「3年の前期を振り返る」(昔のブログより引用)

3年前期の試験が終わった。疲れた。

今セメ、そして今までの大学生活を振り返る。

「周りの学生」

今セメは、法学部についていうと、ゼミと、友人との会話の2つが僕に影響を与えた気がする。

先ずはゼミの話。今セメは政治史のゼミに参加した。みんなで丸山眞男なんかを読み、討論する、というもの。僕はそれに参加したのだ。高校のとき日本史40点だったくせに。

数ヶ月、他の真面目な生徒と討論しあったわけだが、彼らとの討論はなかなか心に来るものがあった。彼らの知識量に接し思い知らされた。自分が如何に積み上げてこなかったか。

話は変わるのだが、同じことは学部の友人と話していても感じる。

3年前期は進路選択の時期である。そういう話をする。でやっぱり、公務員とか院試の勉強の様子とか聞いてると、やっぱり差を感じるわけで。かたや僕は再履修生ですから。(再再履修かも…)

法学部には、「いやあ引き離されちゃったな」と感じさせる人がいる。けっこういる。
最初は彼らも僕と同じで、教科書も先生の話も意味不明だったかもしれない。それでも、なんとか理解する術を、毎度の期末試験の勉強を通して身に付けてきた。そしてその集大成として院試、公務員試験などにに挑もうとしている。まっとうな歩みだ。

一方、法学部には、独自の分野について理解を深めてきたひともいる。ゼミ生には、日本の鉄道政策(南満州鉄道とか)に没頭している人もいた。その人が教授の指導のもとに書いたとかいう論文は興味深いものだった。

高校のときの友達と話すと「地方よりも東京の大学の方が優秀な学生いるよ笑」なんて言われたりもするが、僕は自分の学部の学生は、学ぶ能力という点で、なかなかすごいんじゃないかと思う。

「僕の欠点」

さて、評価の目を自分に向けるとどうだろう。非常に頼りない。自分はなにを積み上げてこれたのか。

前述した学生と僕の一番の違いは「学ぶ姿勢」だと思う。
僕は高校生のとき、「先生の話を聞くより参考書自分でやったほうが効率的でしょ」と考えて、授業では居眠り、読書ばかりしていた。

一見その考えは当たっているように思えた。学校の成績は底辺だったが、模試では上位に位置していた。

自分の間違いに気付いたのは大学に入学してからだ。先生の話をノートにまとめることが出来ない。90分集中して話が聞けない。先生独自のカリキュラムで進行するため参考書なんてものはない。僕は大学で劣等生になってしまった。

一方友人たちはなんとか食らいついていた。高校の成績が良く、AOで入学したという友人のノートは読みやすく、同じ授業についてのものとは思えないほどだった。

大学入学の頃から、学ぶ姿勢を身につけた彼らと学べない自分、差はすでについていたのだろう。そしてその差は、大学でも怠惰を究めた僕が、今更埋められるものではないだろう。

「これからについて」

では、これからどうするか。

自分の至らなさを自覚しながらも出来ることをやろうと思う。

成績表を見る限り、政治科目と公法については、悪すぎないので頑張ってみようと思う。民法刑法は苦痛なのでもうやんない。苦手ならとっとと乗りかえりゃいい。損切り。

この夏休みは日本の近現代政治史について学ぼうと思う。1960年の安保闘争と似た情況に今なっているように、歴史は繰り返される。近代的な政治体制下での歴史を学ぶことは、これからの政治について理解するのに役立つと思う。

あと、個人的に興味のあるネットメディアについても学ぶ。今、手始めとして「アーキテクチャの生態系(濱野智史)」を読み進めている。

「最後に」

なんでこんなことを書いたかというと、一年後に就活を控えた今は、振り返りの時期と考えているからだ。

今、自分のいたらなさを自覚することで、意識高い系のように、身の丈に合わない努力をせずにすむと思う。

最後に。
高校生、大学1年生、2年生はまだ間に合う。学校の勉強はちゃんとした方がいい。一日の大半が授業なんだから、授業楽しいと一日楽しいだろうし。

以上。