自死した弟のこと【25】手紙

 納骨を終えて、私は弟へ手紙を書いた。火葬の数日前、手紙を書いて棺に入れようとしたのだが、その時はどうしても書けなかったのだ。納骨後、少しずつ元気を取り戻す中で、弟との思い出や伝えたいことを忘れてしまうんじゃないかという気持ちが膨らみ、そうなる前に手紙を書こうと決めた。
 手紙のコピーや写真を撮ったわけではないので、全く同じではないのだが、このように書いた。

「〇〇(弟)へ

子どもの頃、明るい声で〇〇(私)ちゃんと呼んでくれてありがとう。
一緒に雪で遊んでくれてありがとう。
ポケモンで遊んだね。ハリーポッターごっこもしたね。楽しかった。

最後に良い関係で終われなくてごめんね。本当に後悔しています。
でも、〇〇(弟)のお姉ちゃんでいられて嬉しいです。ありがとう。

〇〇(私)」

 この手紙は、現代美術作家の久保田沙耶によるアートプロジェクトである「漂流郵便局」(https://www.mitoyo-kanko.com/facility/missing-post-office/)へ送った。今頃、香川県の粟島で漂っていることと思う。

 どのくらい後か忘れてしまったが、この手紙を出してから一度だけ弟の夢をみた。私は今の36歳の私で、弟は赤ちゃんだ。赤ちゃんの弟を膝にのせ、お腹をくっつけて抱っこしている。すると、みるみるうちに弟が大きくなり、自死した頃の年齢まで大人になった。そこで夢は終わってしまった。それ以来、弟の夢はみていない。
 弟が生まれて家に来た日のことを今でも覚えている。弟を真ん中にして、私と妹で挟むように寝ころんだ。あまりにも可愛くて母に
「抱っこしたい」
と言ったが、断られた。とてもショックだった。
 
 子どもの頃から、弟のことがとても好きだ。ゲームをしたり、同じ漫画を読んだりした。スーパーマリオRPGのケロケロ湖が全然攻略できなくて、一緒に知恵を絞った。競ってポケモンのレベルを上げた。ハンターハンターって面白い!と何度も話した。千と千尋の神隠しに出てくる坊がネズミになって可愛いねと話した。たくさん遊んで、話した。大人になってからも変わらずそうすればよかった。
 後悔したところで弟は戻らない。

 戻らないけれど、もう同じ後悔をしたくないから、私はほんのちょっとだけ自分の行動を変えてみようと決めた。お向かいに一人で暮らしている80代のお婆さんと友だちになり、困ったら連絡して欲しいと電話番号を交換した。毎朝息子を学校へ送るとき、昇降口で泣いている女の子がいる。その子に元気いっぱい挨拶したり、スカートが可愛いねと声をかけてみたりする。障害児親の会では自分から新入会者に話しかける。同じ障害児を育てる親同士、時には一緒に泣く。ワンオペで大変な友だちと隙間時間でポケモンの話で盛り上がる。(どうやらバクフーンが出たらしく、ヒノアラシをくれると言っていた)
 相手によっては迷惑な行動かもしれないが、それでも構わない。もし誰かが「死にたい」や「消えたい」と思う前に、それぞれが抱える苦しみ、孤独、困難さが少しでも癒されたらいいなと思う。弟にできなかったことを自分の近くの人にしたい。そうすることで、ずっと弟のことを忘れずにいられるような気がする。

 弟よ、理解できなくて、助けられなくて本当にごめんね。謝っても謝っても足りないけれど、まだまだ私の人生は続くし、続く限りは少しでも楽しく生きていきたいと思っている。
 ずっと忘れないよ。
 ずっとお姉ちゃんだよ。

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