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【私論】運命の人とは

人はよく、「運命の人だ」と言ったりする。しかし、運命であるとはっきり言えるのは死のみ。どう足掻こうと生まれた以上定められている、まさに運命(さだめ)である。

では、運命の人とはなんだ。死ぬ人なのか。ならば全員が運命の人でいいことになる。人間は必ず死ぬからだ。ところがどうやらそれは違うらしい。ここでいう「運命の人」とは、何やら恋愛的な、そういう要素を孕んだものを言うらしい。

最もその人自身が誰かのことを「運命の人です」と定義してしまえば、少なくともその瞬間は「運命の人」とその人の中ではなるのだろう。かなり都合のいい言葉になる。

ただ恋愛的な関係や諸事情において、たった一瞬その場しのぎで言った「運命の人」は、厳密には「運命の人」とはならないだろう。それは恋愛感情が伴っていない可能性が高いからである。

恋愛的な運命の人とは一体何を指し、どこまでいけばそれになるのか。

おそらくそれは、「運命を共にする人」を指すのだろう。つまり、「死を共に迎える人」となれば、それが究極の「運命の人」だ。

もっと厳密にいえば、「長き時を共に過ごし、いつか訪れる死を共に迎らえる人」が、結果的に運命の人となる。あくまで結果的に。

今、この瞬間において運命と言えるものは死のみである。それ以外は人知を超えた何かが私たちにもたらした何かを指すらしいが、これは結局、諸個人の解釈次第であり、どうとでも言える。それこそ、今これを書いているこの行動は運命なんだと私が思えば、それは運命になる。思わなければ、別に何でもない。ただ好きで書いているだけ。まして、こんな内容を書こうと思ったのは少なくとも自分自身だと私は考えている。

だからこそ、確実に保証されている「死」という機会を共に過ごそうと思える、いわゆる「最愛の人」がその「運命の人」に最もなりやすいということだ。その人の愛はいついかなる時も手放したくないもので、最期まで抱き続けたいと思えるものだろうから、その人は誰かの最期の瞬間にようやく「運命の人」になれるのではないだろうか。

また運命は糸のように考えられている。ただその糸同士が交差するだけなのか、解れないほど強固に絡み合い、一本の糸となるのか、はたまた交差すらしないのか。それだけのことだと考えている。

その中で考えれば、糸同士が全く同じ最期に向かい、その中で絡み合い、一本となるその人が「運命の人」だ。ただこれも、最期に振り返った時にしか、長く立派な一本の糸になっているのかどうかは分からない。

それでも人は都合のいい生物なので、ただ交わっただけでも運命を感じ、その短い時間でのみ「運命の人」として扱う。そして離れた時、つまりこれも結果を見た時にのみ、「運命の人ではなかった」と分かるのである。そして運命の人と信じて時間を共にしていたからこそ、深い悲しみと苦しみと、たくさんの思い出を抱え、いつか身勝手に感じる「運命」のために歩くのだ。

だから、よく目にする疑問で、「運命の人はいると思いますか?」というものがあるが、それについては「分からない。」がある種の答えなのかもしれない。ただ一方で、「あなたがそう感じた人が運命の人だから、いつでもいる」ともできる。これもまた答えだろう。

ただどこかのキャラクターは、「真実はいつも一つ」としているらしいので、この場合はおかしなことになるというか、結局答えは出せないというのが答えなんだと思う。(そういう意味では人知を越えているのかも……?)


【あとがき的な】
いやぁ~運命の人、早く現れないかなぁ~()
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