとの関係に苦しみ、草太さんという心から好きになり大切な人ができたのにまたそれを失いそうになった。
しかしすずめは母の死を受け入れ、環さんとの関係を本心をぶつけ合い解決し、今度は大切なものを奪われないように戦ったのである。
この心の動きを「喪の作業」という。
2.「喪の作業」
この「喪の作業」という言葉は劇中では出てこない。
この言葉は、「新海誠本」の新海誠監督のインタビュー内にでてくる言葉である。「喪の作業」は「悲嘆のプロセス」や「ボウルビィの4段階」などさまざまな呼び方がある。(提唱者によって変わる)
「喪の作業」とは、人間が喪失した対象から離れていくためにとる心理的過程を表したもの。簡単にいうと大切なものや人を失ったときの人間の心の動きをあらわしたものである。
① 無感覚・情緒の危機
最初のステップ、つまり喪失を知ると、すぐに悲しくなるのではなく事実なのかウソなのか状況が分からなくなる段階がある。
② 否認・抗議の段階
2つ目のステップは、深い悲しみや悲嘆に苦しむようになる。対象を失った事実を認めようとはせず、空虚感や怒りを表出する場合もある。
③ 断念・絶望の段階
3つ目のステップは事実を受け入れ、抗議や否認をすることが見られなくなる。しかしこのような態度は、決して悲しみが減少したわけではなく、「もはや何をしてもダメなんだ。」と無気力になっている場合が多い。
④ 離脱・再建の段階
そして最後は、徐々に気分屋感情が穏やかになり再建に向かう段階に入る。社会的にも機能するようになり、現実に直面することを受け入れる。対象喪失に対して肯定的に受け止めることが出来るようになり、復帰に向かう。
勘違いされがちだが喪の作業は、決してネガティブなものではなく、対象喪失を悲しむことから逃げることなく、向き合い、受け入れるために必要不可欠なものだと位置づけられている。
劇中でもすずめは『お母さん』を探して雪の中をさまよう。事実なのかウソなのか状況が分からなくなる段階となり、深い悲しみの中それらを受け入れ無事大きく成長した。劇中でも幼いころの自分に、
「あのね、すずめ。今はどんなに悲しくてもね」
「すずめはこの先、ちゃんと大きくなるの」
「だから心配しないで。未来なんて怖くない!」と伝えている。
3.「すずめの成長」
すずめは「戸締り」をする旅の過程でいろいろな経験をし成長していく。
すずめは後ろ戸を閉める旅の中で多くの人々と出会う。そこで出会った人々は過去にすずめと同じような境遇をしていた。
まずは草太。草太は実の親に育てられておらずおじいさんに育てられていた。すずめも叔母の環さんに育てられた。
愛媛で出会った千果ちゃんは家出をしていた過去がありすずめの現在の状況と同じことをしていた。似たような境遇もあってかすずめと千果は一気に仲良くなる。またすずめは恋愛に疎く、経験豊富?な千果に恋の相談をするシーンもみられ一つ一つ学び成長する。そのなかで叔母の環の話になりすずめはこう発言する。
「早く恋人とか作ってくれないかな、この人」
「うち、二人暮らしでさ。叔母さんが私の保護者で」
「でももしかしたら、私が叔母さんの大事な時間を奪っちゃってるんじゃないかって、最近ちょっと思うんだよね」
「いい加減子離れしてほしいよ」
この発言は後の環との関係する発言である。
そして千果はすずめのことをいろいろ聞こうとするもすずめは答えを渋る。
そんなすずめの姿を見て千果は、
「でもなぜじゃろうか・・・あんたはなんか大切なことをしとるような気がするよ」と言う。
千果はすずめと別れる際に、制服では目立つからとお古の服とバッグを渡す。このときの小説版のすずめの心境は、
『どこまでも自然でさらりとした彼女の親切に鼻の奥がツンとする』
とあり、昨日今日知り合った正体不明の人間に親切をするだけでなく、それを一切恩着せがましさがない、すずめのことを思う心からの親切であり千果の優しさに感動する。仏教の教えの大切な一つである布施の心を見事に体現した素晴らしいシーンである。あまりこのシーンは考察記事にでてこないので紹介した。布施の心もいつか記事にしたい。
千果と別れたすずめは、神戸に向かおうとするがバスが来ないと途方に暮れている中、たまたま神戸に帰る途中のルミさんに出会い、神戸に同行させてもらう。このときのすずめは神戸に向かう理由聞かれ一人旅と答える。
ルミさんは夜遅くにかえってきて親を心配させた過去があり、これも旅にでていつ帰るかわからないと保護者を心配させているすずめと似たような境遇をしていた。ルミさんは、スナックのママで委託所に子供二人を預けに行こうとしたところ、委託所が急遽休みになり、すずめはルミさんの四歳の双子の子供を2人面倒見ることになる。
四歳の双子という暴れん坊二人の再手に疲れ切ったすずめは、
「私、子供って無理かも・・・」と弱音を吐く。
草太の助けもあり双子が寝かしつけることはできたが、今度はスナックの手伝いを仕事の大変さを知る。
この神戸での経験はとても重要である。その理由はまず、女手ひとつで仕事や育児をこなすルミさんという存在は環さんと似たような立場であることである。そしてすずめは一夜限りであるが、子育てと仕事の両立の大変さと苦労を知ることになり、さらに自分の子供ではない子供の面倒をみるというのは環さんとほぼ同じ立場ということとなる。間接的ではあるがすずめは環さんと同じ体験をしていくのである。
ルミさんはすずめとの別れ際に帽子を渡し、すずめを抱きしめて、「ますます家出少女っぽいやんか」と言う。すずめは一人旅という嘘は最初からばれていたと赤面すると同時に熱いものがこみ上げると描写される。本来なら家出少女が転がり込んできたなら警察に頼ってもおかしくはない。しかし、このやりとりでルミさんは言葉にこそしていないが千果と同じように、すずめが『なにか大事なことをしているような気がする』というの感じとっていたシーンである。
東京に到着したすずめは草太の部屋に向かい情報収集をする。そのときに訪ねてきたのが草太の友人の芹澤朋也である。このシーンで芹沢は草太に対して教員試験の会場に表れず教師を4年間を不意にしたことに「何やってるんだ」と怒りと戸惑いを感じていた。
芹沢との短い会話のあとすずめは東京の後ろ戸に向かう。そして草太が要石となり東京の災害を防ぐ。
すずめは草太を助けるべく草太のおじいさんと会い、草太を助け出す方法を聞き出す。
東北に向かう前にすずめは草太の部屋に向かいボロボロになった服を着替え決意を固める。劇中ではなかったがこの時のすずめの小説版の心境は、
『気づけば九州をでた日と、同じ服で、同じ髪型だった。それなのに、私の体からは何かが決定的に消えていた。自分を世界に繋ぎ止めておくための重しのようなものが、すっかりなくなってしまっていた。』
『私はまだ腹を立てていた。勝手に与えられ、一方的に押し付けられ、理不尽に奪われた。 またなの? と私は思った。馬鹿にするなと、この世界の担当者だか神さまを怒鳴りつけたかった。』
喪の作業のところの 離脱・再建の段階であり、奪われた未来に対して、立ち向かい戦う決意と怒りがあふれる心境である。
小説版「すずめの戸締り」は劇中ではなかった心境が事細かく書かれているので作品が好きな方は購入して損がないと思います。
すずめは宮城に向かうために駅に行く。すると芹沢と環があらわれ、なんやかんやで芹沢の車で宮城に向かう。片道七時間の運転をあっさり了承する聖人。芹沢がでてくるパートは雰囲気がガラッと変わって楽しい空気になるので芹沢が人気キャラなのもうなずけます。私も三人のドライブシーンはかなり好きです。
2,『すずめと環さんの戸締り』
1.すずめと環さんの本心
本題です。これが伝えたくて前回からすずめの戸締りの記事を書いていたといっても過言ではありません。
劇中ですずめは環さんのことを、環さんはすずめのことを悪口とまではいかなくても互いが互いを気遣ったり、心配をした結果、すれ違いのような描写が何度も描かれる。それらが一気に回収される場面が、多くは語られないが素晴らしい『戸締り』のシーンなのである。
芹沢の車で宮城に向かう途中のサービスエリアの駐車場で、すずめと環さんは言い合いとなる。
きっかけは環さんがすずめに、「ちゃんと話してほしい」というがもちろんすずめは口ごもりながら「ごめん、うまく話せない」と返す。
説明ができないならと無理やりすずめを家に帰そうとする環さん。そして二人の本音の言い合いが始まる。長くなるが重要なので小説の内容をそのまま引用する。
「環さんこそ帰ってよ!付いて来てなんて頼んでない!」とすずめが言うと
「あんたわからん⁉︎私がどんげ心配してきたか!」と環さんは返す。
そしてすずめは強い口調で環さんにこう告げる。
「私にはそれが重いのよ!」
この発言に環さんはハッとして空気が一変する。そして環さんは心にあった本音をすずめにぶつける。
「もう私…しんどいわ」
「すずめを引き取らんといかんようになって、もう十年もあんたのためにつ尽くして…もう馬鹿みたいやわ、わたし」
「どうしたって気を遣うとよ、母親を亡くした子供なんて」
「あんたがうちに来た時、私、まだ二十八だった。ぜんぜん若かった。人生で一番自由な時やった。家に人も呼べんかったし、こぶ付きじゃあ婚活だって上手くいきっこないし。こんげな人生、お姉ちゃんのお金あったってぜんぜん割りに合わんのよ」
すずめは涙を流し声を掠らせながら、「そう…だったの…?」とうつむきながらすずめは反論する。
「でも私だって…私だって、いたくて一緒にいたんじゃない」
「九州に連れてってくれって、私が頼んだわけじゃない!環さんが言ったんだよ!うちの子になれって!」
環さんはこれに対し、半笑いですずめに怒鳴りつける。
「そんなの覚えちょらん!」
「私の人生返しんさい!」
文字だけ見るとひどい言い合いだが、小説版ではお互いの心境が描かれおり、すずめは心の中で、
『こんなこと言いたくない。言いたくないのに、私は叫ぶ。』
『すずめ、うちの子になりんさい。あの雪の夜に抱きしめられた温もりを、私はまだ覚えている。』
とあり、環さんも劇中では操られている描写があったが環さんもひどい言葉を言いつつもずっと涙を流していた。
なおサダイジンがなぜ環さんに憑依したのかなどの考察があるが、ワイはただ憑依をしているような描写を描いただけで憑依うんぬんではなく純粋に環さんの本心がでたシーンだと思いますし、操られて言ったのであれば後の二人の会話がおかしくなるので憑依についてはスルーします。
2.すずめと環さんの心の戸締り
気まずい空気の中、芹沢カーは宮城に向かう。そしてサダイジンに気を取られ芹沢の車は走行不能になる。宮城までもうすぐ(二十キロ)と言いすずめお礼を言い走っていく。それを追いかけるように環さんは草むらから捨てられた自転車を引きずり出しすずめのもとに向かう。
少し話がそれるがこのときの芹沢の小説版の心境は、
『なんだったんだ、と愛車に話しかけるようにして繰り返す。八時間も車を運転し続け、自分なりに場を和ませようと環さんの世代が好きであろう曲をかけつづけ、突然に車を失い、しまいには置き去りにされてしまった。なにやら闇の深そうな叔母と姪は、後ろを振り返りもせずあっさりと行ってしまった。』
『いいなあ、草太のやつ!』
『俺はたぶん、何かの役割を果たしたのだ…理由もわからずに』
『草太のことはまあ、すずめちゃんと任せておけば何とかなるだろう。すずめちゃんにはあの愛情過多の叔母さんと二匹の謎猫がついている。』
『くしゃくしゃに潰れた煙草をポケットから出して口にくわえ、火をつけた。今まではさして美味いとは思っていなかったけれど…その煙は初めて感じる伸びやかな達成感のようなもを全身にとどけてくれた。』
どんなシリアスな空気になっても芹沢が登場すると空気が和み、すずめが出会ってきた人々の「すずめは何か大事なことしている」の感性も持ち合わせており、実際劇中では大事なこと成し遂げた。この男はすごい。この芹沢の持つ天性?の才能に環さんも別れ際に「君、意外と良い先生になれるかも」と太鼓判を押した。私もそう思う。芹沢はほんといいキャラでしたね。
ボロボロの自転車ですずめに追いついた環さんは、乗りなさいと一言だけ言いそれからは口をきかずただ自転車をこぎ続けた。しばらく自転車をこぎ続けた環さんはすずめが好きな人のもとに向かっていることを、そしてその人にすずめが恋をしていることを言い当てる。そしてすずめは全力で否定する。かわいい。
お互い本心ぶつけ合った結果、二人はさらに仲が深まった。そして環さんまたまた本心を語る。
「あのね、駐車場で私が言ったことやけど…」
「頭の中で思っちょったことはあるよ…でも、それだけでもないとよ」
「ぜんぜん、それだけじゃないとよ」
劇中でも小説でもこのシーンの環さんの心象はこれだけである。これだけだがとても素晴らしいシーンである。ここだけで何度も涙があふれる。
この環さんは駐車場での発言を謝罪をしているが、撤回もしていなし後悔もしていない。この撤回も後悔もしていないことが素晴らしいのである。普通の作品などでは「心にもないことを言ってしまった」と言ったり発言を撤回するがそうではない。自分の心とすずめの心に向き合いあれは自分の本心だったと認めるところが本当に素晴らしいのである。
我々は人間は、どんなに好きな人にでも、どんなに尊敬する人にでも心の中で思うことは一つや二つあるだろう。愛ゆえに憎む愛憎(アンビバレント)という言葉もあるほどで、人間は相反する考え方や感情を抱いている生き物である。その心の葛藤は、ずっと思っていた、そんなことを考えたくなくても、思いたくなくても、思わずにはいられなかった人間の心の奥底の黒い部分である。その黒い部分を包み隠さず、真っ向から向き合いそして描いた名シーンである。
前回の記事でも書いたが、「すずめの戸締り」の見どころはSFチックな世界観でもない、恋愛要素でもない。人間の心の正体を丸裸にする。そんな作品だと私は思う。
そしてその心の黒い本心もあったが、環さんの
「それだけではないとよ」
この一言に、このたった一言に環さんのすずめへの思いが詰まっている。すずめと過ごして楽しいこともたくさんあったんだと、幸せもたくさんもらったんだということがすべて凝縮されている名ゼリフであり、名シーンである。またそれを深堀りせずに受け取る側にゆだねるところも素晴らしいと思う。
環さんからの偽りのない本心からの言葉に、すずめも
「…私も、ごめんね、環さん」
と返す。これで二人は心に思っていたこと、しかし直接会って言えなかったことを言うことがで無事お互いの心に「戸締り」をすることができたのである。最後に環さんは、「…十二年ぶりの里帰りやね」と言いきれいに締める。この「十二年ぶりの里帰り」にも本来の里帰りとお互いの心のの里帰り(本音で向き合う)とも読み取れる感慨深いセリフである。
3.すずめの人生と環さんの人生
長くなったので駆け足でいく。すずめの人生と環さんの人生は共通してしまうところがたくさんある。
まず環さんがすずめに対して「うちの子になりんさい」と言っている。
すずめはダイジンに「うちの子になる?」と言っている。
そして二人ともその言葉を忘れていた。そして環さんの本心にあった、
『すずめを引き取ったときは一番人生で楽しい時だった。引き取ってしまったから結婚もすることができなかった』というのめ、すずめが要石を抜いてしまい、ダイジンを自分の子にしようとした結果、草太(愛する人との時間)を失いそうになる。これも状況は違うが同じ境遇である。
『すずめの成長』でも書いたがすずめの旅の過程も環さんが歩んだ道と似通ったところがある。つまりすずめと環さんは互いに立場を変えて同じことしていたのである。二人の人生は重なるところがたくさんあったのだ。
3.「行って帰る」物語と「戸締り」
前回の記事でふれたので多くは書かないが新海誠監督は「行って帰る」話を作るのだと語っている。
一応前回の記事を置いておきます。
「行って帰る」というのは人が移動するだけの言葉ではない。「戸締り」もただ後ろ戸をしめるだけではない。
どちらも人間の心をあらわしたものである。喪の作業で説明した通り最初は喪失や絶望するがいつかは立ち上がり未来に向かう。そしてまた転んでまた立ち上がる。我々の人生は「行って帰る」の繰り返しなのだ。
そして、心に残る後悔や葛藤や思いなどに、見て見ぬふりをせずそれに立ち向かい「戸締り」をして歩んでいこう。
私は「すずめの戸締り」からそういうメッセージを受け取った。
4.まとめ、感想
ここまで読んでいただきありがとうございます。ダイジンの正体などの考察を期待した方はごめんなさい。ネタバレ版の記事が遅くなってしまいました。もう投稿しなくてもいいかなと思いましたがせっかくなのでなんとか仕上げました。また文字数が多くなってしまいました。頑張ります。私は自分の心に戸締りすらできない弱虫なので「すずめの戸締り」を読んだり観るたび心が締め付けられます。これからも記事を投稿していくのでよろしくお願いします。次回はからは哲学に帰ります。
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