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【試し読み】画像技術の宝物 ~「ナラティブ技術論」のススメ~ 上巻 画像技術,身近な学術

 こちらも2023年6月に発行した電子書籍「画像技術の宝物 ~「ナラティブ技術論」のススメ~ 上巻 画像技術,身近な学術」。同書の「発刊に寄せて」「まえがき」と第1話「第1話 画像研究の事始め」より,一部を抜粋して紹介いたします。ご執筆は輿水大和先生(中京大学名誉教授)です。

発刊に寄せて

 輿水先生は長年にわたって画像工学の原理から現場適用まで広い分野で先駆的な研究をされた(されている)ばかりでなく,画像処理,認識からさらに展開して似顔絵など画像生成に関する新しい分野も切り拓いてくださいました。また,研究者としてのご活躍に合わせて,研究者コミュニティの創設,改革においても確かな足跡を残し続けていらっしゃいます。
 本書では,多くの具体的な事例を引きながら画像研究に対する輿水先生のお考えが紹介されております。また,学術的内容に加えて研究コミュニティ,さらには科学技術自体および現代社会に対する哲学的な思いも縦横無尽に語られています。そのため「思わぬ展開をみせる話の 随所に見逃せないエピソードや一文が埋め込まれており,流し読みを許さない周密さがある」 というのが私の読後感です。
 画像処理(さらに言えば情報処理,科学)が AI に飲み込まれてしまった感がある現在,そして,科学とは何か,技術とは何かを改めて問われている現在,今しばらく輿水先生のお話に耳を傾けたいものです。軽妙な語り口のなかに,決して易しくはない内容が多岐にわたって広がってくるのを心してじっくり相対すべき一冊の本だと思います。

橋本周司(早稲田大学名誉教授)

ま え が き

 アドコム・メディア㈱の O plus E 誌にて,『輿水先生の画像の話』という連載エッセイが 2018 年1 月号からスタートした。『画像技術』を同誌の所掌のもっと主軸ちかくに置くためのお手伝いを依頼されたのだった。数えて 5 年の一区切りの一環にて,これまでの連載記事を再構成して,このたび本書を出版することになった。
 『画像技術の宝物 ~ナラティブ技術論のススメ~』が拙著の名前である。

 本書では,画像技術研究の舞台に埋もれている学術的宝物も画像技術そのものの宝物も,さらにそれらを支える宝物的な知恵も力も広く深く探したいと願った。こんな欲ばった願いは, 事柄とその出来事をあたかもナラティブ(narrative)に物語るときだけに結晶して見えてきてくれるような気がして,緩々でもいいので “現場を支える技術論” にもこだわってみたいと考えて,こんな副題を添えることにした。どちらについても,あたかも川辺で鋼 (はがね)や砂金を探すような心持ちにて,僥倖と幸運に倦まず弛まずこの身を任せてみようと努めてきた。 思い描いた読者であるが,万感を込めて,画像技術研究・開発の現場で闘っている敬愛する, 実戦的ノービス,若き友人(novice)の諸兄姉に読んでほしい。画像技術が向かい合う現場に立ち会う時,わが立ち位置は,いつでもどこでも幾つになっても “ノービス” たらんと在ることが自然であって,かつそれが最強のプロフェッショナルな心構えに違いないからである。もしかしたら本書は,話題が画像技術に特化しているが,そうでない技術分野の読者にも通底し て何かが届くかもしれないと夢想している。
 
 画像技術の今後には大きな期待ばかりで何の憂いもない。そうあるためには,迅速な舵取りや トレンドキャッチアップの短期的展望に是非もなく取り組みながら,社会と産業現場からの要請と期待に対して,また画像技術を下支えする諸子百家の天声に対して,真っ直ぐに向かい合っていることが肝要であると思っている。その折節において画像技術研究開発の日毎の糧に,そんな 天声に耳を澄まそうと願った本書がその座右の片隅におかれていたらこんな嬉しいことはない。

「物まなびに心ざしたらむには,まづ師をよく択びて,その立ちたるさまを,よくかむかえて従いそむべ きわざなり。」

(本居宣長,玉勝間十二の巻一節)

 本書は,上・中・下巻の 3 分冊にまとめる。 まず上巻では,そもそも画像技術はどんな学術で如何なる技術なのか,その魅力と課題につ いて具体例をもとにみていきたい。 一つは,画像技術は産業分野に広く手が届く基盤情報技術でありながら,実は生活場にあっても活躍する身近で等身大の科学技術であること,またそのゆえにスマホのカメラに象徴されるように,顔の画像研究が花盛りになっていることにも特に目を向けておきたい。 二つは,画像技術の世界を概観し,さらにカッティングエッジのあり様を具体例を挙げて覗き見して,いかにディープで面白い課題が今もって待ち構えているかを味わいたい。具体的には,画像デジタル化の数理理論,エッジ検出技術,平滑化技術,そして大局視覚技術としての Hough 変換である。

2023 年 6 月
著者記す  輿水大和


第1話  画像研究の事始め

BEGINNING the Researches on IMAGE SCIENCE & TECHNOLOGY

1. はじめに ー画像研究はどれほど本格的な学術舞台たりえるものなのか?̶


 いわゆる “ 仕事モード ” で画像技術に接するのは当たり前のこと,画像に接して受けた,もっと原始的で素朴で普通な感覚をこの身に蘇らせて,“ 生身感覚モード ” で画像の魅力と宿題を玩味し,賞味してみたらどうでしょう。これが,仕事モードに対しては新鮮で画期的な着想が生まれる源泉となるかも知れないし,生身感覚の画像メディアに対してより豊かで斬新な世界が広がるかも知れず,プラスのスパイラルがそこに生まれるに決まっている。原始,両者はシームレスであったに違いないからである。このような意義が期待できるだろうとか考えて,筆者のワガママな身辺の話題に付き合わせてし まう難点は読者の諸賢にはこらえていただきながら,画像や写真や動画に接した様々なシーンで感じたこと,刺激されたこと,それらから得られる「魅力も課題も」を注意深くマイニングできないものかと狙って,「画像研 究の事始め」と題して本書をはじめたい。
 同時にもう 1 つの狙いも密かに企てている。情報科学や人工知能やもっと広くは科学,技術,学術の中で,画像技術や画像処理技術や映像技術は,社会的・大衆文化 的にみてどのくらい存在感の持ちうる舞台であろうか, 学術的な観点からみてどのくらい深みのある舞台なのであろうか,しばし思いを膨らませる機会ともしたいと考えた。つまり,画像研究はどれほどに息の長い持続性をたたえた本格的な学術舞台なのか,これをご一緒に考えてみたいと念願しているのである。というのも,自分自身からが懸命に問い続けるときだけ,天はその出口を懸命に示してくれるからである,という先達のメッセージ を信じて。

「子曰。不曰如之何。如之何者。吾末如之何也已矣。」

(論語 衛霊公第十五 15)

2. 一枚の山岳写真にて画像の話

 ひどく私事であるが,筆者の郷里は山梨県北杜市で, そこの古家の庭先からは南アルプスが近くに眺望できる。その中でもことのほか,甲斐駒ヶ岳は多くの渋い ファンがいることも耳にする。岩手山の好きな岩手県人,岩木山の青森県人みたいものである。
 中央線下りの韮崎トンネルを出たあたりで車窓左前方にその雄姿に出会うことができる。写真 1 がそれであ る。しかし,この一枚は,多くの人が何度も目にした記憶の中の一瞬の一枚であるとも言えるが,実は,これは山岳写真を撮り続けている従弟(輿水忠比古氏)の作品であり,私にとってもちょっと特別な甲斐駒ヶ岳であ る。名のある作品賞を受賞した名作のなかでもことのほかこの作品に私は心惹かれていて,小さな額を自宅の書斎に,大きくプリントした写真額を研究室において,大事にしている。
 ところで,“ なぜこの甲斐駒ヶ岳作品に魅了されるのだろうか ”,と思いめぐらせて久しい。どっしりした構図かも知れない,深いブルーの色調かも知れない,画の要諦ともいわれる雪月花/花鳥風月の風情を連想さ せる雲もそして雪も月も盛られているかも知れない ・・・ など思い浮かべてはため息を漏らす。

続きは電子書籍でお楽しみください


電子書籍ですが,紙の書籍をご希望の方にはPOD(オンデマンド)書籍もあります。(POD版は電子書籍とは価格が異なります)

以下は本書の目次です。

目次
発刊に寄せて

第1部 等身大の科学技術,画像研究
 第1話 画像研究の事始め
 第2話 顔の画像研究の世界
第2部 画像技術の実世界,カッティングエッジ
 第1話 デジタル化問題のシャノン標本化と量子化
 第2話 デジタル化問題のその先
 第3話 画像のエッジ考
 第4話 新エッジ保存平滑化法の夜明け
 第5話 大局視覚と Hough 変換
 第6話 Hough 変換の実用強化作戦
 第7話 型破りな Hough 変換の発見
あとがき

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