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人付き合いが苦手、でいい

私は人付き合いが苦手だ。どうにか克服したくて色々なことをやってみた。が努力すればするほどうまくいかず、自分をすり減らして更に苦手になってしまった。

人付き合いが苦手だと、実際生きていくのに不利になることも少なくない。無理して付き合うことはないが、少しでもそんな状態から抜け出して、もう少し楽に生きて行く方法を考えてみる。

努力と失敗

以前の私はそれでも何とかしたくて、旅行好きのサークルのオフ会に参加してみたりした。
実はお酒もあまり飲めないし、飲み会や大人数での集まりやパーティーなども苦手だ。そしてあがり症でもある。グラスを持つと手が震えてしまう。そういった場がとにかく苦手で、それでも無理やり震えをごまかしながら、初対面の人に話しかけたり、話を聞いてみたりした。そして私は声が小さい。賑やかな場所で大きな声を出してみても相手に聞こえなかったり、誰かの笑い声や会場の煩い騒音で会話が途切れてしまったりする。
ずっと愛想笑いをしているので顔の筋肉もこわばってしまう。それでも無理やり何人かと連絡先を交換してみたりしたが、その後関係が続いている人はいない。

会社の飲み会も同様に、結局浅い上辺だけの話しかできずに、お酌や料理の取り分け、追加の注文とお会計など、色々と気を遣うことが多すぎて、普通に仕事をするより疲れてしまう。残業代と特別手当を別途で貰いたいくらいだ。

何社か会社を辞めたりしたが、その後関係が続いている人はおらず、その場限りの付き合いになってしまっている。私だけかもしれないが、仕事でも会って、さらにプライベートでも会いたいと思えるような人には結局出会えなかった。

人付き合いを頑張ったり、努力すればするほど空回りし、人と会った後はどっと疲れてしまい、トイレでも外でも、とにかくひとりになれる時間がないと心と体が持たない、ということがわかった。

会社で働くことも私は向いていない。電話や会議もただ疲れて仕事の効率が下がってしまう。最近はコミュニケーションを重視して開放的なオフィスレイアウトになっていたり、デスクも仕切りがなかったり、フリーアドレスなどになっているが、私にとっては地獄だ。誰かの顔が常に見えて、視線が気になって仕事に集中できない。そして毎日どこに座ればいいか分からない、自分の落ち着ける場所が確定していないという不安が付きまとう。もうそろそろ会社勤めも限界だな、と思っている。

コミュニティの中にいる自分を観察してみると、相手に合わせすぎていたり、本当の自分を出せていないと気づく。空気を過剰に読みすぎているし、そんな偽りの?自分を演じ切れたら立派な社会人と言えるのかもしれないが、私はだんだんそんな自分に疲れてしまい、化けの皮が剥がれて、最終的にはダメ社会人になって会社をバックれたことが何度かある。つくづく私は無理ができない人間だと自己嫌悪することも多かった。

田舎と都会の人付き合い

私の実家は田舎なので、雪下ろしや地域の清掃は自治会やご近所で協力して行っている。協力しなければ罰金などもある。参加したくないという選択肢がないので、人付き合いをうまくやっていかないと暮らしていくのが難しくなる。

その点、都会はその煩わしさが田舎に比べると少ない。人の移動が流動的で、風通しがよく、深い付き合いもしないで済む。その分助け合うことも少ないので、お金という価値観で補っているような感じもある。

田舎に住んでいると、野菜や魚やお米をお裾分けしてもらったり、物々交換やコトコト交換で、都会よりもお金が掛からず暮らしていけるようなこともある。が、やはりポイントになるのは、うまく人付き合いができる場合にのみそれが可能だということだ。

『人付き合いが苦手=ダメ』なのか?

確かに人付き合いが苦手だと仕事や生活していく上で不利になることも多い。コネや繋がりが思いがけないチャンスを運んできてくれることも多いし、助けられることも多い。『みんな仲良く』『友達は多い方がいい』『みんな一緒に協力して助け合う』という価値観が脈々と植え付けられてきたような気もする。

しかし苦手なのだ。どうしたら良いのだろうかと散々悩んだし、努力もして、失敗もして、結局できないという事実だけが残った。

最近は『内向型』『HSP』などの関連書籍も多数出てきて、内向型が必ずしもマイナスにはならない、ということを知り、この特性を活かす適した環境づくりと考え方、そして自分は何が得意で何が苦手か、自分を徹底的に把握することが重要なのではないかと気づいた。

そして自分の活かし方が把握できればできることも増えるし、他者を助けることもできて、自分の弱点を他者に助けてもらうこともできるかもしれない。コミュニケーションも今よりスムーズにできるようになるのではないかと思った。

誰かのために、とは言うけれど

コミュニケーションは一方通行ではよくない。そして誰かのために、『利他的であれ』というキーワードをビジネス書なんかでよく見かける。
しかしそれだけではうまくいかないと思う。自分を押し殺して無理をしてしまうと、そのやりとりはいずれ破綻してしまう。自分も無理せず活かすための『自己中』も同じくらい必要なのではないかと思う。
『利他的であり、そして自己中でもあれ』と。

コミュニケーションが上手な人って、そんなキャッチボールのやりとりがスムーズな人、という感じがする。助けてもらうし、助けもする。相手のニーズに応えて、そして自分のニーズも叶えている。そのバランス感覚が取れている人が上手な人、と言えるのかもしれない。できる人は本当にさらりと軽やかにやっている。
そしてそのやりとりが増えると、信頼とか信用も蓄積されて、コミュニケーションの輪が広がったり、深まっていく。

自分の活かし方説明書をつくる

人付き合いが苦手な人が少しでも楽に生きていくには、自分の特徴というか、説明書みたいなものをつくり、自分にも相手にもわかりやすく開示できたら、少しでもやりとりがスムーズになるのではないかと考えた。

全然思い浮かばないし分からない、というときは、日記や気づいたことメモをできれば毎日書くようにすると、自分は今どんなことを考えていて、どんなことを大切にして、どんなことで苦労しているのか、客観的に把握できてくる。嫌なこと、やりたくないことは割とすぐ浮かんでくると思う。

・自分はこういう人間です
・苦手なことは〇〇です
→できないので、できる人お願いします!→助けてもらう
・今こんなことをやっていて、こんなことが好きです
→できます、助けることができます!→助けてあげる

コミュニケーション上手な人はきっと、やり取りしながら自分もアピールして相手の要求も聞き出して、柔軟に対応しているような感じがする。それができないなら事前に準備できることはやって、自分の特性を把握し予め開示しておくと、興味を持ってくれた人や似た属性の人とネットで緩やかに繋がりやすくなるのではないか、と思う。

『緩やかに繋がる』ということは、相手にも自分にも負担やプレッシャーを与えず、余地や余裕を与える。自分も相手も大切にする、適切な距離感をつくる。自分も相手も認めて、それでいい、それがいい、それでもいいと許容範囲を保ちつつ、遊びと余裕がある考え方だと思う。

自分の活かし方説明書をつくって開示すると、誰かの助けやヒントになることもあるかもしれない。私はそういった他の人たちのブログと出会って大いに助けになったし、きっと私もそんなちょっとした助けになれるかもしれないと思うし、助けになりたいとも思っている。


また体験談や失敗談や気づきも誰かの助けやヒント、ちょっとした息抜きになるかもしれないと思うし、共感や新たな発見のヒントになるのかもしれない。そして何よりも、自分のできないことで無理に頑張って消耗してしまうことが少しでも減るのではないかと思う。

「あ、そうだった、私これ苦手だったわ。これやったら駄目になるかもしれないから、やめておこう。」と事前に気づけたら、誰かに助けをお願いしたり、つらい状況を回避できたり、自分も相手にも負担にならないコミュニケーションが少しずつできるようになるのではないか、と思う。






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