やってみらんと分からん 第2話
1話目を読んでいない方はこちらからどうぞ。
オフィス家具メーカー K社をあとにした私は、求人誌を見てシステム開発会社A社に入った。
ソフト開発会社A社は、立ち上がったばかりで社長・部長・主任・営業が各1人ずつの小さな小さな会社だった。
社長や部長は、私が工学部卒ということで期待していたようだ。さすがに本当に頭がいい人間はコンビニに売ってある求人誌を見て電話はかけてこないと思うのだが、期待されるのは悪くはない。
A社は、地元の中小企業向けの案件/顧客管理ソフトなどの開発をやっている会社で、ここで私はプログラミングを実践で覚えさせてもらった。
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人間関係
私は、会社の人間関係にいつもビクビクしていた。前のK社でも工場にいた剃りが入った先輩が怖かった。多分、嫌いって顔に出ちゃうんだ。
恐れていたとおり、このA社でも先輩が意地悪だった。
入社して1ヶ月ほど経ったときに初めての事件は起きた。
お客さんのところへ、私が初めて作ったプログラムを納品に行ったときだ。
私は、全く検討違いのファイル1つだけを持っていったおかげでプログラムはうまく動かなかった。
同行していた先輩は、「実行ファイルがないじゃないっ!」と現場のお客さんがいる目の前で、顔を朱に染めて私を怒った。怒ったというよりもブチ切れた。
そんな意地悪な先輩にいつもいびられながらも耐えた。
そして、2度ほど会社の前の桜並木が花びらを散らせた頃に先輩は、沖縄にある取引先のお客さんの会社に転職していった。
先輩は、会社を愛せなかったのかもしれない。でも、泡盛と先輩は相性いいだろうな〜と、なんとなく思った。
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人生とプログラミング
先輩が去る少し前から、別の開発会社と一緒にプロジェクトをしていた時期が2年ほどあった。その別会社の1人Kさんが、私のプログラミングの師匠とも言える人で、厳しくも優しくプログラミングを教えてくれた。
私は27で結婚し、仕事も泡盛先輩が抜けたあと、A社の主任として仕事を任されるようになった。
ところが、結婚してから副業で始めたネットショップが軌道に乗ったのもあり会社を辞めた。結婚して1年後のことである。私も会社を愛せなかった。
その後、プログラミングの師匠の会社でフリーランス契約で仕事させてもらったりして、Kさんをはじめとする別会社のみなさんとは、共に学び共に遊び、様々な経験をさせてもらった。
中でも初めての風俗は、今でも鮮明に覚えている。Kさんと飲みにいった帰りに二人で薄暗い路地を入ってスーツの男たちの声かけをスーッと通り過ぎて、一直線に強面のおじさんの目の前に立った。Kさんが声をかける。
「組長〜 いくら?」
小声でささやかれた組長(よく見ると藤原組長にクリソツ)は、すぐさま右手の人差し指を1本出してすぐにパーに変えた。つまり15(イチゴー)である。私たちは巣箱のような建物の入り口を通って、くたびれたソファにお互い少し離れて座った。
「お客様、おまたせしました。どちらからご案内しましょうか?」
ボーイさんらしき若い店員さんに声をかけられる。
「お前から先に行けよ」とKさんに言われ、おどおどしながら立ち上がりボーイさんのあとをついていく。
ボーイさんに案内された目の前のカーテンを開けると一人の女性が立っていた。腕を組んできたその女性は想像していたよりもずっと笑顔が素敵で可愛かった。私は階段を上がるまでずっと「かわいいね〜」「かわいいね〜」とずっと連呼していたらしくボーイさんとKさんは爆笑していたそうだ。
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そのあとの話は、また次回。
とにかく社会人ってこんなに楽しいものなんだというくらい、この頃は楽しかった。今はKさんに会う機会がかなり減ってしまった。前回会ったときは、お世話になったKさんの会社の上司のお葬式だった。Kさんはいまだに元気に遊んでいるそうで先輩らしいなと思った。
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私のサラリーマン時代は、ここで幕を閉じる。
社会人というよりは、奔放で気ままに過ごした時間だった。楽しい時間は過ごしたけれど、A社でもっと自分の力を本気で発揮していればよかったなと後悔してる。行き当たりばったりの考えで小さな会社を潰したようなものだったから。
今その会社はない。部長は何年か前に見かけた気がする。社長は一度もお見かけしていない。元気だといいけど。
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