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役に立たないヒエログリフ

高台に住む知人に、今後の目標ややってみたいことを何気なく訊いてみた。

今すぐ海外に行きたい

『私の父はエジプト研究の学者なんです。役に立たないヒエログリフを研究したり、そんな日常生活に全く使えない、浮世離れしている仕事や生活がとてつもなく嫌だったんです。』

『とにかく社会や誰かに直接役に立って貢献できる仕事がしたいんです。』

『日本は特に文化とか芸術とか社会に根付いていないじゃないですか、それだけで生活していけるわけでもないし。だからもう日本にいるのも嫌なんです。全部投げ捨てて芸術や文化に理解のある海外に行きたいんです。』

クラシック音楽に携わる仕事をしている彼女は、芸術が一部の人たちだけに愛されていて、日本社会に浸透していない現実をとても嘆いていた。

やっぱりヨーロッパなどと比較すると、日本は日常生活の中に絵や音楽が身近になかったり、興味や関心を持つ人たちがまだ少なかったり、市場規模や教育などもまだまだ限定的で、特権的なイメージもあるせいか、一般的な親しみやすさからは遠ざかっていると言えるのかもしれない。

私の友人や先輩なども日本に見切りをつけて、海外に留学してそのまま移住してしまう人もいる。

が、それは一部の金銭的にも実力的にも、もちろん運もあるだろうが、色々と恵まれた人に限られているように思う。

今はコロナ禍だ。まだしばらく海外へは飛んで行けない。今すぐ日本をかなぐり捨てて芸術の都に飛んでいきたい!という彼女の気持ちが強く伝わってきただけに、とても心苦しく不憫に感じた。

芸術は無力か?

かくして同じように私も日本の一般社会と芸術の距離感というか、温度差に苦しんで、このまま続けていて良いのか悩んだ時期がある。

東日本大震災の時、当時私は芸術系大学の学生だった。色々な芸術イベントが中止になり、こんな状況の中で、芸術は無力だと感じていた。

震災当日、ちょうど私は東京の日本橋の郵便局にいて、次の展覧会のお知らせのDMを発送していた。絵画系の学生4人でグループ展をやろうよということになって、打ち合わせをした帰りだった。

こんな大変な中で開催するのは不謹慎かな、と中止にしようかとギャラリーのオーナーさんに相談した。こんな状況の中で、芸術は何の力にもなれない。こんなことをするよりもボランティアに協力したり、医療や生活に直結する援助をしたほうがよいのではないか?芸術は無力なのかもしれないと相談した。

オーナーさんは深く考え込んでいたが、『それでも芸術をやっている私たちが今できることをやろうよ』と言ってくれた。ギャラリーの会場費、売上を全額義援金として被災地に寄付しようよ、と。また『母にプレゼントするために絵を一枚買うことにしたよ』とオーナーさんは言って下さり大変励みになった。

また落ち着かない状況の中、沢山の方たちが来場して下さり、暖かいお言葉を頂いて、芸術は無力ではなく、私1人では無力でも、沢山のひとたちが集まると大きな力になっていく、ということに気付かされた。

『芸術は社会にとって有効である。』

またある日、大学の研究室の教授にも似たようなことを相談したことがある。

『芸術は社会にとって有効である。』という研究室の活動理念やステートメントを読んで、「私も芸術は社会にとって有効であると信じたいんです、でも実感が持てないんです。」とぶっちゃけたことがある。

『私たちはそれを強く信じて、率先して言い続けていかなければならない。実感が持てないのは自分の身近で小さな世界だけをみているから、もっと色々な人と出会って色々な世界を知っていけば、きっと実感が湧いてくると思うよ。』と。

草の根運動的な地味な活動でも、誰も見てくれなくても、やってる本人がこれって役に立たなくて無駄だよね、と諦めて腐ってしまったらそれで終わりのような気がする。

もちろん芸術は役に立たなくていいし、無駄でくだらなくてバカバカしくてもいいと思う。でもこれって面白いかも、アリなのかも、という可能性の兆しみたいなものをまず自分が信じて大事に育てていけるか、そしてそれを社会に対して開示していけるか、そこらへんがポイントになってくるのではないかと思う。

私はなかなかそれを信じられなくて、経済的にも困窮したため続けられなくて、中断したりなげやりになったり諦めたりもしたが、コロナ禍になって尚更、また少しずつやってみたいと思えてきた。

きっとそれは同じようなポイントで沼にはまり苦しんでいる彼女の悩みを訊いて、昔の私とリンクしているような気持ちになったり、きっとこれは彼女や私がたまたまだったわけではなく、芸術に関わる人たちが陥りやすい共通の問題なのではないかと感じた。

今はコロナ禍で、社会からなかなか理解されない芸術家たちがまた悩んでいることだろう。

こんな大変な状況の中、芸術なんて今は後回しなのかもしれない。

しかし、かなぐり捨てたくなるような今の日本でも、もしかしたらまだできることはあるのかもしれない、と思い始めている。

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