バイトしくじり王が教える!!バイトの生き方 選び方 第3話(イタリア料理店) 謎の社員に恫喝される編

ッ疲れ様で〜〜〜す!!(ハキハキ系飲食店の挨拶)

僕のバイトに関する経験を並べて、教訓めいたことを言っていくシリーズ、第3話です。



3つめのバイト、イタリアン

前回のバイトで完全に挫折したにしむぅは、その後数ヶ月の無職期間に入ります。多分11月ごろまで無職だったのかな。
もうイヤ〜〜〜!!!(メイプル超合金) になったんですよ。

大学とサークルだけの生活。ただでさえ無いお金がゴリゴリ減っていきました。

何かあった時のために取っておいた人生最後のお年玉が功を奏し、なんとか生き延びることはできましたが、その「予備」すら無くなってしまい、バイトを余儀なくされます。

バイトを探し始めた僕は、あることを確信しました。

バイトは給料で選んだらあかんのや。

と。

思えば、塾講師高級居酒屋も、最初に注目したのは給料でした。

効率厨だった当時のにしむぅは、「同じ時間なら給料多い方がいいに決まってるよなぁ?」と、ひたすら時給の高さを求めていたのです。

しかし、彼は時給が高いところはヤバいと学びました。

標本数2なので正しい統計かと言われるとそうではありませんが、痛みの記憶が標本数を2億ぐらいにカサ増ししておりました。

しかし、一日しか働いてなかった僕は、まだ「教訓4:よっぽどやりたいことでない限り、勤務地は『家の近く』か『大学の近く』にする。中途半端は避ける。」
の存在に気付いていません。

またしても、家からも大学からも遠い大都会の飲食店で働き始めるのです。



シュレッダー店長

さて、次に僕が目をつけたのはイタリアン。またしても巨大複合商業施設内の飲食店です。

選択理由に関しては
「時給が高過ぎず、かといって低過ぎず(あれだけ言っておいて、まだ時給に未練がある)
週1日から入れるところ」
を基準にしたように記憶しております。週1日にこだわった理由については後述いたします。

面接に至るまでと、その内容に関しては前回と殆ど同じなので省略させていただきますが、またしても一つだけ違和感が。

僕は自分の履歴書を封筒に入れて持って行ったんですよね。面接をしてくださった店長は、その封筒から履歴書を取り出して読んでいたわけです。

面接の終わりぎわ、店長は「じゃ、○日の○時によろしく!!」と笑顔で僕に言ってくださり、「ああ、遂にアタリかも!」と思った次の瞬間。

僕が渡した封筒をビリビリ〜!!!!と勢いよく(8つぐらいに)引き裂き、レジ裏のゴミ箱にドサ!!!!と捨てたではありませんか!!!

人間シュレッダーだ!!!!と震え上がりました。

しかし店長は屈託のない笑顔です。恐らく、なんの悪意もなく「中身の履歴書だけで良いよな」と思い、封筒を捨てたのでしょう。

いや、でも僕の前でやるそれ?!

今でも、「なんでアレあんな…いきなり封筒を………。笑顔でビリビリに………。」と店長の姿を思い出しては、モヤモヤしてしまいます。

今思えばこれが前兆だったのかもしれませんね。

でも、店長はなんやかんや優しくて僕は好きでした。
厳しいときもありましたが、「悪意で言っているんじゃないのだな」というのが伝わってくるような愛情があったんですよね。



成功の予感

さて、バイトが始まった僕ですが、今回は「キッチン」を選びました。

前回ホールで痛い目に遭ってますからね。もうホールはやりたくなかったんです。

イメージとしては居酒屋のカウンター席から見える厨房みたいな、細長〜い厨房で調理を行います。

といっても、最初は皿洗いからでした。
皿やコップをどんどん食洗機にかけていき、食洗機に掛けられないようなデリケートな食器は手で洗っていきます。

皿を洗い、所定の位置に置く。食べ残しがあれば廃棄する。皿洗いはこれだけなのです。

なのに、すごく働いている感があります。お客様がお帰りの際は「あらした〜〜〜!!!」と飲食店のバイトらしい掛け声をあげることにも成功し、「今回のアルバイトこそ成功するのでは?!」という希望が生まれてきました。

先輩は「洗い物まだぁ?!?!?もう皿無いんだけど!!!!!!!!!!」としばしば怒号を飛ばしてきますが、まぁ理不尽に無視されたりはしませんでした。

しかし、少しずつ雲行きが怪しくなっていきます。



シフトを出して怒られる

アルバイトの求人広告には

未経験者大歓迎!!先輩スタッフが丁寧に教えるので未経験スタートでも安心♪
1日3時間、週1日から勤務OK!
無理なく働けます☆

と書いておりました。

先輩スタッフが丁寧に教えてくれたかと聞かれたらウンとは断言できませんが、前ほど酷くなかったのでそこはスルーさせていただきます。

当時、僕は教員免許を取るために履修できるギリギリまで講義を履修していました。

大学が終わるのは大体17時か18時半。大学終わりに片道45分かけてバイトに行く時間的な余裕は、ありませんでした。

平日は大学が忙しく、そのためサークルでの活動は土日に集約していきます。

このことから、シフトには大学が早く終わる日と、ヒマな土日に入れていくのが理想なんですね。

そのために、週1日からOKのバイトを探していたということです。
いや〜〜ありがたいですね。週1日でいいのなら、忙しい僕にもピッタリです。


僕はその日、次の月のシフトを店長にLINEで提出しました。多い時は週に4日、少ない時は週に1日みたいなバランスだった記憶があります。

初めてシフトを出すので、これがどういう形になるのかなぁ、なんて返ってくるかなぁ。とソワソワしておりますと、LINEの通知が来ました。

「ちょっと少なすぎるな
土日が休みなのわダメ」


え゛?!!?!?!?!?!


助詞が「わ」なのも驚きましたが、「少なすぎる」「土日休みNG」という、たった二つの言葉に僕は震え上がりました。

実は、この職場では「キッチン」が絶滅危惧種だったのです。

「1日3時間、週1日から勤務OK!」で「無理なく働ける」のは、ホールだけだったのです!!!!!

キッチンが少なすぎて、土日にバンバン入ってくれないと店が回らないから!!!!

な、なんだそりゃ…………!!!!せ、せめてそうなら「※キッチンは除く」とか明記しといてくれよ…………!!時給も同じだし……。

僕はその後、数回分のバイトを付け足されることになり、「あれ……?これ…………このパターン……もしかして…………。」と、今後僕の身に降りかかるであろう不幸を想像していました。

しかも、他のキッチンスタッフは数名のフリーター(あと数ヶ月〜2年で辞めそう)と、卒業を控えた大学4回生。そして店長や社員です。

つまり、そろそろ大量のキッチンが抜けるというタイミングで僕は入ってしまったのです。

ただでさえ少ないのに………。

僕は周りの人間から絶対に辞めるなという強烈なプレッシャーをかけられることになります。

僕は追い詰められていきました。



「セガワさん」

そんなことがありつつも、僕は自分が「3回連続でヤバいバイトに入ってしまった」とは認めたくありませんでした。

「俺の選んだバイトは間違ってなかったんや!!!」と自分で自分を認めてあげるために、「土日が休みなのわダメ」の記憶を抑圧し、最初の2,3週間はガムシャラに頑張っていましたね。

しんどかったけど、それなりに学びもあった気がします。

ホールは広告通り「みんなでワイワイ楽しく!」やってんのに、キッチンだけ怒号と(客への)罵声が飛び交って殺伐としているのが本当に嫌でしたが。

僕は今でも、めんどくさそうな商品をオーダーしたら厨房で
「バカが!!!!こんなラストオーダーギリギリに来てパフェとか頼んでんじゃねぇよ!!!」
とめちゃくちゃdisられるんじゃないか?

と想像してしまいます。

書いてて思いましたが、客から普通に見えてる厨房で怒号を飛ばしまくっても客に聞こえないんですかね??

バイトの仲間内でこっそり客をいじったりするというカルチャーは割とあるあるだとは思いますが、アレ筒抜けじゃなかったの??と思いました。今更。でも誰も指摘してなかったからそんな聞こえてなかったんだろうな。


さて、その日、僕は夜から閉店までのアルバイトをみっちり頑張って、他の先輩方とともに更衣室で着替えておりました。

「おい、お前明日はオープン(=開店準備)からだよな。」
「はい!朝から夕方までです。」
「初めて?」
「はい!!」

「あ〜〜〜〜………。明日土曜の午前やから、セガワさん来るで。」

「(何その同情の顔?!)セガワさん?」
「うん。セガワさん(仮名)。休みの日のランチとか、忙しい時にヘルプに来る社員や。」
「え、ど…どういう方なんですかね…。」
「めっちゃ怖いねん。みんなその人にしごかれとる。」
「え。」
「明日はとにかく頑張ってな。根は悪い人じゃないから。」
「え……………。」
「まぁ気をつけて。失礼のないようにしたら大丈夫やし。新人には多分優しいから………。」

先輩は立てられるだけのフラグを全て立てて帰ってしまいました。
僕はその日、不安で眠れませんでした。



セガワさん、襲来

次の日は午前10時からのシフトでしたが、あまりの緊張と恐怖で全然眠れず、9時にはバイト先のビルに着いていました。

ビルの飲食店コーナーはまだ空いてないどころか仕込みをする人もおらず、僕と、清掃員のおばちゃんしかいませんでした。

日頃の賑やかさが嘘のようでした。このビルの飲食店コーナーは照明が明るく、内装も優しい暖色系で、老若男女取り入れようという雰囲気がありました。
照明もついていない静まりかえった飲食店コーナーはとても怖かったように記憶しています。

僕は、この静かさが一生続いてバイトなんて始まらないでくれ!!!!!!と願っておりましたが、10時前には見事に全員集合しておりました。当然ですね。

開店準備を行うのはキッチンスタッフだけでしたが、いつものバイト達や店長に紛れて、見たことのない男性が立っておりました。

他のバイト達に比べて明らかに歳上であり、すぐに「この人がセガワさんなんだな」と分かりました。

セガワさんはロン毛で太っており、メガネをかけていました。目は細くつり上がっており、眉間にはシワが寄っていました。顔は太っているように見えて何故か骨張っており、太っているのか痩せているのかわからない印象でした。
簡単に言えば、何をするか分からないような怖さがある風貌です。

セガワさんは「あ〜〜〜お前が新人か!!よろしく!!」と僕に大きな声で話しかけました。
(アレ……?!なんか快活で明るい感じだぞ……?)よ、よろしくお願いします!!!」

ぼくは、「現実のセガワさん」が「僕の中のセガワさん」よりとても優しかったので驚きつつも、ホッとしました。

しかし「快活で明るい感じ」なセガワさんはこの1センテンスだけです。それ以降二度と快活で明るい感じになることはありませんでした。


前回のパートのおばちゃんも最初の1センテンスだけ優しかったんですけど、これもしかして僕が無能すぎて怒らせてるってことなんですかね????



「勉強しかできないバカ」

我々は、まず11時の開店に向けて仕込みを始めました。

キッチンを数人で切り盛りしている割に客のキャパは50人ぐらいあるので、時短できる環境を構築する「仕込み」という作業はとても大切です。

初めて午前中のシフトに入った僕は、仕込みの方法が全く分かりません。快活で明るいセガワさんに質問します。

「すみません…。これ、仕込みってどうやったらいいんですかね。」
「トマト4つとナス5つとパプリカ4つを1セットにして(タッパーに)詰めろ。あとパプリカは8つに切れ。タッパーがいっぱいになったら次はイカ4つと貝2つを1セットにして詰めていけ。あと…………」

セガワさんは「仕込みの全て」を一息で言いきってしまいました。

僕は焦ってメモを取りながら、マリオパーティー4のクッパのパニックフルーツというミニゲームを思い出していました。

走り書きした「トマ4 パ4 ナス5」というメモを厨房のテーブルに置き、食材とタッパーを取り出します。食材を詰めるためのタッパーは2〜4リットル分ぐらいの容積がある、大きなものでした。

この時、ひとつの疑問が浮かび上がりました。

この大きなタッパーにどうやって「セット単位」で食材を詰めんの?
と。

「セット」「詰める」というワードから、「1セット」がぴったり入るような小さなタッパーが沢山あるのかと思っておりました。
しかし、僕の目の前には大きなタッパーがドカンとそびえているではありませんか。

僕の脳はフル回転しました。この職場では手を止めたら怒号が飛んでくるので、棒立ちの時間は長ければ長いほど不利なのです。

考えに考えた挙句、「タッパー内にまんべんなく敷き詰めたらちょうど1セットになるのでは?」という結論に至りました。
なるわけねーだろ。

僕はタッパーに食材を詰めていきました。トマト4つで…ナス5つで……。

動揺しすぎてパプリカを切り忘れていました。

僕は冷蔵庫から包丁を取り出します。職場で包丁を殆ど触ったことがなかった僕の手は、緊張で小刻みに震えていました。

僕が包丁に手をかけ、へっぴり腰パプリカを切っていると

「仕込みまだ?!?!?!」

と、先ほどの「明るくて快活な」セガワさんからは考えられないドスの利いた声が、僕の鼓膜にブッ刺さりました。

「は、はい!!!(動揺しすぎて『はい』としか言えない)」
「見せてみろお前!!!!全然できてねーじゃねーかよお前ぇ!!!!!!」

きのう先輩に「新人には優しいから…」と言われていましたが、ホンマに?????
これが「優しい」に含まれるのなら日頃は手が出るんですかね。

「なんやねんその切り方ぁ!!!!そんなことも分からへんのか!!!!!!!」
「す、すみま、すみ、すみま」
「チッ(舌打ち)、代われ!!!!!!」

猛烈な速度でパプリカを切るセガワさん。さすが社員というだけあって、慣れが違います。あっという間に切ってしまいました。

「おい!!!!詰めろ!!!!!」
「はい……。」

僕の頭は真っ白でした。さっきまで考えていた「タッパーの詰め方」なんてさっぱり忘れて、震える手でとにかく食材を詰めていきます。1セット1層になるように………。

「おい!!!!!!」
「はい……。(意気消沈)」
「俺さぁ、さっき○個ずつ詰めろって言うたよな、お前に。」
「は、はい」
「なんやねんそれは!!!!!!!」

セガワさんは新人を恫喝するのに慣れているのか、とても緩急のある怒号を使いこなしていました。

先ほどの文章で言えば、「俺さぁ、さっき○個ずつ詰めろって言うたよな、お前に。」は、うなるように低い声で、一言一言間をあけながら、ジリジリと僕に迫ってきます。

そして「なんやねんそれは!!!!!!!」で声量を一気に爆発させ、僕を圧倒しました。グランジと同じですね。

僕はセガワさんの思惑通り、見事に震え上がりました。

「お前さぁ、分からへんのか?そんなことも。」
「いや、すみません………。」
「何個ずつって言うたら普通こうやろが!!!!!」

とセガワさんは正解を見せてくれました。1セット分詰めたら、上からラップを被せて層を作るのが正解だったらしいです。分からん。

「やれ!!!!!!!!!」
「は、はひ………。」
「どうすんねんお前!!!開店まであと○分やぞ!!!!?!?!そんなチンタラしてたらお前のせいで間に合わへんやんけ!!!!!!!」

僕の手は、自分でも面白いぐらい震えていました。でもやるしかありません。セガワさんの例を参考に、見様見真似で詰めていきます。

しかし、セガワさんはさすがプロと言ったところです。皆さんにイメージしていただけるかは分かりませんが、食材を1セット詰めるたびにラップで層をするというのはかなり難しいのです。

まずその「層」が崩れないようにするのも、適切な長さのラップを出すのも、なかなかコツが要るものでした。

「まだ!!?!!?!?!?!」
「あ、は、で、できました。(半泣き)」
「グッチャグチャやんけお前!!!!!!こんなこともできひんのか???

お前頭いいって聞いてたけど全然バカじゃねーか!!!!!!!!!!!!!」


ば………バカ………。


この言葉はかなりグッサリと刺さりました。

なんせ当時の僕の人生は、とにかく勉強勉強勉強………。

僕は中学受験もしないのに、「周りが通っているから」という理由で、小学4年生の頃からなんとなく進学塾に通い始めました。とにかく勉強勉強………。
気づけば、義務教育期間を「クラスを代表するガリ勉」として過ごしておりました。

その後は高校受験に失敗してしまい、「二次関数が原点から浮き上がってどこかに行っちゃう」という怪現象を前に挫折。

1,2年ほどモチベーションを失い、一時期は偏差値40を割りますが、血を吐くような……いや、実態に即して言えばウンチを漏らすような努力でなんとか挽回し、地域では賢いとされている大学に合格。

しかし大学に入ってからも、教員免許を取ってナイスな教師になるために、勉強勉強勉強(最終的には教師になりませんでしたが、まぁコレに関してもいつか書きたいですね)。

そんな机に向かうタイプの努力に取り憑かれた生活をしていた僕は、運動神経も悪く、口下手で、手先も不器用。

小学生の時なんかは、ドッジボールのチーム分けで最後に余った僕を押し付けあうジャンケンが開催されていたほどです。

そんな生活だったので、「勉強」とか「頭脳」だけが僕の最後の、「人権の砦」だったワケですね。

Twitterでは「『勉強しかできない無能』とか言うけどさ。お前ら『勉強すら』できてないよね??学力がある時点で無能ではないだろ」
みたいなツイートが定期的にバズりますが、セガワさんに怒鳴られた瞬間に僕はこのツイートを思い出し、

「す、すまん、君たち………。僕は君たちの主張の反例になってしまったようだ………。
センター試験の『正解』はあんだけスラスラ見つけられるのに、タッパーに食材を詰める際の『正解』すら見つけられやしないんだ……………。
受験の科目に『ドッジボール』とか『コミュニケーション』とか『食材をタッパーに詰める』とかあったら確実にどこにも行けないような、どうしようもない奴なんだ、僕は………。
神よ、勉強『しか』な僕を、裁いてくれ………。」

と、顔すら知らないネット上の誰かに対し、非常に申し訳なくなった記憶があります。

前のバイトの時もそうでしたが、理不尽に怒られると脳がすごい勢いで回転して、こういう過去の出来事が急にフラッシュバックするんですよね。どういう仕組みなんでしょうかね。



辞職を決意

その後もセガワさんに怒鳴り散らかされまくりましたが、この「頭いいって聞いてたけど全然バカ」が僕のコンプレックスをあまりにも正確に撃ち抜いたため、それ以外に何を言われたか全く覚えていません。

ただ、昼休みにビルのトイレで泣きに泣いた記憶があります。コイツ泣かされてばっかだな。

なんかほんと可哀想。可哀想じゃないですか?自分のことだから可哀想に見えるだけで、皆さんから見ると「お前が無能だからだろ?」という感じもあるかもしれませんけど。

午後に入っても相変わらず怒鳴り散らかされ、一度崩れたメンタルは何度も崩れ、もはやサラッサラの粉末になっておりました。

そんな折、神経質なフリーターの先輩から「お前さぁ!!!!絶対辞めんなよ!!!!キッチン誰もおらんくなるから!!!!!」と怒号が飛んできました。


僕は決意しました。もう辞めよう、と。


その日の帰り、店長に「下宿を引き払い、引っ越すことになった」というバチバチの嘘で辞職を表明し、その後数回シフトに入ってから、晴れて退職したというわけです。

店長は、見え透いた嘘で辞職する僕を止めはしませんでした。本当の理由に薄々気付いていたのかもしれません。



その後と、反省点および総括

このnoteを書く際に、「そういえばあの店どうなったのかな」と思ってググったら無くなってました。どうやら去年か一昨年ぐらいに閉店したようです。まさか本当に店が回らなくなってしまったのでしょうか………。

よく考えたら、キッチンの絶滅危惧種っぷりに対して、ホールのバイトは多すぎて切らなくちゃいけないぐらい沢山いました。そう考えるとこのバイトに応募する人は少なくはないワケです。

つまり、僕と同じようにキッチンが入ってはすぐ辞め、定着しなかったのかもしれませんね。うーーむセガワさん恐るべし………。


今回の反省点として、僕が不器用すぎたというのがあります。

この一件を境に、「べ、勉強だけじゃだめだ………。もっと実践的な…机上だけに留まらぬ知識を得なければ……」と思うようになります。

寺山修司は「書を捨てよ町へ出よう」と言っておりましたが(これってオリジンは寺山修司なんですかね)、そのフェーズに入ったということです。

そして今回の教訓は以下の通り。

教訓10:料理好きじゃない限り、飲食でキッチンは避ける。


それでは。

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