自死した弟のこと【7】社会人③
皆で旅行した後すぐに私は中国地方のとある県へ引っ越した。妹は一度遊びに来てくれたけれど、弟と会うことはおろか電話やメール、LINEもしない日々が長く続いた。中国地方から再び関東地方へ戻ってきた年のお正月、久しぶりに弟と会うことができた。
「元気?」とか
「仕事はどう?」
みたいな当たり障りのない会話をポツポツと続けていた。子どもの頃はあんなに仲が良かったのに、大人になり、いざ久々に会うと話題ばかりを必死に探して天を仰いでしまう。
私にはいとこが3人いて、幼い頃は私たち3人(私、妹、弟)プラスいとこ3人の計6人でしょっちゅう遊んでいた。叔父と叔母がお店を営んでおり、バブルの頃は飛ぶ鳥を落とす勢いで店舗を増やし猛烈に働いていたから、母が子ども6人まとめて面倒を見ていた。ちなみに、バブルが崩壊して景気がずっと低迷している現在は閑古鳥が鳴き続けていたお店を閉め、叔父と叔母は第二の人生を謳歌している。
さて、いとこには3人の子どもがいる。そのうち、中1の長男が小4から学校へ行かなくなってしまった。学校へ行かなくても維持していた友だちとの交流も徐々に途絶え、外に出ることすら難しくなり、髪もセルフカットしていると話すいとこは目に涙を浮かべている。口を挟むことなくその会話を聴いていた弟が、こう言った。
「俺、〇〇(いとこの長男)とイオンモール行ってくるわ」
え????
美容室にも行けないのに???
イオンモール???
とその場にいた全ての大人はそう思った。
宣言通り、弟はいとこの子と2人きりでイオンモールへ出かけた。人の10倍も100倍も繊細な弟は、相手の気持ちを汲みながら、心が壊れないように接したことだろう。帰ってきて、映画『リメンバー・ミー』を観たという話にいとこは、嬉し涙を流していた。
繊細で優しい弟は、いつもこの子のことを気にかけ、LINEでやり取りしたり、オンラインゲームをしたりしていたようだ。
弟が亡くなって半年以上経つ現在でも、誰もこの子に弟の死を伝えることができない。
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