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コンビニごはんが悲しくなるわけ

改めて最近気づいたのだけど、
コンビニで買ったごはんや大手チェーンの外食って、
なんだかテンションが下がるんだ。

ひとり暮らししていた大学時代は、自炊が好きだった。

社会人になってから、言い訳をしては、
一時期まったく自炊しないこともあったけど
昨年末、引っ越しをしてキッチンが広くなったこともあり
前よりも自炊の頻度は増えた。


だけどそこから、コロナが流行って
今まで誰かと食べていたお昼ごはんは、
ほとんどひとりでになった。

孤食だと、食の質自体に目が向くようになったのか、
年齢のせいでコンビニ飯が飽和して
「もう無理!」ってなったのかわからないけど、心境に変化が。

平日お昼、
コンビニのごはんやファーストフードを食べてると
なんだかわびしい気持ちになってくる。

たぶん、「自分を大切にしてない感」をすごく感じるんだ。


とにかく安い。味はおいしい。
一定のクオリティ。

でも、効率を追求したオペレーションのお店で提供される
均一化された食事をとり続けていると、
わたしは、ひとりの「人間」というよりも、
マスのなかの一人の「消費者」であると強く感じる。

自分のための食事ではなく、
規模の経済の中で、システム化された食事をとっている。
食事が先にあって、そこに自分が取り込まれているようだ。

そして何よりも、食事が、ただ「栄養をとる」「おなかを満たす」ためのものになっている気がしてしまう。

おなかは満たされるけど
心が満たされない。
満たされないどころか、心が貧しくなる気さえする。

そしてそこにいる人も、
心から食事を楽しんでいるようには見えない人が多い。
スマホを見ながら、片手間で食べている。

さらに、時間を気にしてオフィスのデスクで、
スペースをこじ開けて、PCの前でごはんを食べると、もっと最悪。
わたしは仕事のために生きてるの?」という気持ちすら芽生える。

文筆家の池田晶子さんはこう言っていた。

 「便利になる」と、人は言う。情報が早くなり、時間が節約でき、あらゆることに有利であると。
 (中略)
 急げ急げ、乗り遅れるなと、人々は生きている。しかし、いったい「何のために」急いでいるのか、「何から」乗り遅れることを怯えているのか、誰もが一度は、自分にきちんと問うてみるべきではなかろうか。おそらく人は言うだろう。「ビジネス」と。それでは、「何のための」ビジネスか。あなたの人生にとって、ビジネスとは何か。
(中略)
 本来、便利さとは、それによって節約された時間や手間を、よりよい目的のために使うことができるからこそ、価値であったはずである。よりよい目的とは何か。決まっている。よい人生を生きることである。人生の意味と無意味を、自ら納得して生きる人生のことである。
 便利さによって節約された時間を、人はどのように使っているだろうか。おそらく、することのない時間の空疎、すなわち自分自身の中身の空疎に耐えられず、人はさらにビジネスへと走っているのではなかろうか。そして、忙しい忙しいと自分に言いわけしつつ、さらなる便利さを求めているのではなかろうか。すると、人は、いったい何のために何をしていることになるのか、これは見事な本末転倒である。
『死とは何か さて死んだのは誰なのか』


この文章を読んで、ああ私のことです、とギクっとした。

便利になった世の中。
夜遅くまでお店は開いているし
手頃な金額でも、おいしいものを食べられる。

でも、心が貧しくなる「便利さ」とは
一体なんのためなのかと、身につまされる。

そして、物事の「余白」がないことは
ひどく寂しいものなのではないかと、私は思う。

手短に栄養がとれればいいのなら、
おなかを満たせればいいのなら、
食事さえとれればほかは何でもいい。
必要最低限でいい。

器はプラ容器でいいし、
食べる場所はオフィスのデスクでいい。
もっと言うとサプリでもいい。

だけど、コロナの影響で増えたテイクアウト。
お気に入りの飲食店(大手外食じゃない)で何度もしてみたけど、
いつもの外食とは大きくちがってた。
中身は同じはずなのに、異常なほどに味気なかった。

なぜ同じものを食べているのに、こんなにも感じ方がちがったのか?

答えはきっと明確で、
お店の空間や接客、料理が来るまでのわくわくする時間、
友達の笑顔、いろんな要素が心とおなかを満たしてたからだ。

コロナをきっかけに、改めて知ることができた。

これに関連して、最近、土井善晴さんが「うつわ」のツイートをしていてとても興味深かった。

和食の勉強の半分はうつわの研究」に驚き。

食を引き立たせるために
食器にもそんなに気を配るものなんだと知る。

そしてそういう余白が複合的に重なった「食事」を、
無意識に自分たちは感じ取っていたんだ。
だから好きなお店に行くと、心が満たされていたんだ。

食事は、おなかを満たすためのものだけじゃなかったんだ。

ということで食事は、
おなかをいっぱいにして、栄養をとるだけじゃなくて
心を豊かにする役割もかなり大きいことを実感した。

昨今、自分が得意なことだけに集中(つまり料理せず時短)、
ウーバーイーツでよくね?ってけっこう言われてるけど
ずっとそれを続けてると心に栄養いかないとおもう。
そして、創造性を養うチャンスを逃していると思う。

だって、目には見えないけど、大切な何かが欠けているから。

例えば料理するとき、
自分の体調に目を向けて、何を作るか考えることだったり
旬の食材を使って、季節を堪能することだったり
料理のプロセスそのものを楽しむことだったり。

そして、何よりも「自分のために」食事をつくるという行為は、自分を大切にすることに直結している。


もちろん、コンビニやファーストフードが悪いわけではないし、
上記のことを誰かに強要もしない。
今日もおいしくマックのランチをいただいた。

コンビニやファーストフードとのよりよい付き合い方を模索することが大事だと思う。

つくり置きしたり、簡単にできるレパートリーを増やしたりと、自分の生活に適した外食と自炊のいいバランスを探っていきたい。
「何のための便利さか」目的も考えることを忘れず。

(今後もこれに関して、書きたいことがいくつかあるのでいずれ続き記事を書きます!)

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