耳から聞く認知症

耳から聞く認知症 ~寒い冬編~
         デイサービス 生活相談員


デイサービスにも四季があり

今年も冬が訪れ、デイサービスの周りの山々もほのかに白めいている。

そんな光景を見ていると、ふと昔を思い出すことがある。


それは学生時代のこと。

冬生まれの私は、『子供は風の子』ということわざを体現するかのように
冬にも関わらず、半そで短パンで走り回っていた。


そんなことを思い出していた近頃の勤務先のデイサービスの様子。

毎年冬場は体調不良にて欠席される方が増加する傾向にあるが、
今年もまさしくその通りであった。

入院される方こそいないものの、誰かしらはお休みされる為、少々物悲しい毎日である。

そして、寒さと寂しさからか、利用者様の会話の内容も何だか物悲しくなりがちなのだ。

利用者A様:「冬は寒ぅし、ええことないわな。」

利用者B様:「ほぅやほぅや、なんだか楽しないのぅ。」

こんな感じである。

それでもいつも楽しくお話している、このAさんとBさんであるが、今日はなんだか様子が違っていた。特に気になったのは、認知症と診断を受けているAさんである。

利用者A様:「まぁ、うちの旦那もほんとに死んだわな。」

利用者B様:「Aさん、元気だしゃぁよ。ほんに厳しいわな。」

Aさんの旦那さんが死んだ。

これは事実ではない。

朝送迎でも、元気にAさんを送り出してくれていたからだ。

これは認知症状の一つ、『妄想』と呼ばれるものであり、事実とは異なることを本当に起きたように信じ込んでしまうというものである。

そうとはいえ、実際には生きている旦那さんが亡くなったことになってはあんまりだし、何よりAさん自身が辛い思いをしているのは見るに堪えない。

こんな時は、かの有名な天才相談員、専門職歴10年を超える私の出番だ。

Aさんの悲しみは、私が取り除いてみせる。

私「Aさん、どうかしましたか?何か心配なことがありますか?」

利用者A様:「もうな、死んだでな。ほんとに冬はええことがないわな。」

やはりAさんは旦那さんが亡くなったと思っている。
これは何とかしなければ。

私:「Aさん、きっと良いことがありますよ。それにしてもAさんの旦那さんはいい旦那さんですね、笑顔も素敵ですし。」

利用者A様:「ほんなことあらすか。あんまり笑わんよ。人前だけ、笑うのは。」

まずはいい調子だ。このまま少し旦那さんの話を続ける。
敢えて続ける。
そうすることで、自然と旦那さんとの生活が今もあるということを思い出して頂くのだ。

私:「旦那さん、朝も送り出してくれてありがたかったですね。」

利用者A様:「朝なんか覚えないわな。おったか?」

よし、ここで核心に迫る。

私:「旦那さんは、見送ってくれましたよ。Aさん、旦那さんは、生きているんですよ。だから安心してください。」



決まった。

これは決まりすぎた。


私はいささか自分の才能に震えた。

旦那さんが生きていることの喜びをAさんに気付かせてあげられた。
私の話を聴いたAさんは、きっと涙を流して喜ばれるに違いない。
菓子折りまで用意されたら、いやそこまでは、としっかりお断りをせねば。


ところが
その後の状況に、私は驚愕することとなる。


私とAさんの話を横で聞いていた利用者のBさんが私に一言。

利用者B様:「なあ、あんたもしかしてAさんの旦那が死んだと思っとらんか?。」


私:「?」

利用者A様:「は?どういうこっちゃね?。」

利用者B様:「いや、私ら今さ、しんだしんだって話しよったろ。」

利用者A様:「あぁ、ほんなら私の旦那が死んだと思ったんか。」

私:「えっと、Aさんがそう思われていたんじゃないんですか?旦那も死んだって聞こえましたが。」

利用者A様:「ほんに馬鹿な事あらすか。しんだっちゅうんはな、沁みたということでな。」

事態を呑み込めない私。

利用者A様:「体に沁みるほど寒いことをよ、沁むとか、沁んだというんよな。」


沁んだ    →    しんだ    →    死んだ


どうやら、寒さが体に応える、というのが沁みるということらしく、
沁んだ、とは方言交じりの言葉だそうだ。


つまり、旦那も沁んだ。

旦那さんも寒さに弱い、ということになる。

丁寧に説明をしてくれるAさんと

あっけにとられ、立ち尽くしている私と

横で大笑いしているBさん。

利用者B様:「あっはっはっは!こりゃあ傑作やて!最近の出来事で一番笑えるわな!」

利用者A様:「ほやほや!ええこと何もないなと思っとったでな、ありがたいわ!
旦那が死んだか!そらええわ、家で話したら旦那も笑うで!あっはっは!」


私は、何も言えず、
ただその場に立ち尽くしていた。


どれくらい時間がたっただろうか。

気付いた時、私の周りには誰もいなかった。
どうやら、利用者様もスタッフも、皆帰ってしまったらしい。

外に出ると、そこには白めいた山に夕日が沈みかけている。
今の私には、眩しすぎるほどの景色だ。

私は完全に侮っていた。
Aさんに認知症という診断があるというだけで、
認知症の症状による、妄想だと、勝手に推測してしまっていたのだ。

AさんとBさんは寒い冬について共感して会話をしていただけなのに。


こんなはずではなかった。


しかし、今回はいつもと一味違い、割と早く立ち直ることが出来た。

そうというのも、笑い者になった自分ではあったが、この寒い時期に利用者様の心を温めることが出来たのは紛れもない事実。

恥ずかしすぎる先刻の自分の失態は徐々に薄まり、
むしろ専門職として、人の心を温められる様になったという、確固たる自信がわいてきた。

気が付くと、
冬の山々を背景に、にやりと笑みを浮かべた自分がそこにいた。
                                     

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