自死した弟のこと【16】自死後④

 無事に弟のバイクと車の売却を進めた私は、一旦家へ帰った。「自死した弟のこと【14】自死後②」で書いた通り、遠足のため、息子のお弁当を作らなければならなかったからである。
 母と朝ごはんを食べてから駅へ向かった。家を出る際に妹が布団の中から、
「お姉、ありがと」
とぶっきらぼうに言った。布団から出て私の顔を見ながら言ったらいいのに…。でも、それがあの時の彼女の精一杯だったのだろう。

 電車内で私はふと、向田邦子の『犬の銀行』という話を思い出していた。その話の冒頭、向田邦子と母がたいそう可愛がっていた「向田鉄」と犬が出てくる。弟にも可愛がっていた「ジョン」という犬がいた。いとこの家で飼われていたジョンは、名前は男らしいが、雌だった。弟の姿を見ると、「クゥ~ン、クゥ~ン」と甘える。私や妹に対してはそこまでではないのに、やはり人間と犬といえどもそこは男と女。弟に対しては徹底的に甘え、弟もいつまでもいつまでも庭先でジョンを撫でていた。ジョンは確か、弟が小学生の頃に病気で亡くなってしまったのだが、亡くなって何年経っても時々ボソっと
「ジョンに会いたい」
と呟く弟の姿が印象的だった。まるで唯一の友を失ったかのような口ぶりだったから。弟は天国でジョンに会えただろうか。会えていたらいいなと思わずにはいられない。

 そんなことを考えながら電車に揺られ、家に着くと夫と息子がご飯を食べていた。夫は何も尋ねてこない。ほんの数日離れていただけなのに、何か月ぶりに会うような気がする。懐かしいと錯覚した私は、子どものように声を上げておいおい泣いてしまった。夫は黙って私の背中をさすり続けてくれた。
 翌日は無事にお弁当を作り、息子を遠足に送り出した。私は、すぐにまた実家へ戻らなくてはならない。葬儀会社との打ち合わせがあるからだ。人が亡くなるとこんなに慌ただしいのか…。忙殺されていた私は、まだ弟のご遺体と対面していないことに気づく余裕すらなかった。

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