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#100日後に映える部屋

わたしは実家暮らしだ。
26歳だが、一度も一人暮らしというものをしたことがない。
もちろんそれに対する憧れはあるので、家族に相談するも「つうちゃん(わたしは家族につうちゃんと呼ばれています)はやらなくていい、その分貯金すればいい」「そんなに一人暮らししたいのなら、一人暮らししたと仮定して家賃分を貯金すればいい」と打ちのめされ、わたし自身もそこまで必要と感じなくなっていった。

そんなこんなでうだうだしていたら、うつ病になってしまった。

うつ病というのは恐ろしい。
発症したのが2018年の9〜11月だが、一度は寛解(通院の必要なく病気がおちつくこと)したか…?」と思っても、またすぐに調子が悪くなる。
2020年6月、世の中の人々はコロナによる自粛明けで街へ出ているのに、わたしはずっと家にいた。

ステイホーム期間中やっていたこと

家にいる間、熱心にやっていたことといえばswitchの大人気ゲーム「あつまれどうぶつの森」。プレイ時間は300時間を越え、生身の人間よりもバーチャルのどうぶつたちとの会話を楽しんでいた。部屋を模様替えしたり、お金を稼いだり、島の景観をよくしたり。そうやって現実ではできっこない「一人暮らし(しかも無人島暮らし)」の欲を、わたしは画面の中でみたしていた。
やさしい音楽もあいまって、ゲームをやっている間は気が紛れた。現実に起きたかなしい事件や、じぶんの身の回りに起きたやるせないこと、それらすべて忘れて崖や川を作ることに集中できたのだ。あらためて、株式会社任天堂にお礼をいいたい。

(ゲーム内での寝室。落ち着ける空間を目指した)

(リビングダイニングは観葉植物多め)

実家で一人暮らし、いけるのでは?

あつ森にドハマりする理由は各々違うと思うのでとりあえず割愛するが、ほんとうにこのゲームは楽しい。インテリアもリアルだし、アイテムの種類も膨大にある。ゲームが楽しすぎるあまり、すこしインテリアに興味が出てきた。
「あれ、いまどんな部屋にいるんだっけ?」と軽い気持ちで辺りを見渡してみる。ぐちゃぐちゃで引きっぱなしの布団、本棚に入りきらずに積まれている本やマンガ、脱ぎっぱなしの服………なんじゃこれは!
ゲームの世界ではスタイリッシュな部屋に住んでいるのに、なぜ現実世界のわたしの部屋はこんなにもへにょへにょなんだ!!と打ちひしがれた。というか引いた。なにが一人暮らししてみたいなあ、だ。実家で衣食住を人よりも楽なはずなのに、生きることすらままならないなんて。絶望というよりは、ぼうぜんした。そして、考えに考え…そして、思いついたのだ。

(一人暮らしが無理なら、実家の一室を使って一人暮らしをすればいいのでは?!)

もちろん、そうじ、せんたく、料理もキッチンでできるし、夜はばあちゃんの夜ご飯の支度をいつもどおりてつだえばいい。家賃代として仕送りをすればいいだけだ。
なんだ、こんなにかんたんなことだったんだ。わたしは「一人暮らしをしたい」というよりは、「好きな家具に囲まれながらひとりでおちつく空間にいたい」人間だったのだ。その思考に気づいてからは、行動に写すだけだった。


まっさらな部屋で、まっさらな気持ちになった。

そこからわたしの行動は実に早かった。幼少期に姉と寝室として使っていたのだが、時が経つにつれてベッドも使わなくなり、服を着替えるだけになってしまった部屋があったことを思い出した。そうだ、そこをわたしの一人暮らしの部屋として仮定しよう。いつのまにかうきうきしてる自分がいた。
すぐさまそばにいる祖母に「実家で一人暮らし」計画を伝えると、「なんでもいいからやってみればいい」と背中を押してくれた。わたしは自他共に認めるほどのおばあちゃん子なので、わたしの意見を素直に肯定してくれたことがうれしかった。

とつぜんの生活感なのかなんなのかわからないが現実写真で申し訳ありません。これが先ほど言っていた寝室。ファッションケースやら、伯母の荷物やら、姉の出産帰省したときのものやらがごちゃっとあって、物置部屋感がすごい。心なしか扇風機もゲンナリしてる。この部屋を見渡して、わたしはとりあえず「部屋を0にすること」を目標にかかげた。

まずはじめにベッドの解体、ファッションケースの解体。おばの荷物を移動、ファッションケースにかけていた洋服類は無理やりクローゼットにねじ込んだ。解体したものたちをガムテープで留めて、部屋を見渡した。

この部屋って、こんなにひろかったんだ。

小学生〜大学生のころまで使っていた寝室。床が一部分黒ずんでいたものの、南向きだから光がよく入るし、木目調の壁もいい。落ち着く。

ものをほとんどかたづけて、からっぽの部屋をみたら気持ちがすっきりした。いままであったいやなこと、かなしかったこと、二度と声に出したくない罵声、その悪夢を毎夜思い出すのだが、ベッドを片付けた日は悪夢がなかった。晴れやかだった。それが、ほんとうにうれしい。

わたしは一般人なので、なにもえらそうことはいえないけれど、「ゆたかさ」、つまり人生のゆたかさとは「時間」なんだとおもう。この時間にこれができてよかった、あのときの思い出が忘れられない、そういった過去、現在、未来の時間たちが、いま生きているわたしたちの「ゆたかさ」という概念そのものをうみだしているのだと思う。

きょうははじめて花を生けた。きんちょうしたけど、あんがいできた。花屋の伯母にほめられてうれしかった。日々とは、人生とは、記憶とは、案外そんなもののかけらでできているのだろうね。そうやってこつこつと生きている日々のすべてが、自らのゆたかさにつながるんだろうなあ。

わたしは、これから自分好みのお部屋にするのがたのしみです。まずはベッドだ。給付金が手元にあれば、躊躇することもないんだろうけれど。名古屋市、よろしく!!!!

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Twitterでは #100日後に映える部屋 というハッシュタグで毎日模様替えの様子やほしい家具のことを呟いてます〜

id: @kbys_tgm


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