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【ネタバレ無し】「すずめの戸締り」の見どころ『行って帰る』物語

1.まずはじめに


こんにちわ 俺やで
いまさらだが今回は新海誠監督の最新作を観た。
正直一度目はほぇ~ぐらいだった。
そのあと小説版「すずめの戸締り」を読みつつ、
新海誠監督のインタビューを読んだ。

そして二度目の映画で泣き、二度目の小説版で泣いた。
新海誠監督自身も過去最高傑作というだけある。
ワイも最高の映画だったと思う。


ちなみにネタバレ無しとあるが、予告PVの内容とあらすじにはふれて記事を書いているので、
「俺は私は予告動画を見ずに映画を楽しむ派なんだ!」とか
「俺は私はすこしのネタバレも許さん!!」

って方はこれ以上は進まないほうがいいです。


九州の静かな町で暮らす17 歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが……。

「すずめの戸締り」 あらすじ


とりあえず予告PVのどちらかを見てほしい。

上にあるようにPVの内容に少しふれるので。
とはいいつつも、流し見でもいいですし、まぁぶっちゃけ見ても見なくてもどっちでも大丈夫です。

上が予告第一弾、下が予告第二弾。
一弾のほうがすっきりしていて短い。
二弾のほうは少し細かい。
ぶっちゃけ第二弾のほうが重要シーン盛沢山なので推奨。



どちらのPVにも最後のほうに女子高生が決意を秘めた表情でリボンを結び、髪を結ぶシーンがある。
そしてどちらのPVも、決意を秘めた表情の後に重要なセリフが登場する。

第一弾のPVでは、
『迷い込んだその先には、全部の時間が溶け合ったような空があった。』

第二弾のPVでは、
『いってらっしゃい』を様々なキャラクターが発し、
『いってきます』と答える。


第一弾のPVの
『迷い込んだその先には、全部の時間が溶け合ったような空があった。』についてはまたいずれ記事にする予定の、
『ハイデガーの存在と時間とは?』にて解説しようと思う。
これ解説するには大きなネタバレになるので今回はなし。

第二弾は『いってらっしゃい』『いってきます』
これは「すずめの戸締り」の最も大事なポイントである。
めちゃくちゃ大事なので後で解説します。


まずはじめに、「すずめの戸締り」がつまらなかったという感想の内容や、批判されている内容をざっとあげてみる。

・震災という人によってはトラウマをえぐるテーマ
・映画を見ればわかるがかなり主人公に都合がよすぎる展開が多い
・リアリティがない ファンタジー要素が大きい
・恋愛描写関連、ラストシーン

ぶっちゃけこの批判はよくわかる。
しかしそれ以上に伝えたいメッセージがあったのも事実。
ただ、都合がよすぎると思うシーンやリアリティがない場面や、ファンタジー要素の大きさには、2時間という尺の問題を考えると目をつぶるべきところであるし、そもそも「すずめの戸締り」はフィクションである。

震災というテーマは重要だったと新海誠監督がインタビューで答えています。これも後で解説します。


2.「すずめの戸締り」の重要キーワード解説

「震災」「戸締り」「いってきます」というキーワードについてネタバレ無しで解説


1.「震災」


まずなぜ「震災」という大きく重いナイーブなテーマなのかを解説する。
小説版「すずめの戸締り」のあとがきの新海誠監督の言葉を見てほしい。
少し長いがノーカットで記す。できたらこれは読んでほしい。

僕にとっては三十八歳の時に、東日本で震災が起きた。
自分が直接被災したわけではなく、しかしそれは四十代を通じての通奏低音となった。アニメーションを作りながら、小説を書きながら、子供を育てながら、ずっと頭にあったのはあの時感じた思いだった。
なぜ。どうして。 なぜあの人が、なぜ自分ではなく、このままですむのか。このまま逃げ切れるのか。知らないふりをし続けていたのか。どうすれば。どうしていれば。
アニメーション映画を作ることが、いつの間にかほとんど同じ作業になっていた。あの後も世界が書き換わってしまうような瞬間を何度か目にしてきたけれど、自分の底に流れる音は2011年に固着してしまったような気がしている。
その音を今も聞きながら、僕はこの物語を書いた。そしてたぶんこれからも、ぐるぐると同じようなことを考えながら、今度こそもうすこし上手く語ろうと、次こそはもっと観客や読者に楽しんでもらえるようにと、作り続けていくのだと思う。今回の映画も小説も、あなたに楽しんでいただけることを願っています。

小説『すずめの戸締まり』P369 あとがきより


新海誠監督の映画作品を最新順に並べると、
「君の名は」「天気の子」「すずめの戸締り」の3作品であり、それぞれに災害が発生ある。

「君の名は。」では「1000年に一度の巨大な彗星がもらたす災害」
「天気の子」では「止まない雨がもたらす水害」
そして「すずめの戸締り」では「震災」

新海誠監督の作品になんらかの「災害」が登場する理由についても、

「君の名は。」から「すずめの戸締り」まで、40代の10年間、ずっと2011年のことを考えながら映画を作っていたと言っても過言ではありません。

映画.com 新海誠監督インタビューより

と答えており、上記のあとがきとインタビューから受け取れるように「震災
」は新海誠監督の作品に大きな影響をうけたと答えている。

「すずめの戸締り」で発生したと思われる震災は、劇中には明確にそのワードは登場しないが、3月11日という月日と津波被害のあった宮城県の地が登場する。
かなり震災の描写がなされており関西在住だったワイでも胸を締め付けられるのでトラウマを持っている方は控えたほうがいいかもしれない。
そして主人公のすずめも大きなトラウマを持っており、過去の絵日記をあの日以来黒塗りにしている描写も描かれる。

では最初の疑問にもどり、なぜ批判されることがわかりながらも、「震災」というテーマを扱ったのか。
これも新海誠監督はインタビューにてこう答えている。

東日本大震災から10年以上が経過して、どんどん震災が我々の共通体験ではなくなってきていると思うんです。僕の娘は震災の前年に生まれていて、彼女にとってあの震災はもう“教科書の中の出来事”なんですよね。
 僕たちの映画は、10代の観客も多いです。震災を経験してはいるけれど、そのときはまだ幼かったりして、大きな実感を伴う出来事ではなかったという方も大勢いる。
 それでも、いまならまだ少し手を伸ばせば届くような過去の出来事として、多くの人が想像力を働かせることができるのではないか? 
むしろ「いまでなければ間に合わない」と思って、今回の映画にこのテーマを込めました。

映画『すずめの戸締まり』公開記念インタビューより


またPVに登場しているシーンに様残な風景がでてくる。
この美しい映像も新海誠監督の作品の見どころである。

©2022「すずめの戸締まり」製作委員会 宮崎
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会 愛媛‎ 九四オレンジフェリー
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会 兵庫 鷲羽山ハイランド付近
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会 静岡 
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会 東京 聖橋
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会 仙台

PVにて登場している場所の画像は、上から
宮崎、愛媛、兵庫、静岡、東京そして仙台。

宮崎、愛媛、静岡は南海トラフ地震で大きな被害うける可能性がある地域。
兵庫は阪神淡路大震災があった場所。
東京では関東大震災があり今後首都直下型地震が起きるかもしれない場所。
仙台は東日本大震災があった場所である。

新海誠監督は、過去のインタビューでも、


「この日常が10年後にはなくなるかもしれない」というような、
ある種の緊迫感や不安の中で、どう日常を描いていくかがテーマだった。

そして今作のインタビューでも、

「自分が住んでいる場所が明日にもなくなってしまうかもしれない」というある種の無常感が心の土台にインストールされてしまった気がするんですね。それはすずめのセリフにも反映されていると思います。


と答えている。

新海誠監督の作品から、今までに震災があった場所、そしてこれから震災が起きるかもしれない場所を描いており、このようなきれいな風景がずっとあるわけではない。過去にこういうことがあった過去にこんな風景があったことアニメであっても残しておきたいという思いを感じた。

なぜ震災というテーマなのか?
というのは新海誠監督のインタビューと言葉からしか推測できないが、震災のことを風化させたくないという思いと、今の日常は儚いものなのだというメッセージがひしひしと伝わってきた。
震災という重いテーマを用いても日常の儚さを伝えたかったのだと感じる。

また詳しく語るとネタバレになるので続きはネタバレアリの次記事で。

今の日常の儚さは、日本人なら一度は聞いたことがある一言で表せる。それは諸行無常である。これについてもまた別記事でで解説したい。



2.「戸締り」


2つ目のキーワードはタイトルにある「戸締り」

戸締りの意味は家の戸・窓を閉め、錠などをかけること。
だそうです。知ってます。

PVも扉に鍵をかけるシーンが多く登場しており、なんだかおぞましいものが出てきている扉を閉めている。
「扉を閉じていく物語」と新海誠監督もいっている通り、戸締りをしていく物語である。

ちょっとネタバレになるがWikipediaのあらすじにも、

『すずめの戸締まり』(すずめのとじまり、英: Suzume)は、新海誠が監督・脚本を務める、2022年の日本のアニメーション映画[6][7][8]。日本各地の廃墟を舞台として、災いの原因となる“扉”を閉じていく少女の解放と成長を描くロードムービー[6]。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

と災いの原因の扉を閉じていく物語と書いてある。

注目してほしいのは”日本各地の廃墟を舞台”というところで、
PVにも廃墟らしき場所がところどころでてくる。

廃墟のような場所からは寂寥感、終末感が伝わってくる。
かつてはにぎわっていた場所であったはずだが今ではさびれている。
新たな土地に住む際に行われる「地鎮祭」など、何かを始める際に行われる儀式はあるが、その土地を離れる時に行われることはあまりない。

このことも新海誠監督はインタビューで触れており、

一言で表すと「場所を悼む物語」を作りたかったということですね。前作「天気の子」の舞台挨拶で各地を回ったり、実家(長野県)に帰省したりした際に、過疎化が進んで、空き家が増えたり、かつての賑わいが失われた場所をたくさん目にしたんです。僕の実家は建築業でしたし、何か新しい建造物を作るとき、祈りを捧げる地鎮祭のような儀式をする風景も記憶に残っています。でも、反対に町でも土地でも“終わる”ときは、故人を悼むお葬式のような儀式は存在しない。それであれば、人々の思いや記憶が眠る廃墟を悼む、鎮める物語はどうだろうかと考えたんです。

映画.com 新海誠監督インタビューより
 

と答えている。
人々の思いや記憶が眠る廃墟を悼む、鎮める物語というのは重要だが解説するとネタバレになるので今回もスルー。でもそういう物語です。

「戸締り」に話を戻すと、
災いの原因の扉を閉じていく物語
人々の思いや記憶が眠る廃墟を悼む、鎮める物語
2つがわかった。
これだけみると「すずめの戸締まり」の「戸締り」の意味はこれらのことなのか。と思うかもしれないがそうではない。

これらも含まれるがそれ以上に、それぞれのキャラクターが過去の感情や怒りや葛藤などの心にも「戸締り」をして鎮めていくところが最大の感動ポイントなのである。これ以上はネタバレなので次行きます。

3.「いってきます」


ここまでながながとかたってきたがようやく「いってきます」を解説する。
一番大事なところだが短くまとめたい。

『本作では物語の基本的な役割を忠実に果たしたいと思う。「行って帰る」話を作るのだ。
 日常から出発し、そこから最も遠い場所(死)まで行き、また日常に帰ってくる。そのことによって日常の確かさを確認する。遊園地でジェットコースターに乗って、地上に足を下ろすとホッとするあの感覚。エンターテイメントで死に接近することで、自分は生きていて良かったと思える。それが物語の素朴で根本的な役割だし、僕たちのシンプルだけど難しい仕事だ。』

小冊子「新海誠本」より

「行って帰る」話を作るのだ。
正直「すずめの戸締まり」を一言で表すとこれにつきる。

日常→非日常→日常によって日常のすばらしさを再確認できる。
ここでいう非日常は震災や死を感じるできごとを指している。

出ていく側の、「いってきます」の意味は、行って、帰ってくる。
送り出す側の、「いってらっしゃい」は行って、帰ってらっしゃい。
「いってきます」は行って、無事に帰るよというメッセージ
「いってらっしゃい」は行って、無事に帰ってきてほしいメッセージ

どちらも行って帰ってくるメッセージだがどちらも無事で帰ってこられる保証はない。実際、行ったきり帰ってこない場合もある。
世の中には無言の帰宅を遂げるということもある。

震災があった日もたくさんの「いってきます」「いってらっしゃい」があっただろう。そして「ただいま」を言うことができなかった、「いってきます」「いってらっしゃい」が最後の言葉となった人たちがたくさんいるのも現実である。
そしてこれを読んでいるあなたも明日には最後の「いってきます」となるかもしれない。これ書いているワイ自身ももしかしたら今日が最後の記事になるかもしれない。人の一生は儚いものである。
ここについてもネタバレ記事で深く解説したい。

もしこの記事を読んだ後時間があるならもう一度予告PVを見てたくさんの「いってらっしゃい」を聞いてほしい。


3.まとめ、感想


まず「震災」について、被災地から離れた場所にいた自分がこのようなことを書くことがおこがましいですがここまで読んでいただきありがとうございました。「すずめの戸締まり」は今の日常は儚いということを突きつけられる作品でありました。
なんだか暗い印象をあたえてしまいそうな内容でしたが、劇中は明るく、非常にテンポの良い作品でとても見やすく見て損がない面白い作品です。

最初のほうにもにも書きましたが、ご都合主義だろうがファンタジーだろうが2時間という短い尺に多くのメッセージを詰め込まれている名作だと私は思いました。ただ、批判しようと思ってみればいくらでも批判できる内容です。映画の感想は人それぞれだと思うので、それはそれで一つの作品としての在り方なのかと思います。

今回の記事こそ短めにコンパクトにしたかったですがやはり長くなってしまいました。次回以降はもっと精進します。
次の記事ではネタバレ込みの記事を書こうと思います。ではまた


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