嫌われる食材だと想定していながら提供した結果は悲惨だった。
献立作成を業務としていた頃、頭の中は常に食材と組み合わせと調理法とカロリーで占められていた。
献立を考えるのは比較的好きで、当時は料理本を見ては試行錯誤していた。あれもこれもと盛り込んだらカロリーオーバーになるし、調理師に負担がかかるため、さじ加減は難しかった。
年に一度の保健所による給食施設の指導監査は、多方面から突っ込みに遭うが、何より栄養価に気を配る必要があった。密かに監査を「ガサ入れ」と揶揄したものだ。
朝食献立を考えている時だった。頭パンパンで詰んでいたわたしは、耳元で声を聞いた。
「朝食の一品に悩まなくていいから。納豆を出せば即時解決よ!」
頭を抱えた。
それまで絶対に提供しないと死守していた禁忌食材が3つあった。
レバー、ゴーヤ、納豆
いかにも好き嫌いがはっきり分かれそうなリスク大の食材である。クレームの怖さよりも、わたしとしては「残す前提で食事を提供する発想はない」のである。
急に話は変わるが、東京都知事選候補者の石丸伸二氏に、あるTV局が選挙後インタビューをしていた。
「善戦したと思うか?もっと上を行きたかったのか?」
それに対して石丸氏は、「何という愚問ですか。選挙に出るのに一番上をめざさなくてどうするんですか」
献立と選挙は違うにせよ、いいたいニュアンスは似ていると思う。
わたしは試したくなった。決めつけはよくない。
一度だけ納豆を出してみよう。好きな患者さんがいるかもしれないし、提供したことがないのにNG食材のレッテルを貼るのはいかがなものか。
ある日の朝食で、ついに納豆をお出しした。
1人1個30g。
(結果)
80%:全く手をつけていない。
(上のフィルムさえ剥がしていない)
10%:フィルムを剥がして混ぜた痕跡あり
10%:完食
納豆を処分する悲しみを未だに覚えている。
患者さんに申し訳ないことをした。うなだれた。
その後献立にのせることはなかった。
納豆という食材によって、贖罪の意味を知った。
それからわたしは、献立を考えるために鬼のように試作を繰り返す人になった。
納豆……、あなたは悪くない。
現在、納豆は好きでも嫌いでもない。
あれば食べるし、何ヶ月も食べないこともある。
優れた食材(栄養成分については割愛)かつ安価でもあり、毎日召し上がる方は多いのではないか。
わたしが考える納豆の欠点は1つ。
「ねばねば」である。
これを知った時、「すごっ!」と声が出た。
「ねばねば」あってこその納豆なのに、手に糸がついたときは凶暴になってしまう。
「キィ〜!!」
しかし、この引き技を知った時に激しく懊悩した。
こんなに楽でよいのか。
今までの納豆人生は何だったのだ。
これは「ノーベル生理学賞」くらいのインパクトがあるかもしれない。世に蔓延する「ねばねばキィ〜!!」を救うワクチンとなり、納豆ストレスからの国民解放運動、さらに摂取量増加による骨形成を促す「引き技」ではないか。
「押してダメなら引いてみろ」というけれど、
納豆に関しては「引き」
納豆の糸は、運命の糸。
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