明るさなんていらないよ
明るい人と思われないと嫌われる。
協調性がないと、置いてけぼりになる。
そんな恐怖感が、そうだな、三十代くらいまではあったかな。
でも、自分自身をどう掘っても、明るさや協調性がない。ないから、こしらえないといけない。
こしらえるのはできるけど、その維持に疲れる。自分自身ではないのだから、仮想のキャラクターを作って演じなきゃいけない。何を話すかから始まり、どう行動するかまで影響する。一度うまくいっても、次に会うときに困る。あれ、どんなんだったけ。
やってられない、やめよう、と思うまで長いことかかった。
そして、やめてみた。実はやっていけてる。たまに、飾りたくなる瞬間はあるけど、「おいおい、やめときな。君はそれが苦手だと知っているだろう?」という心の声に従ってる。それでも私は生きている。
明るくなくても、協調性がなくても、誠実さをもって、言葉を選び、尊敬の念を忘れず接することはできる。だってそれは、自分が望んでるから。
そんなに自分は、悪いヤツじゃないはずだ。そりゃ、変なところはあるけれど、それも個性だ。全員に好かれなくてもいい。知ってもらって、許容できる方に、うまく付き合っていただければいい。
子供のころからこんな思いでいられたら、ずいぶん楽だっただろうに、とは思うけど、苦労したことも含めて今の分があるから、と思おう。
自分らしく、とよく言われる時代だけど、何が自分か、迷っている人も多いだろう。
自分と向き合い、無理をしないでいられる場所を、一つ一つ増やしていくことしかないのかな、って思ってる。
それを1つ見つけて安心するんじゃなく、浅く広く、いろんな場につながっていくこと。一か所に依存したら、無くなるかもしれないと思うと怖くなるから。
そして、たまに一人になって、心を落ち着ける。
そうやって考えると、なかなか社会のなかで生きていくって、簡単じゃないな。長年、時間がかかったからこそ、この結論だもん。
うん。明るさなんていらないよ。
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