自死した弟のこと【20】自死後⑧(思い出)

 火葬後に皆で骨上げをした。ペアを組んで箸でお骨を骨壺に収めている最中、私はお骨を落としやしないかと緊張した。別のことで自分を緊張させないと、止めていた涙がまた溢れそうで怖かったのだろう。
 告別式は行わないから、もうこれで終わりだ。どうして告別式をしないかというと、弟が自死の直前に残した遺書というかメモにそう書かれていたからだ。レシートの裏に書かれたそのメモはこのように書かれていた。
「直葬でお願いします
お母さんはお母さんの人生を生きてください
私も好きにします」
 この文を読み、8月に母から「好きにして」と言われたことで、弟は本当に居場所を失ってしまったんだなと感じた。(「自死した弟のこと【11】休職④(LINE)」参照)
 私はこのメモで初めて「直葬」という言葉を知った。弟はどうしてこんな言葉を知っているのだろう。―ずっと前から自分の人生の閉じ方を考え、調べていたのだろうか。

 葬儀後、皆で忌中払いの会場へ移動し、会食しながら弟の思い出話をした。幼い頃は甘えん坊で母にベッタリだったよねとか、スーパーでのバイト中に東日本大震災が起こって、店長が食べ物を持ち帰らせてくれて…あの時は助かったよねとか。特に印象的だったのは、いとこ2人が話した内容である。その中には私の知らない弟の姿があった。

・あるスポーツを始めて、社会人サークルに入っていたこと。
・そのスポーツの動画を作成してYouTubeにアップしていたこと。
・YouTubeでコメントを貰ったと嬉しそうに話していたこと。
・昔は仲の悪かった末のいとこと大人になってから穏やかに話せるようになり、「仲良くなれて嬉しいよ」と言っていたこと。
・末のいとこに対し「東京で一人暮らしをしたいから、(飼っている)ウサギを預かってくれない?」と頼んでいたこと。

 スポーツを始めたり、東京に行こうとしたりしていたのか…。弟は何とか生きるために必要な希望をつかもうとしていたのだ。そのことが分かってよかった。

 会食後、私はすぐに電車に乗って夫と息子の待つ自宅へ帰った。片づけから葬儀までは何日間かの出来事だったけれど、もう何か月も経ったような気がしていた。ヘトヘトで、帰りの電車内では本を読むことはおろかスマホに目を落とすことさえできない私は、揺られながらひたすらボーっとしていた。
 家に帰って夫と息子の顔を見ると、心底安心してその晩はよく眠れた。
 でも、それなりの日数が経った頃、私はどうしようもない苦しさに襲われ始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?