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初ブログ 両親の話

こちらのブログは自身の治療のために記す。
日々の感情はTwitterで記す事とし、こちらは極力感情を入れず、今後の治療に役立つ事を残していきたい。

ただそうは言っても先ずは自己紹介はしておきたい。

1983年 関東生まれ。
38歳バツイチ父(貧乏/4人兄姉の末子/ハングリー精神の塊/おしゃべり/行動的/マザコン/八方美人/ずる賢い/享年57歳)と、
35歳のバツイチ母(お嬢様/一人っ子/おっとり/無口/受動的/見栄っ張り/人任せ/真面目/享年57歳)の
間に生まれる二つ上に姉を持つ次女。二人姉妹。
父に借金があり、未婚のまま母が私たち姉妹を産んだので、戸籍上は「長女」「次女」でもなく、ただの「女」である。

父は気づいたらアルコール中毒で、昼間は中小企業の取締役部長で、家に帰ればただの競馬好きな酒飲み。他に煙草、野球、相撲、歌、女性が好きだった。飲んだら泣き上戸になる自己愛の強い人だった。
肩書は沢山ある。
元公認会計士/飲食店店長/トラックのドライバー/養鶏所自営/飲食店オーナー/会社員(部長)等々

母は気づいたら統合失調症(当時は精神分裂症)で、日ごろは躁か鬱かしかなくて、発症すると幻覚と幻聴が酷かった。
父の話によると一緒になった時から病を発症していたという。本人が自覚して治療開始したのは私が10歳の時。
発症後、少なくとも20年くらいは放置だったと思われる。
本来の性格は真面目で、勉学も出来、大人しく、従順だった。

二人が出会ったのはスナックだったと聞いている。
父の初婚は超が付くほど真面目な女性で、相手に好かれて結婚して一女に恵まれた。
母の初婚は見合いだったか、ある企業の社長さんと一緒になり、社長夫人だったと聞いている。

だが、父は友人と立ち上げた公認会計事務所の資金を友人に持ち逃げされ、借金人生へ転落。
母も一緒になった夫が借金の肩代わりをさせられたのか?失踪。母が残された相手の母親を養って、借金を返す事となる。

そこで出会ったのがスナックと聞いている。

二人とも歌は上手かった。
特に正確に言ったりはしなかったが、不倫だったのだろう。

育った環境も性格も違う二人がそれぞれ離婚をして一緒になった。(正確には未婚)
でも二人きりなら上手くやれてたと思う。
お母さんはお父さんが大好きだったし、やきもち焼きだったから。

借金でマイナス人生の二人の間に子供が生まれ、時間が奪われ、見えない生活。
それが母を狂わせた。
また母は天涯孤独な人で、友達と呼べる人はいなく、一人っ子、実親も幼いうちに亡くし、姉夫婦の一人娘として大切に育てられるも、そんな養父母も私たち姉妹を産んでから病死。

孤独な人生だった。

母の人生は想像するととても可哀想で、つらいものだった。
だが本人はあまりそれを悲観してはいなかった。
よほど養父母が大切に育ててくれたのだと思う。
そして『一途』だった。養父母の愛情を一心に注がれた母は、
父のように多数に向けられる愛情や友情を理解できなかったと思う。

なんと、両親の事だけで初めてのブログが埋まってしまった。
でもこうして今は亡き両親の事を客観的に書くことで、自分を整理できる。

きっと幼かったので間違って覚えてる事や、親が伝えていないこともあると思う。

両親は好き同士一緒になった二人だったけど、母の愛情が重かったり、
また父が母を大事にしなかったり、バランスが悪かった。

アルコール中毒の娘でもあるので、私は自分の事をアダルトチルドレンと思ってるし、母の血も継いでいるので双極性障害だ。(平成27年診断)
尚、自身はアルコール、たばこ、薬物依存は全くない。
あるのは睡眠障害、恋愛体質(異性への依存)、他者の感情に踏み込んでしまうHSPと認識している。



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