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お金をためる方法・増やす方法。と自叙伝的な。1/???

もう何年も前の話になるのですが、友人とお金についての話をしたときのことをnoteに書いておこうと思います。

何人かの友人に話すたびに「本にしたら?」とか言われていたのですが、もう古い話だし、自分は金融の専門家ではないので専門的な話でもないからと思っていましたが、noteに登録していくつかの記事を投稿しながら「なんでも書けるな。想像以上に面白い」と感じて、つぶやき程度の記録でもいいから書いておこうと思いました。

※このノートは更新・修正してゆくと思います。たぶん。

マガジン化しても面白そうだとも思っています。どうやるかはまだ未定です。

さて、ぼちぼち話をしてゆこうと思います。

【目次】

序章~第1章・バブルの終焉 (このnote)

第2章・大手ゲーム会社勤務時代

第3章・ゲーム株バブル(?)到来!!

第4章・岐路

以下鋭意制作予定…


序章

(なんとなくタイトルもつけてみる)

誰もがお金が欲しいと思うのです。僕ももちろんお金を得る、貯めるにはどうするのが良いのか、お金持ちになるにはどうするのが良いかをずっと研究してきました。

子供の頃から父親が「お金が無い、お金が無い」と言っていたので、じゃあ自分はお金持ちになりたいなと考えたのです。

実際には学費を出してくれて美術系の大学にも通えたので、うちは貧乏ではなく、ある程度のお金のある家で育てられたのだろうとは思っています。親が蓄えてくれていたのだろうとも思うと、それはとてもありがたいことです。

第1章・バブルの終焉

1992年だったかと思います。武蔵野美術大学に入って本格的に日本画の勉強を開始しました。絵を描くのに画材を買うのですが、日本画で使う岩絵の具が高い。岩絵の具というのは、その名のとおり、岩から顔料を削って絵の具にするのです。日本画は、その顔料とニカワを湯銭で溶かしたものを絵皿で混ぜて雲肌麻紙(くもはだまし)などの和紙に塗ってゆきます。

とりあえず、今の時点では、絵を描く描写は割愛いたします。

何が言いたいかというと、「岩絵の具は高い」ということでした。

黄土や茶色など、自然の色は比較的安価です。最近の画材の情報は追っていないので、当時の記憶にたよって書いておきます。

日本画の顔料は1両目2両目などと言う単位で売っているのですが、先に書いた黄土や茶色は2両目で120円とかですが、紫や群青色等は2両目で360円や480円、ときには880円位だったような気がします。

※1両目=15g・2両目=30g

学生の身分でこれは厳しい。30グラムなんて、ヒト刷毛でなくなってしまうのです。

そういった事情のところへ、同級生から「ゲーム会社でバイトするけど、一緒にどう?」という感じで誘われました。

当時はスーパーファミコンが全盛期。そろそろ終わりを迎えようとする時期でしたが、そんなことはわからずにいました。

そのバイトというのは、ドット絵を描くバイト。(ドットは打つといいます。) ムサビからそう遠くない、国立(くにたち)にある小さなゲーム会社でバイトの募集をしていたのでした。

アルバイトを開始して、自給720円くらいか、そのくらいもらってました。最低自給のこともわからない年齢でしたけれど、ゲームの絵を書いてドット打って、それがゲーム画面に反映して、それだけでとてもワクワクしていた時期でした。

平日は、授業後のいちにち5時間前後。だいたい一週間に2~4日、土日も出たりしていて、土日は一日中バイト先でゲームしながら仕事しながら過ごしていた感じです。少しすると自給が860円くらいまであがったかな。

ざっと計算すると、1週間1~2万円程度で月に4~8万前後くらいの稼ぎをしていたと思います。親からの仕送りがあったので、これは大部分を銀行に貯めておきました。

半年くらい働いて、バイトに誘ってきた同級生が「バイトやめる」と言い出しました。学業がおろそかになるのを懸念してのことらしいです。急に自分もなんだか不安になり、バイトをやめて学業に専念し始めました。

このドット打ちの経験が、のちの大手ゲーム会社への就職につながるのですが、まだ自分としてはわかっていないんですよね。続けていたらどうだったのかはわかりませんけど。

さて、ドット打ちのバイトはやめましたが、単発のバイトはいくつかやっていました。そのときのバイトで稼いだお金を銀行に預けていたのですが、5万円だけ定期預金に預けました。銀行の窓口で相談して複利にしたのです。20万円で当時安価で出たMacintosh IIvi を買って、いろいろな絵や文を書いたり音楽を作曲したりしていました。

5万円だけ預けた定期預金は、一年間で2500円増えていた気がします。(通帳見直さないとな。どこに仕舞ったかな?) 当時、バブルが終わる時期だったかもしれませんが、なんと年利5%!!

これが当たり前の時代でした。数字は少しあいまいな記憶なのですがこの年利が毎年下がっていったのです。次の年に年利3%くらい。その次の年に2~1%だったような。

あれ?

おかしい。

卒業時期には定期金利1%程度だったかと思います。そして就職…ではなく、大手ゲーム会社にまたアルバイトとして入りました。1996年の話。

その大手ゲーム会社では、自給1600円でした。

え、1600円??

学生時代のバイトとは桁が違う。

マジでびっくり!!

でした。

仕事も楽しくて、ずっと会社に居る感じです。

ここではまだ、バブルが!! ←当時はそんなこと思わず上場企業ではたらける喜びでガンガン働いていました。

仕事内容は、簡単にいうと3Dプリレンダのゲーム画面制作でした。

画像の作成はAlias社のPawerAnimaterという、Mayaの前に出ていたアプリケーションでしたが、Photoshopを使用しての画像データ処理なども含めて、いろいろなことを経験させていただきました。具体的な業務内容は、今のところは書けないので、こんな感じで。

そして一年程度経過して、上司と部長に呼び出されてこう言われました。

「正社員になりませんか?」 

第2章・大手ゲーム会社勤務時代

につづく。

※「正社員になりませんか?」というのは、バイト全員に言っていたようです。笑

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