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21歳って人生で最高のときかもしれない


高校一年生の最初の3ヶ月だけ体育会系の部活に所属して思ったことは、たかが数ヶ月早く生まれただけで先輩というものはなにも尊敬ができないということ。

あの部活を形容する全てが嫌いで、体育会系、女子、ソフトボール、全部主語を大きくしてぶん殴ってやりたいけど、あのコミュニティは特にちょっと変だったんじゃないかなと思う。
ソフトボールをやりに入ったのに、顧問は全生徒の模範になれとか言ってたし、先輩は何を根拠にこんなに傲慢になれるのか不思議だったし、の割には綺麗に顧問に対してはとても”いいこ”でいて、なんだか窮屈な、大人の顔色を伺う小学生が、実は陰でめちゃくちゃいじめてる、みたいな、不健康さが漂うコミュニティだった。私は3ヶ月だけだったけど、横のつながりも縦のつながりも仲悪いなんてすげえな、と思った。練習もめちゃくちゃきつかった。

上下関係が嫌いで、大学に入って後輩というものができてからは、歳上にはちょっと舐めた口調で、でも絶対年下には丁寧な口調で話してやろ、と思っていた時期があった。

たかが数年生まれた年が違うだけで、人間何も変わらないと、ずっと思ってきた。

しかし最近、21歳になって、20歳の時の自分と、19歳の時の自分が、とても懐かしく子供のように思えることがあった。

19歳の時は、高校卒業の自由を謳歌したくても成人の壁があって、20歳になったら公式で大人になった勢いで、そのまま自由を楽しんだ。21歳になった今は、昔を振り返ったり、自分の立ち位置を考えたり、これからのことを考えたりすることが多くなった。お酒も20の時のようにただただ酔っ払う感覚を味わうために飲むのはなくなった。

これは年齢だけじゃなくて、絶対に環境が関係しているのだけど、21歳の環境を19歳の私に与えたら、今の私のようになったのかもしれないけれど。

でも同じ19歳でもあの子とあの人は全然違くて、年齢のカテゴリーを持っていつでも接してるわけじゃもちろんなくてほとんどの時間がそうじゃないんだけど、でもふとした時に、大人だなって思う部分と、子供だなって思う部分がそれぞれあって。

あの人を見てやっぱり19歳って子供かもって同い年の子に伝えた次の日には、あの子を見て、自分よりも全然大人だって思ったりする。

結局はカテゴライズできることじゃ全然なくて、人による、で終わる話だけど

私の人生では、21歳の自分が、すごく好きで、これは「今の自分が好き」とかそういうんじゃなくて、21歳ってプロフィールに書くことが一つのステータスになるんじゃないかってくらいのもので。
18.19.20の流れの果てにある21歳の意味がとても強くある。21っていい数字だなぁと、思ったりする。

自分の頭の中には、ものすごい大きな感情と論理がこの「21歳です」に対して込められていても、それを色や味や音でこの興奮を伝えることはできず、ただ、「21歳です」っていう情報だけが伝わるのかもしれないのが、すごく寂しいのだけれど


私と同じように思う人はこの世にいるはずで、私は21年間で自分が好きだなっておもう人が誰かわかるようになってきたと思う。



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