『土星の環 イギリス行脚』W.G.ゼーバルト|感想

 文章を読んでいると、この文体はすらすら読める、また別の文体は読みにくいが不思議な高揚感がある、さらに別の文体は全く自分の好みではない、など理屈で説明することは出来ないが感覚的に自分に合う文体というのが自ずと見えてくることがあると思う。私にとって、そのような感覚に訴えかけてくる文体がまさに鈴木仁子さんの訳したゼーバルトの文体なのだ。
 私が初めてゼーバルトを読んだのは、講義の課題図書としてゼーバルトの『移民たち 四つの長い物語』を指定された1年前である。その講義を履修するまでゼーバルトという作家自体知らなかった。最初の数ページを読んでみると、小説であるにも関わらず随所に写真が挿入されていることに加え、当時の私は海外文学を読み慣れていなかったこともあってか、改行の無さやカギ括弧のない会話文、独特な文体に惑わされ、読み進めることに非常に苦労したことを今でも思い出すことができる。読み終えることに労力を費やしたが、私には『移民たち 四つの長い物語』のレポートが待っていた。しかし、なんとかして書こうにも何を書けばいいのか皆目見当がつかなかった。そこで仕方なしにもう1回読んでみることにしたのだった。すると、初読の時には考えられなかったが、ゼーバルトの文章が自然と頭に入ってきたのである。それはまるで、幼いときから美味しくないと決めつけていた食べ物を数年後に改めて食べてみると、その思い込みが嘘のように美味しかったというような経験だった。再読の際には、ゼーバルトの作品には必ず挿入されている写真について、物語の文脈にリンクしていること、ただし必ずしも関連がある写真だけではないこと、ある虚偽を含んだ写真も使われていることー『移民たち 四つの長い物語』にはある新聞記事の切り抜きが貼られているが、その新聞を日時や紙面から特定することができなかったー、などの効果を知ることができた。また、文章においては、以前感じた改行の無さやカギ括弧のない会話文、独特な文体のいずれもが、読みづらさから一転して心地よさに変わっていたのである。このような体験は、私の読書経験にとって一番の衝撃的な出来事であった。
 以上の経緯から、私にとってゼーバルトは印象深い作家として心に刻まれている。今まで読んだゼーバルトの作品は、『移民たち 四つの長い物語』、『目眩まし』、『空襲と文学』、そして今回読み終えた『土星の環 イギリス行脚』の4作品である。他の作品と同様『土星の環 イギリス行脚』にも、ゼーバルトの特徴である小説とも随筆とも受け取ることができる捉えどころのない文体が遺憾なく発揮されている。私を虜にしてやまないこの文体は、なぜそのような効果を生むのだろうか。その1つの理由として随筆にフィクションを織り交ぜていることが挙げられる。たとえば、『移民たち 四つの長い物語』では、実在した(ように思われる)人物が金閣寺に宿泊するというくだりがある。しかし、私たち日本人にとって金閣寺に宿泊できないことは明らかである。このような本当にあった(と思われる)話に虚偽の情報を加えることで、他の小説にはない独特な味わいを感じることができるのだ。
 『土星の環 イギリス行脚』は、語り手である「私」がイースト・アングリアのサフォーク州を徒歩で旅した紀行文である。「私」はそこで見た景色や地元の人との触れあい、偶然見たテレビ番組などから、そこにかつて存在したであろう歴史を想起する。たとえば、5章は「私」がサウスウォルドに着いた2日目の晩に1916年にロンドンの監獄で反逆罪により死刑に処された、ロジャー・ケイスメントのドキュメンタリー番組を観たことがきっかけで、ケイスメントと彼の知り合いであったポーランド出身のイギリスの小説家であるジョゼフ・コンラッドの2人の半生についてまとめられている。簡潔に、そして詳細にまとめられているこの章からは、イースト・アングリア大学の教授であるゼーバルトの研究者的な気質を窺うことができるだろう。一般的な伝記や歴史書は著者の思想を極力排除されているように思われるが、『土星の環 イギリス行脚』は随筆作品でもあるので、2人の半生にゼーバルトの考察が記述されている部分がある。コンラッドは小説家になる前は船乗りであった。彼が船乗りを志した理由として「私」は次のような考察をしている。

(前略)…ひょっとしたらコンラト少年はふと眼を上げて、生涯はじめて見るかのように、上空の雲の帆走を眺めはしなかったろうか、そしてそのとき船長になりたいという、ポーランドの地方貴族の息子にはおよそ似つかわしくない望が脳裡にきざしたのではなかろうか。

『土星の環 イギリス行脚』p107

 『土星の環 イギリス行脚』の全ての章は、5章と同じような形式で人や物、産業などの歴史について書かれていて、そこにゼーバルトの考察も加わっている。とりわけ私にとって興味深かったのは、レンブラントの絵画〈テュルプ博士の解剖学講義〉についての考察だ。

〈テュルプ博士の解剖学講義〉、油彩、1632年

 「窃盗の罪により数時間前に首をくくられた町のちんぴら」であるアリス・キントの解剖図であるこの絵画について、「私」は死体の周りに群がっている人々が「本当にこの肉体だったかどうか疑わしい」と述べている。その理由として「私」は次のように考察する。

この解剖は腹部を開いて腐敗しやすい内臓を取り出すことからではなく、罪を犯した手を切開するーそれがまた刑罰の遂行を表しているとも言えるのではないかーことから始まっているのだ。しかもこの手がいったいに妙なのである。鑑賞者に近い方の手と較べるとグロテスクなほど釣り合いがとれていないし、のみならず解剖学的に言ってまったくあべこべなのだ。むき出しになった腱は、親指の位置からして左手の掌の腱であるはずだが、実際は右手の甲のそれなのである。つまりはまったく教科書的な、あきらかに解剖学図鑑からそのまま借用して写しただけのものなのだ。このために他の点では言うなれば本物そっくりに描かれた絵画は、切開がおこなわれた場所、すなわちまさにその意味の中心において、とほうもない虚偽の作品に反転することになる。レンブラントがここでうっかり誤りをおかしてしまったとは考えにくい。むしろ、これは意図的に構成を破綻させているのではないか。形のゆがんだその手は、アリス・キントに加えられた暴力の証左なのだ。

『土星の環 イギリス行脚』p20.21

 〈テュルプ博士の解剖学講義〉への考察は、最近絵画に興味を持った私にとってそそられるものであった。そして私は、ここに見られる「暴力の証左」に注目した。この考察を受けた上で改めてこの絵画をよく観てみると、死体の周りの人々が誰もアリス・キントを見ていないことがわかる。何かの本で読んだのだが、医療というのはキリスト教において、神に作られた身体を操る行為であるため、禁忌だとされていた時代もあるらしい。解剖という名目のもと死体に手を加えているにも関わらず、誰もそれを直視しない。死体の周りの人々は自らに暴力に荷担していると知りながらそれを受け入れることができない。つまり、死体を直視していないということそのものが「アリス・キントに加えられた暴力の証左」なのではないだろうか。
 このような「暴力」は、ゼーバルトの著作のテーマの1つである。以前、noteで投稿した『空襲と文学』も戦時中ドイツに加えられた暴力について取り扱っているし、『移民たち 四つの長い物語』も移民することを余儀なくされた人々とその暴力の歴史について取り扱っている。勿論、今回扱っている『土星の環 イギリス行脚』においても暴力を取り上げている。8章では、アイルランド抗争の被害にあった人の証言が6ページ続けて語られている。そこで語られる暴力は人に与えられるものに限らない。動物や建物、また植物などにも加えられた暴力、あらゆる暴力についてゼーバルトは書く。私の印象としてゼーバルトの暴力の描き方は、人物、建物や植物などの写真からそこに加えられたであろう暴力を読者に想像させるというものである。フランスの思想家であるロラン・バルトは『明るい部屋 写真についての覚書』の中で、1865年にアメリカの国務長官の暗殺を企て絞首刑になろうとしている独房の中のルイス・ペインの写真から「彼が死のうとしている、ということ」を受け取り、「それはそうなるであろう未来と、それはかつてあったという過去を同時に読み取る」と述べている。ゼーバルトが挿入する写真は、「それはそうなるであろう未来と、それはかつてあったという過去」という2つの要素を併せ持った写真のように思えてならない。そして、私たちはそれらの写真からそこにかつてあった暴力とこれから起こる暴力を読み取るのである。たとえば、3章では、文脈上で少し触れられただけのベルゲン・ベンゼン強制収容所の写真が見開き2ページに渡って挿入されている。森のなかで死体が山積みになっているこの写真を観て、過去にナチスによって虐殺が行われたという過去、これからこれらの死体が処理されていくという未来を想像することができる。写真を挿入することで、過去に加えられてきた暴力について考える機会を設けさせているのである。
 『土星の環 イギリス行脚』では、エピグラフで『ブロックハウス百科事典』で引いた土星の環を引用している。

土星の環は、土星のまわりの赤道面を円形軌道を描いて公転する氷の結晶や隕石と思われる細かい塵状の粒子からできている。これらは惑星に近づきすぎたために惑星の潮汐力によって破壊された衛星の破片である可能性が高い(→ロシュ限界)。

『土星の環 イギリス行脚』p3

 土星の環は、破壊された衛星の破片である可能性が高いという。また、土星の環は早ければ1億年後に消滅するという。私たち人間が進歩する度に犯す過ちは、土星の環のようにいずれは記憶から消滅してしまうものなのだろうか。たとえば、アイルランド抗争の暴力の記憶は、ホロコーストの記憶は、第一次世界大戦の記憶は。その記憶を消滅させないために文学が存在しているのだと私は信じている。


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