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専スタ全盛の今だからこそ、陸上競技場を見つめ直せ!

西葛西出版なる出版社がついに立ち上がった。くわしくは先日の中村慎太郎さんの記事をご覧いただきたい。

https://note.com/hatonosu/n/n97e44c196312

要すれば、各々が愛着を持っている地域の話を結晶化した本を作ろうというコンセプトの出版社である。日頃から大宮の話ばかりしているぼくにとって、こんなにドンピシャなコンセプトの出版社はない。いまお読みをいただいているOWL magazineはサポーター目線でのサッカー旅の記事に特徴があるが、それの紙媒体verだと言えるだろう。

そんな西葛西出版としての最初の作品が、わが埼玉に関する本となった。詳細は是非本を手に取って読んでいただきたいが、これはぼくの熱心なプレゼンが功を奏した結果だ。上越新幹線の浦佐駅は田中角栄、東海道新幹線の岐阜羽島駅は大野伴睦、九州新幹線の筑後船小屋駅は古賀誠。地元政治家の政治力によって新幹線のルートが決まったように、僕の埼玉愛によって見事埼玉が先頭バッターの大役をつかんだのだということを、是非埼玉の皆さまには覚えておいていただきたい。そういえば、リニアが山梨の山の中を通っているのも、地元選出の金丸信によるところが大きいらしい。

話が東慶悟のシュートくらい逸れてしまったので元に戻そう。47都道府県すべての本を出版することが西葛西出版の目標であるが、第一弾が大コケしてしまえばそうもいかなくなってしまう。わが埼玉の西武ライオンズは、2018、19シーズンと見事パ・リーグ連覇を果たしたが、その原動力となったのは1番を打った秋山翔吾であった。秋山がMLBに挑戦して以降、ライオンズ打線の得点力は劇的に低下してしまった。金子侑司やコーリー・スパンジェンバーグなど、代役として期待した選手が思ったような結果を残せなかったためである。野球において1番バッターの出塁が大事であるように、西葛西出版においても埼玉が成功するかどうかは極めて大事なのだ。

クラウドファンディングを活用した先行販売も行っている。すでに大変大きな反響をいただいているが、まだの方は是非!

未知の世界、葛西

西葛西出版。初めて聞いたときは、あまりピンとこなかった。僕は埼玉生まれ埼玉育ち。ずっと首都圏で暮らしている人間だ。はなわも「埼玉の人は東京の人よりも東京に詳しい」と言っている。大学は池袋キャンパスだったし、職場も池袋の某民間企業。彼女とのデートもサンシャインシティや南池袋公園。あれ、池袋ばっかりだ。

実は埼玉県民は東京の東側にはあまり縁がない。東武伊勢崎線やつくばエクスプレスの沿線で暮らす埼玉県民ならば足立区や葛飾区のあたりには多少詳しいのかもしれないが、江戸川区ははるか遠い場所。

千葉方面に行くために京葉線や総武線で通ったり首都高速湾岸線を走り抜けたりすることはあったが、江戸川区内に目的を持って初めて行ったのも、4月に本社予定地で企画会議をした時であった。そのときの様子は、制作に執筆に大活躍のかよさんが以前書いている。

東陽町で見つけたノスタルジック

その際に西葛西まで乗ったのが東西線。実は東西線は非常に馴染みのある路線だ。というのも、仕事柄よく取引をする相手先が南砂町にあるからだ。分かる人には分かるだろう。南砂町にあるあの施設。池袋のオフィスから電車で向かうには、丸ノ内線で大手町まで行き、そこから東西線に乗り換える必要がある。あるいは山手線で高田馬場に出て、そこから東西線に乗り換え。いずれにせよ、東西線を使うしか南砂町に行く方法はない。そうしたこともあり、東西線は時々利用していた。

東西線は中野を始点に高田馬場、飯田橋、大手町と東京の中心部を文字通り東西に貫く路線。中央区、江東区、江戸川区と抜けて千葉県船橋市の西船橋駅が終点だ。東葉高速鉄道と直通運転し津田沼や勝田台まで行くこともある。千葉方面まで行ってくれる東西線であればなんの問題もないのだが、たまに東陽町止まりという電車が来ることがある。

東陽町は南砂町の手前の駅。もし東陽町止まりの電車が来てしまったら、1本待つか東陽町で次の電車を待たねばならない。そうしたこともあって、僕は東陽町という地名を勝手に嫌っていた。

先日も仕事で南砂町に行く機会があった。その日は他の取引先から直接向かう予定になっていたが、前の予定がかなり早く片付いてしまい、空き時間が出来てしまった。オフィスに戻っても仕方がないので、南砂町に行って時間を潰そう。そう思って東西線ホームに行った。

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oh...

仕方がないので東陽町止まりの電車に乗り込み、東陽町についてGoogle検索してみた。というのも、南砂町には飲食店や時間を潰せる場所が少ない。そのため、東陽町で時間を潰せないか調べてみたのだ。

どうも東京都民はここで免許の更新をするらしい。われわれ埼玉県民は「鴻巣」という地名を聞くとまず免許センターを思い浮かべるが、東京都民は東陽町と聞くとそうなるのだろう。と思ったら、東京都の免許センターは鮫洲と府中にもあるらしい。われわれは鴻巣1つなのに東京は3つ。1つくらい分けてほしいものである。飯能とか所沢の方々は、鴻巣に行くよりも府中に行くほうがよっぽど近いんじゃなかろうか。そういえば所沢に住む僕の友人は、初詣は府中の大國魂神社に行くと言っていた記憶がある。

電車は日本橋を過ぎ、いよいよ門前仲町に到着しようとしていた。門前仲町には馴染みの議員の事務所があるので、ここが江東区だということはよく知っていた。もう江東区か。早くいい場所を見つけねば。調べていくうちに非常に気になるスポットを見つけた。

洲崎球場跡

東陽町にはかつて、洲崎球場という野球場があった。昭和11年~13年という3年間だけ稼働した幻の球場。大東京軍が本拠地として使用していた。ちなみに大東京軍はその後ライオン軍、朝日軍、太陽ロビンス、松竹ロビンス、大洋ホエールズなどと名前を変え、現在は横浜DeNAベイスターズとなっている。また当時はフランチャイズ制が敷かれていなかったこともあり、東京巨人軍(現読売ジャイアンツ)も試合を行っていた。DeNAと巨人が同じ球場で試合を行っていたというのは、大好きだった土肥義弘が移籍した影響でセ・リーグではベイスターズ贔屓なぼくもビックリだ。

3年しか使用されなかったスタジアムであるが様々な記録がこの地で生まれた。沢村栄治、スタルヒンという戦前を代表する投手がノーヒットノーランを達成している。中でも沢村は自身2度目のノーノ―。1度目はその前年に阪神甲子園球場で達成している。対戦相手はいずれも大阪タイガース(現阪神タイガース)。2年連続で同じ投手にノーノ―を食らうタイガース打線、どれだけ貧打だったのだろうか。ハマスタに行くたびにベイスターズ投手陣が猛虎打線に打ち込まれる様を見てきたぼくにとっては、隔世の感がある。

珍記録もある。「満ち潮による試合中断」だ。グラウンドが水浸しになり、潮が引いたらグラウンドにカニがいたそうだ。東陽町の一帯は埋め立て地だということを改めて感じさせるエピソードである。

いざ跡地へ

東陽町駅を出て永代通りを進む。この大きな通りを右折して注意深く周囲を見ていると、

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あった!

周囲を大きな建物に囲まれており、球場があった気配はみじんも感じない。知らなければ間違いなく素通りしてしまうだろう。

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ここで躍動していた沢村栄治氏がいたからこそ、沢村賞という賞が今でもプロ野球のタイトルとして存在している。西口文也、松坂大輔、涌井秀章。僕が虜になって応援してきた歴代のライオンズのエースピッチャーたちも、この賞を獲得してきた。歴史は繋がっているのである。

ぼくと同じように記念碑で立ち止まったり写真を撮る人がいたら話しかけてみようとも思ったが、誰一人として立ち止まろうとはしない。球場跡の向かい側に警視庁第九機動隊がある。その前にずっと立っている門番の方に、記念碑を見に来る方は一日にどのくらいいるのか尋ねてみた。すると門番は一日中立っているわけではないと前置きしたうえで、めったにいないと答えた。朝は散歩をしている地元の方々が時々立ち止まるそうだが、昼間は通行人の大半がサラリーマンだということもあり、ほとんど立ち止まる人はいないようだ。加えて、写真を撮っていたのはぼくが初めてとのこと。やはりかなりマニアックなスポットなのだろう。

まだ時間がある。どうやら洲崎球場の模型が展示されているというので、少し足をのばして江東区役所にも行ってみた。しかし、庁舎内を探せども探せども模型は見当たらない。たまらず区役所の職員に尋ねてみると「4~5年前くらいまではあったんですけどね」とのこと。残念ながら模型を拝むことはできなかったが、代わりにその模型の制作に携わった人物の著書を紹介して頂いた。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00UTD8ELA/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

すぐさま購入し読んでみたが、幻だった洲崎球場の姿が選手遺族へのインタビューや地元のお年寄りの証言によってどんどんと明らかになってくる良書であった。今回の記事を読んで気になったというかたは、現地を見ることはもちろん是非この本も読んでみていただきたい。

野球は歴史が長いこともあり、跡地巡りのレパートリーが多い。東京都内だけでも、荒川区南千住の東京スタジアム、杉並区上井草の上井草球場。後楽園球場と東京ドームも微妙に位置が違うので、後楽園球場時代に思いを馳せながら東京ドームシティを歩くのも一興だ。

以前テレビ番組で、元中日の宇野勝を連れて宇野がフライをヘディングした位置を探すという企画をやっていたことが記憶に残っている。ものすごくどうでもいい企画なのだが、そのどうでもよさがかえって強く印象に残っている。そして東西線の最果て、千葉県習志野市には読売巨人軍発祥の地もある。これらを訪れた時の思い出話は、また今度の機会にすることにしよう。

今こそ、陸上競技場を見つめ直せ

サッカーはJリーグが開幕してからまだ30年足らずということもあり、跡地という点ではまだまだ少ないかもしれない。しかし、かつてJリーグの試合が開催された実績のある陸上競技場を巡るのは、非常に風情があってオススメだ。

埼玉県川越市にある川越運動公園。大宮からも荒川を渡るとすぐという立地で、ときどきテニスコートを使用することもある。この公園内に約8000人が収容できる陸上競技場があるのだが、実はここでJリーグのとある試合が開催されたことがある。どのチームの対戦か予想してみてほしい。ヒントはかなりの名門同士であるということだ。

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