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性別違和への受容プロセスを作ったよ!

性別違和を覚える年齢は幼稚園から小学生頃が多いとされるが、まれに成人期以降になって違和感をもつこともあるとされる。

本人が体の性別と心の性別が一致しない場合や、中性的なMtXやFtXまでそれぞれの受容プロセスが必要だと感じました。

今回はその全体像についてアウトプットしたいと思って記事にしたので、よろしければ以下参考にしてみては如何でしょうか?

性別違和を自覚した時

当事者が「性別違和」を自覚したとき、どのような反応をするのだろうか。いくつかの考えられるケースを紹介したい。

①否認

ロスの死の受容プロセスでもあるように、「事実の否定」という形で振舞ってしまうことである。事実を受け入れられず、他の防衛手段(抑圧・解離・分裂・反動形成・昇華)を取ることがある。

②怒り・悲しみなどの感情・抑うつ感情

自身の性別違和によって怒りや悲しみが現れる段階。なぜ自分がそんな目に遭わなくてはいけないのかと悩む段階。他の精神疾患(二次障害)も発生する場合がある。

③現状打破のため、性別とは関係ない事で昇華する

例えば小学生で自覚して親へのカミングアウトが困難な場合、そのことを隠し、性別とは関係ない勉強やスポーツといった分野に我を忘れるほどのめり込むことで、性別に対する意識を反らす。

元男の子YouTuber「青木歌音」は、厳格な父の元で育ったこともあり、高校は高知県にある全寮制の高校へ進学し142キロ投手になったようです。
以下、女性になって東京ドームでの始球式動画です。感動です。

このようにして中高生時代は、葛藤と昇華を繰り返すようですが、ずっと葛藤したまま成人を迎えるケースもあるようです。

若い頃は職業選択肢が狭まるなどの理由で諦めていた人も、時代の変化で受容しながら治療を開始されるケースもあります。

④受容 

自分の身体と心が一致しないことを受け入れて、本格的な治療段階へと進む段階。ホルモン治療開始のためにジェンダークリニックに通ったり、診断証を持って手術をするなど、積極的に治療・活動を行う。

親に内緒でホルモン剤をネット購入して高校卒業して就職し、20歳で性別適合手術を受けるなど、たとえ親の理解がなくても人生選択肢が広がりつつあります。

さつきぽん」こと西原さつきさんは、名前も性別も男性のまま履歴書に書いたけど、比較的寛容であるIT系企業やアパレル業界・美容業界などに絞り、スカート姿で面接を受けに行って、名古屋にあるWeb系広告代理店への就職が決まったことが大きかったと語っています。

しかもその会社は、そのことについて何も言わず、トイレや健康診断なども女性トイレを使用していたといいます。西原さんはそのことをとても感謝していると中日新聞で語っています。

当事者の中には二次疾患・自傷行為があったり、経済的・その他精神的理由から治療を中断したりする場合もある。そのような場合にも、自分の身体を受容できるように、精神科医・家族とともに生きる道を模索していくことが求められる。時間はかかるかもしれないけれど、性別適合手術の負担は顔の整形手術以上であり、術後のメンテナンスを含め、予め経済的にも精神的にも余裕が必要である。
知人が術後半年間働けませんでしたので、医療ローン使って1年分の家賃くらいは残した状態で手術を行ったほうが賢明でしょう。

青木歌音さんは睾丸摘出手術代・歯科矯正代を貯めて手術し、その後性別適合手術をされています。それだけ経済的な負担は大きいです。親の協力なしには、優秀な人でないと難しい道のりであることが伺えます。

まとめ

すでにお話したように、子どもたちにとっては彼女たちのような存在がロールモデルとなって大きな精神的な支えとなっている部分もあると思います。学校を卒業するまでに、本人が希望すれば手術も戸籍変更もできるような社会になることを強く望みます。

無知・無理解は憎悪を生む。

今後のみなさんの活躍に期待したいですね。

では、また次の記事でお会いしましょう!



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