教えること教えられることの魔力

「教育」とは得てして難しい。
それに比べて「学ぶ」ことは簡単なのだ。
1番簡単な学びは失敗することであるし、今の世の中はゴロゴロと情報教材が転がっているので経験(のようなもの)がいくらでもできる。

その一方で「教育」というシステムは無限に世の中に広がっていて少し気持ちが悪い。
義務教育ならまだ分かるが、今や仕事の選び方を教育し、働き方を教育して、マナーまでも教育する。教育はお金になるのだなぁとつくづく思う。
お金を稼げる教え方は多々存在し、カリスマ講師が蔓延る社会はどうも肌に合わない。

今は仮にも建築という社会の中でも大きな役割を担うものづくりを生業としているが、高校生の時までは教師という道も選択肢として存在した。なぜか知らないが自分に諦めをつけかけた時に自分以外のためだけに生きようとふと思ったのだ。自身がやっていたバレーボールの指導者にも興味があったし、今でも職業としては無しではなかったと思う。

大学生になり塾講師のアルバイトを行ったのもその興味が大きい。その塾はいわゆる予備校では無く、自習を主として授業は補足的にマンツーマン(もしくは教師1対生徒2)で行う生徒の自主性を促すように運営されていた。実は高校生の時に通っていた時はものすごく心地よい環境だった。なぜ勉強をしなければならないのかなんて愚問をタラタラと聞く時間は一切なく、自習の休憩がてら先生と雑談する、その中で自分の気づきを自慢する、そしたら褒めてくれたり悔しがったり。そんな環境が性に合ったように思う。ただそこで働くと教師への教育は違ったのだ。新人教師にはブラザーシスター制度が取られ、効率を優先するように感じることが多々あった。聞くと僕らの代が入る前後くらいから始まった取り組みらしい。その背景として、少数の校舎で優秀な教師たちの素の性能だけで回っていた経営を校舎生徒数ともに拡大しようという取り組みの一環だったらしい。怖かったのだ。教育をタスクとして処理している(ように見えた)室長と先輩教師達が。
一方でこんな僕でも慕ってくれる生徒は複数人いて、卒業の時に手紙をくれたりいまだに定期的に連絡をくれる子もいる。実際に担当した生徒のうち第一志望の大学に入ることができた生徒は3-4割で塾講師としての実績は大したことはない。が合格不合格に関わらず、色々と言葉をつけて感謝と報告をしてくれる。それはそれは嬉しかった。運営に対する不満も全く気にならず働くモチベーションになった。そかまで優秀ではないので、部活と大学の勉強で挟まれる中続けるモチベーションになった。
今振り返るととても恐怖の時間に思える。僕は彼らが当然述べるような当たり障りのない感謝に一喜一憂し、彼らも大したことを教わっていない僕にわざわざ定期的に連絡を送るのだ。まるで宗教のようだ。実際に彼らの生きる何かに繋がっていれば良いが、塾講師期間の後半は自身の承認欲求と相手の成功欲求のぶつかり合いだったように思う。全く本質ではない。そこの違和感を感じたのか、3年間担当した生徒達が卒業したタイミングで塾を辞めた。教育でお金を稼いだのはこれが人生最後だ。

会社に入ると既視感がある。とても自由で革新的な社風と歴史・実績による重みのある社風が両立している不思議な企業だと思う。ただ新人社員の教育が不思議だ。性格診断に参加させられ、自身を4タイプで分類され、このタイプはこう教育しましょう、こう働きましょうと書かれた紙をもらう。極め付けは新人一人一人につけられた教育係までそれをやらされ、相性がどうだ関係性の築き方がどうだと書いてある。ポケモンか!
もちろん社員全員がこれを鵜呑みにしているわけでもないし、年寄りほど半笑いで話す。(別に根性論をフォローしているわけではない)ただこういうものを必要としている層もあるのだな、と感じた。効率的に必要最低限の質の社員を作り、+αでは無く−にならない教育の仕方だ。
話が逸れたよう思うが、別に書き直さない。

最初に掲げたタイトルは教えること、教えられることの魔力だったが、僕が言いたかったのは、そんな無駄なところに使うお金と頭があるほど余裕はないだろう君ら。ということだったりする。
別に上から説教するつもりもないが、「教えること」は「学ばせる」ことと乖離があるし「教わること」は「学ぶこと」と全く真逆と思う。現代の教えるということは、教える場を維持するタスクや教える内容を整理するタスクや役割を分けるタスクを内包しているし、さらには「学ばせる」ことを「教える」ことが中途半端に推進されているせいで、余計な仕事や争い衝突が起きている。学びに直接関係しないことで手一杯なのだ。かわいそうに。だから僕は教育に関わるのを辞めたんだ。

僕の尊敬する建築家に安藤忠雄がいるが、最近こども図書館を設計し寄付しを繰り返している。図書館の中には多少安藤忠雄の広告が付くが、彼が教えることなど全く無く、大人も子供も勝手に学ぶ場を作っている。

宮﨑駿に共感し、影響を受けるものが多くいるが、いつ彼が教育をしただろうか。彼らは学ぶ場を作っているに過ぎない。人が人に口頭で伝えられることなどたかが知れていると知っているからだろう。

最後に塾講師を辞めてから就職するまで、学業の隙間で幼児・小児の保育に携わった。教育はまだ受けていない、もしくは必要最低限の教育は小学校の教師がやっておいてくれる、そんな中での子供達と過ごす時間は僕の人生の中で最も豊かな時間の一つだったに違いない。彼らと共に学んだことは大きすぎる糧となった。

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