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【業務日報】Vamos! PC宮川!

このnoteを畳む前に、世話になった彼のことを記録せずにはいられない。彼の名は宮川大輔。嘘ではない。通称「PC(ピーシー)宮川」。実家がりんご農家という彼が陸前高田にやってきたのは3年前だろうか。「オイラには長野で培ったりんごの知識がある。聞けば陸前高田という町は、130年以上のりんご栽培の歴史があるって言うじゃないか。現地の生産者と協力して、お互いが持っている技術をうまく融合すれば、震災復興への一助どころか、大きな産業振興になるかもしれない…オイラ、やってやんぞ!」…という理由ではない。ただ、全く違うとは言い切れない。大きな野望を持ってきたのは確かで、選んだのはりんごではなく、「陸前高田市が新産業創出の目玉事業の一つ」として掲げるピーカンナッツの生産に真っ向から挑戦しているのだ。

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「ピーカンナッツは北米原産のクルミ科落葉樹の実で、国内ではアーモンドの100分の1程度の消費量しかない希少性を持つ。栄養価が高く、アルツハイマー病予防にも効果があるとされる抗酸化物質を含み、高収益の作物として注目されている」 ※東海新報 令和2年6月5日紙面より抜粋

…というもの。共同研究には企業や大学が関わり、更には昨年まで市役所職員だった方がピーカンナッツ関連の会社を市内に設立したり、夏には6次科の推進拠点整備が始まるなど、なかなかの盛り上がりよう。ただ肝心のピーカンナッツはまだ苗木なので、「収穫できて、販売して、収益があって」という状態ではない。そんな傍らで彼は、農業の経験を積むためにちょくちょく畑に来てくれていた。ピーカンナッツもりんごも木に成るものだから、ノコギリの使い方とか用意しなきゃならない道具だとか、草刈りの仕方や施肥の時期など、とりあえず農業の知識と経験を積みたい彼と、単純に人手が欲しかったこっちの事情にハマり、人懐っこい性格とマシンガンのようなトークスキルも相まって、作業はもちろんイベントから飲み会に至るまでなんやかんやで重宝されていたし、キャラ的に天然の笑いも”持ってる”ので、頼りがいがあった。しかしどこかで、ピーカンナッツが本格的に稼働したら…きっとりんご畑に来ることはなくなるだろう、という寂しさも少しは片隅にあったわけで。そして今年の春。いよいよそのことが告げられる。

「司さーん!ようやく畑を借りられたので、新規就農します!」

「やったじゃん!オレと同期だな!ピーカン植えるんだよね?」

「いや!ピーマンです!」

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「ええっ、ピーマンなの」
「はい、ピーカンです」
「ピーカンでしょ」
「間違えました、ピーマンです」
…という問答が色々続き、情報を整理すると。
①ピーカンナッツは前述のとおり、若木のため収量が見込めるのは約3年以上かかる→②その間の生活費を埋める方法として、新規就農し何らかの農作物を作って売ってしのぐことを決意→③その農作物として、春に植えて夏には収穫・販売できるピーマンを選んだ(岩手県はピーマン生産量全国5位で、県レベルで作付けを推進しているんだって!)。ざっとこんな感じ。そんな話を聞いたら、がんばってね、だけで済ますわけもなく、先月はLAMPメンバーとともに作付けを手伝ってきたのです!

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植えたピーマン苗は860本。しかし次の週にはなんと大雨洪水警報が発令!
りんごも心配だったけど…。今回ばっかりはそれ以上にピーマンが心配。そして、あれから。

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お分かりだろうか?
ピーマンの赤ちゃんがしっかり育っていました。

実は、長野県と米崎りんごには深いかかわりがあって。かつて陸前高田には、(有)安曇野ファミリー農産の初代園主、中村元一氏が毎年技術指導に来てくださったそう。それによって「サンふじ」には当時の高品質・高収入を目指した誘引主体のたれ枝剪定が導入され、それ以外の品種には樹勢に合った剪定方法を行ってきたのだとか。おそらく、今の米崎りんごの樹形はその名残があるのでしょう。

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先人が築いたご縁に誘われたのかどうかはわからないが…。
とにかくピーカンナッツが産地化すれば、国内初なのだとか。
キックボクサーで魚民がお気に入り。「チェンソーマン」と「呪術廻戦」を愛し、「ウマ娘」をこよなく愛でる男。
彼の名前は「PC宮川」。
応援せずにはいられない。

それでは素敵な1日をお過ごしください。
イドバダアップル 吉田司でした。

クラウドファンディングの記録
https://camp-fire.jp/projects/view/407030


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